第二千五百八十七話 神雷、斬り裂いて(三)
一見すると、白銀の巨人と見えた。
巨人といえば、巨人の末裔こと戦鬼グリフを想い出すが、筋骨隆々たるグリフよりも細身で、女性らしい肢体が妙に艶めいていた。全身が白銀の甲冑に覆われているというよりは、表皮そのものが白銀であるらしく、その上から薄い羽衣を纏っていた。均整の取れた体型の女性をそのまま巨大化させたような姿といってもいいだろう。それを銀色に染め上げれば完成に近い。ただ、それだけではない。長い銀色の頭髪は足の爪先辺りまで伸びていて、電光が頭頂部から髪の毛先まで流れては放電していた。
雷光を司る分霊。
それがゆっくりと降下してくるに従い、凄まじい重圧がファリアたちを襲った。そして、だれかが叫ぶようにいった。
「あれは……イリーナ殿下?」
「まさか」
「イリーナ殿下だって? そんなこと、あるわけがないだろ!」
狼狽する帝国人たちの中で、ファリアは分霊の顔を見遣った。遙か上空より舞い降りる分霊の容貌は、どこかで見たことがある気がした。だれかに似ている。記憶の中にいるだれかに。
「イリーナ?」
反芻して、思い当たる。
(イリーナ=ザイオンか)
多少、聞いた覚えがある。帝国滞在中、現在のザイオン皇家に関する話題には事欠かなかった。イリーナ=ザイオンは、先帝シウェルハインと側室イリーシャの娘であり、第六皇女。同腹の兄妹にはイオン、イーシャ、イリシアがいる。“大破壊”後、南大陸にいなかったため、北大陸にいるものと想われていたが、実際にその通りだったということだろう。
分霊が依り代としてザイオン皇家の人間を用いているという例は、既にファリアの耳に入っている。
つまり、イリーナが分霊の依り代となっているということであり、どこかで見たことがある気がしたのは、母を同じとするイリシアと顔の作りが似ていたからだろう。ザイオン皇家の中でも、異質な、どこか柔和な印象を覚える顔立ち。
「我は大いなるナリアが分霊、雷天星ディルムラ」
それは、いった。声は雷鳴の如く轟き、天地を震撼させ、ファリアの全身を突き抜けた。マリカが慌てて剛雷刀を掲げ、雷の結界を形成する。雷天星ディルムラの攻撃手段が、雷によるものであれば防ぎきることもできるかもしれない。淡い期待だが、なにもしないよりはずっと増しだ。すると、ディルムラは、その長い腕を頭上高く掲げた
「我が領域に踏み入りたる愚者どもには、ただ、裁きの鉄槌を下そう」
ディルムラの全身を走る雷光が手の先に収斂していく。膨大な量の雷光が束となり、さらに形を変えていく中、悲鳴のような叫びが聞こえた。
「待ってください、イリーナ様!」
「殿下! 聞こえないのですか!」
悲痛な叫びを上げる帝国人たちに、ファリアは、冷水を浴びせるべく告げる。
「無駄よ。分霊は、ザイオン皇家のひとびとをその依り代としているのよ」
「そんな!?」
「どうにもならないんですか?」
「ならないわ」
冷酷だとは想ったが、そういうほかなかった。
「残酷だけれど、それが現実なのよ」
マユリ神はいった。神の、分霊の依り代となったものを救う方法はない。依り代となった瞬間、神や分霊の持つ膨大な情報量に意識を灼かれ、自我は愚か、その精神、魂までも消滅してしまう可能性が高い。ましてや依り代と化したばかりではないのならなおさらだ。分霊の依り代となったものたちは、魂さえも消滅してしまっているだろう。
救う方法はない。
できることがあるとすれば、依り代となった肉体を分霊から解放することだけだ。そしてそれは、分霊を滅ぼすことそのものであり、肉体を取り戻すことではない。分霊を滅ぼすほどの力をぶつければ、肉体も無事では済まないのだ。取り戻すことはできない。たとえできたとして、それは結局のところ、自己満足に過ぎない。なにも解決はしない。依り代となったものの魂はそこには存在しないのだから。
とはいえ、帝国人武装召喚師たちの気持ちがわからないわけでもなく、だからこそファリアは心苦しかった。かつて、実の母親がアズマリアの魂の器だったことが判明したとき、どれほど苦しんだものか。それでもファリアはアズマリアを討つことにすべてを賭け、失敗した。いまにして想えば、失敗して正解だったのだろうが、当時の感情としては、そうではなかった。アズマリアを討つことがすべてだったのだから、当然だろう。
彼らの気持ちは実感として理解できる。しかし、だからといってここでイリーナの肉体を救う方法を考えている余裕はなかった。ディルムラは既に動いている。手の先に収斂させた雷光を身の丈以上もある長槍に作り替え、振り翳したのだ。穂先が二叉に分かれた白銀の長槍。その切っ先がこちらに向けられる。二叉の穂先の間に電光が走っていた。
「あれはイリーナ殿下じゃあないの。分霊ディルムラよ。切り替えなさい」
自分でもはっとするほどの冷徹な声で告げながら、彼女は、周囲の視線を意識した。動揺が収まらない。このままでは、全滅する可能性がある。
「でないと、死ぬわよ」
ファリアがいうよりも早かったかもしれない。ディルムラの槍の切っ先が瞬くと、その瞬間、世界そのものが閃光に染まり、凄まじい衝撃が大地を貫いた。音が遅れて聞こえてきたのは、その光の速度故だろうが、威力もまた強烈というほかなかった。再び、吹き飛ばされたのだ。槍の切っ先から放たれた光弾は、雷の結界に直接着弾したわけではないのだろうが、その衝撃波は結界を地面ごと吹き飛ばすのに十分過ぎるほどに強力だったのだ。
ファリアを含め、全員が全員中空に投げ出され、吹き飛ばされていく中、ディルムラの槍の穂先に電光が走るのが見えていた。再び、閃光。大地への着弾。轟音と衝撃波、そして、断末魔。爆風がファリアの体をさらに高く打ち上げる。また、閃光。光弾が地面に突き刺さり、爆発が起こる。またしても何人、あるいは何十人かが巻き込まれている。死傷者の数はわからない。閃光――。
一方的な攻撃に蹂躙されるしかないという現実を前にして、ファリアは歯噛みした。悔しがったところで、相手の力量を見定められず、相手の出方を窺った時点で負けなのだ。機先を制するべきだった。ディルムラが出現したとき、総力を叩き込むべきだった。それでも勝てたかどうかは怪しいものだが、一方的な攻撃に曝され続けるよりはずっとましだろう。
ディルムラの光弾攻撃は、止むことを知らない。閃光と爆音の連鎖。そこに悲鳴がときどき混じり、こちらの戦力が徐々に削られていることがわかる。死者が出ていないことを祈りたいが、これほどまでに苛烈な攻撃に曝されれば、そういうわけにもいかないだろう。一撃一撃の威力が凄まじいのだ。直撃を受けずとも、巻き込まれるだけで命を落としかねない。
ファリアは、空中をさまよっている。爆風に翻弄されているのだ。人体を吹き飛ばすほどの風圧の連鎖は人間の感覚を狂わせるにたるほどのものなのだろうが、幸いにも正常な感覚を失わずに済んでいる。女神の加護や諸々の召喚武装の影響だろう。と、爆煙を切り裂いて、翼を広げた武装召喚師が近寄ってきた。その女召喚師は、ファリアを目視すると、大声を発してくる。
「ファリア様、御無事ですか!」
「え、ええ……なんとかね」
女召喚師に抱き抱えられながら返答し、感謝を述べる。
「助かったわ、ありがとう」
「なにをいいます。ファリア殿こそが生命線なのですから、お守りするのは当然のこと」
「わたしが生命線?」
「そうでしょう」
碧い翼の女召喚師は、その童顔に合う屈託のない笑顔で告げてきた。名は確か、ジナ=ハーロンだったはずだ。年齢はファリアと変わらないはずだが、外見的には、ジナのほうが遙かに若く見えた。いや、幼く見えるといったほうが正しいかもしれない。
「我々は、帝国で武装召喚術を学びましたが、その源流は武装召喚術の総本山リョハンです。ファリア様は、リョハンにて生まれ育ち、武装召喚術を修め、いまはリョハンの最高指導者たる戦女神なのでしょう。しかも、わたしたちなどより戦闘経験も豊富で、数多の死線を潜り抜けてこられた」
ディルムラの爆撃が間断なく続く中、彼女はいった。
「そんなあなたならば、わたしたちのすべてを託すことができる」
碧い翼が空を駆け抜けていく中、数多の翼が彼女を先行する。
様々な軌道を辿っているのは、ディルムラの攻撃目標を散らすためだろう。