第二千五百八十五話 神雷、斬り裂いて(一)
降り注ぐのは雷の雨だ。
頭上を埋め尽くす雷雲は、常に帯電しており、一定間隔というよりは間髪を容れず雷を落としてきた。当然、自然発生的なものではなく、人為的なものであると考えるべきだろう。人為というよりは、ナリアの使いの力なのだろうが。使徒か分霊か。いずれにせよ、大いなる神ナリアに力を分け与えられた強大な存在なのは間違いなく、その領域の空が遙か彼方まで雷雲に覆われているのは、その神の使いたるものが司る力が雷に関するものだから、なのだろう。
雷雨ではなく、雷そのものが雨のように、いや、豪雨のように降り注ぎ、大地に直撃しては破壊する。ただの雷ではない。破壊的な威力を持った雷は、神より与えられた力が多分に込められており、直撃を食らえば、神の加護を受けたファリアたちとてただでは済むまい。しかも凄まじい量の雷が間断なく降り注いでおり、避けようがなかった。
ではなぜ、ファリアが冷静に状況を分析していられるかといえば、部下として同行している統一帝国の武装召喚師が雷避けの結界を作り出したからだ。既に召喚武装を呼び出していたことが功を奏した。マリカ=ネドリッドの召喚武装・剛雷刀は、雷光を刀身に纏わせることで斬撃を強化する能力を基本とするが、その雷を周囲に発散することで結界を作り出すこともできるのだ。そして、雷の結界は遠距離攻撃から身を守ったり、敵の接近を阻むだけではない。雷を地に受け流すことができるのだ。
よって、ファリアたちは、雷の結界に籠もることで、だれひとり欠けることなく雷の豪雨の中を生き延びていた。
けたたましい轟音の連鎖と、大気の振動、閃光の乱舞に、連続的な雷の衝突によって生じる大地の激震が雷の結界の中にいても安心感を奪い去っていくものの、この中にいる限り、雷に打たれることはなく、ファリアたちは、どうするべきかと思案する時間を得た。とはいえ、無限に長く籠もっていられるわけもないし、そのような時間的猶予もない。まず、マリカ=ネドリッドの精神力が持たないということもあるが、第一に早急にナリアの使いを探しだし、斃さなければならないという理由がある。そも、ファリアたちは、そのナリアの使徒なり分霊なりを撃滅するべく、この雷雲の領域に転送されたのであり、雷の雨に打たれ続けている場合などではないのだ。
「しかし、このうるささの中では作戦会議もままなりませんね」
マリカ=ネドリッドがその切れ長な目を細め、苦笑した。彼女は、鋭角的な、稲妻の軌跡を模したような刀身を持つ大刀を頭上に掲げている。刀身から発散する紫電の光は、彼女の頭上に伸びると、周囲に拡散し、半球型の障壁を構築するに至る。その雷の結界は、ファリアを含む五百一名を内包することができるくらいには広く、また、敵の雷を受け流すことができるくらいには強度がある。同じ雷だからこそ受け流せるのだ、というのは彼女の言だが、実際、そうなのだろう。これが雷ではなく、炎や岩の雨ならば、雷の結界は割られ、ファリアたちは大打撃を受けていたに違いない。
「そうね。でも、仕方がないわ」
耳をつんざくような轟音の連鎖は、鳴り止む気配を見せない。この雷の雨が意図的なものであり、ファリアたちを殲滅することを目的としている以上、ファリアたちが死ぬまで止むことはないだろう。あるいは、現状を打破するなにがしかの行動を取らない限りは、だ。
「敵は分霊というわ」
つい先程、マユリ神から入ってきた情報だ。ほかには、分霊が依り代として、ザイオン皇家の人間の肉体を用いているということも聞いたが、それについては帝国人たちには伝えなかった。伝えたところで彼らのやる気が削がれるようなことはないにせよ、多少なりともやりにくくなるかもしれない。そして、分霊との戦いではその多少のやる気が命取りになりかねない、と、マユリ神はいう。故に皇族であることは伝えるべきではなかったし、なんなら、分霊が圧倒的な力を持っているという事実さえ、伝えなくともいいのではないか、と、マユリ神はいっていた。
しかし、それにはファリアは従わなかった。事情はどうあれ、敵の強さはしっかりと認識しておくべきだ。でなければ、力の加減を間違え、余計な損害を出しかねない。
「分霊は、神人や神獣はもちろんのこと、使徒以上の力を持っているそうよ。神の分身だものね」
ファリアは、物凄まじい雷鳴の中でも聞こえるよう、声を張り上げた。五百名の部下は、ファリアの至近距離に集まっているのだが、それも、この降りしきる雷の音のせいといっていい。雷鳴が声を掻き消してしまう。
「つまり、極めて困難な戦い、ということですね」
「そりゃあわかりきっていたことでしょう」
「確かに」
一癖も二癖もありそうな帝国人たちが口々にいう。
「問題は、その分霊がどこにいて、どうやったら戦えるのか、ということよ」
「居場所なら、あの雲の中でしょうよ」
「でしょうな」
「……そうね。それ以外、考えられないわね」
おそらくは雷を司るのが、この塔の、この領域の分霊なのだろう。マユリ神の話では、ほかの塔には、炎熱を司る分霊がおり、また、水を司る分霊がいたという。分霊は、八柱。それぞれ異なる性質、属性を司っているようだ。ファリアたちが斃すべき分霊は、雷を司る。それは、見ればわかることだ。これだけ雷を雨の如く降らせておいて、別の属性というのは、ありえないだろう。
そして、この雷の雨の中、分霊が隠れられそうな場所といえば、雷雲の中を除いてはほかにはない。地中というのもあるにはあるが、それは、大地や土砂を司る分霊の座所であって、雷を司る分霊には不釣り合いだ。ならばやはり、雷雲の中にこそ分霊は潜んでいるのだろうが、それがわかったところで、現状、どうすることもできない。
「しかし、この雷の雨をどうにかしないことには、雲の中を探すこともできないですね」
帝国人のひとりが嘆息すると、銀鎧の男がマリカ=ネドリッドに声をかけた。
「マリカ。このまま移動できないのか?」
「無理無理。この広さを維持するだけでも大変なのに、移動しながらなんて、わたしに死ねといっているようなものよ」
「そうか。それは済まなかった」
「マリカちゃんが移動しなくてもさ、だれかがマリカちゃんを抱えて移動すればいいんじゃ?」
「なるほど、それはいい。じゃあ、俺が抱えて――」
「死にたいの?」
マリカが冷ややかな視線を投げかけたのは、銀鎧の男が下心を前面に押し出していたからだろう。
「この結界、案外繊細なのよ。強度と広さを維持しつつ移動なんて無理よ。残念だけど、これが限界なの」
「そうか……それは残念だ。本当に」
「あなた、一度雷に打たれたほうがいいんじゃないかしら?」
マリカと銀鎧の男のやり取りは鋭く激しいものだが、周囲の帝国人たちの反応からして、ふたりは常日頃からそのような口喧嘩ばかりしている間柄のようだった。仲が良いのだろう。
「痴話喧嘩はともかく」
「だれが痴話喧嘩ですか」
「そうです。俺はマリカのような華奢な女性よりもですな、もっとこう……」
「この戦いが終わったら覚えておきなさいよ」
「……現状、この結界から抜け出すのは自殺行為で、結界ごと移動することもできない。だからといって、雷の雨が止むのを待つのは愚策も愚策。ならば、と、ここから雷雲を攻撃したところで、どうなるものかしらね」
ファリアは、頭上を仰いだ。雷光の結界の向こう側。空を埋め尽くす分厚い雷雲からは間断なく雷が降り注ぎ、雷光の結界に衝突しては表面を伝って流れ落ちていく。
「やってみますか?」
「やってみてもいいけど、わたしのは駄目ね」
「駄目とは?」
「オーロラストームは雷を撃つ召喚武装よ。相手が雷なら、効果がないわ」
「では、我々の中から遠距離攻撃が得意なものにやらせてみせますか?」
冷静さを取り戻したマリカの提案に、ファリアは、少しばかり考えた後、首を縦に振った。