第二千五百八十四話 大地母霊(六)
ジメオンは、相変わらず悠然とした様子でこちらに向かってきていた。重力を無視した移動法も、神の分霊ならばなにひとつ不思議には思えない。大いなる神ナリアが分霊、土天星ジメオン。その力の膨大さ、凶悪さについては、いまさら考えるまでもないだろう。ミリュウがこれまでの人生で戦ったことのあるどの敵よりも凶悪で強大、強靱な存在といっていい。
神に等しい力を持っているのだ。
強いというのは当たり前だったし、こちらの生半可な攻撃がまるで通用しないのもわかりきっていることだ。実際、帝国人召喚師たちの弾幕は、ジメオンには一切通用していなかった。先程までと同じだ。前面に展開された黄金の壁が召喚武装の攻撃を受け止め、本体には一切届いていない。威力を絞ったとはいえ、擬似魔法さえ黄金の障壁を貫くことはできなかった。多少、傷を作った記憶はあるが、それも新たな障壁を作られれば意味はない。
ジメオンの撃破には、黄金障壁をどうにかした上で、おそらくはそれ以上の強度を誇るであろうその体を破壊する必要があるということだ。並大抵の攻撃では、傷ひとつつけられないのは目に見えている。
ならばこそ、ミリュウは、こういうときのために積み上げてきた研鑽、その成果を発揮しなければならないと思った。そして、実行に移しているのだ。ラヴァーソウルの無数の刃片を磁力で結びつけて虚空に編み上げていくのは、擬似魔法と似て非なる文字配列。描く文字は、古代神聖文字に変わりはないが、内容が大きく異なる。文法自体が、擬似魔法と異なるのだ。その文法はむしろ武装召喚術に似ていた。
武装召喚術に似た、魔法の詠唱。
ミリュウは、ジメオンを見遣りながら、全神経を術式の構築に注いだ。ここから先は、ひとつでも間違えれば大惨事になりかねない。つまり、その間なにもできないということであり、帝国人たちを信じ、彼らに護られることを受け入れるしかないということでもあった。帝国人たちは、それぞれ愛用の召喚武装に合った戦い方でもって、ジメオンと対峙している。浮島にあって防御障壁を展開するもの、支援能力を発動するもの、指揮を執るもの、遠距離攻撃用の召喚武装でジメオンに狙いを定めるもの、飛行用召喚武装で浮島を飛び離れ、ジメオンの攻撃目標をばらけさせようとするもの、様々だ。
それら帝国人の反応を見て、だろう。
ジメオンは、黄金の壁を解き、哀れむような表情になった。
「弱きもの、小さきものよ。何故、そうまでして命を無駄にする。ただ一度の人生。天寿を全うしたいとは思わぬのか?」
ジメオンの周囲に大小無数の宝石が出現する。先程よりも巨大宝石の数が増大しているところを見ると、浮島への攻撃には巨大宝石が効果的だと理解したようだ。巨大宝石の破壊に気取られ、通常の宝石弾が浮島に着弾する可能性が高くなる。もちろん、そのために浮島全体を覆う障壁が張り巡らされたものの、それがどの程度防げるものなのかはわからない。少なくとも、ジメオンは問題ないと考えているようだ。
「そんなことを少しでも考えるのなら、武装召喚術なんて学ばないのですよ」
「そうそう、まったくその通り!」
「修業時代から死ぬような想いの連続ですものな」
帝国人たちが口々に叫び、先制攻撃を仕掛けた。つまり、宝石弾を撃ち出される前に打ち落とせば、処理もしやすいと考えたのだろう。嵐のような苛烈な攻撃の数々が巨大宝石をつぎつぎと破壊し、ジメオンの訝しげな表情を引き出すことに成功した。ジメオンは、理解しがたいものでも見るかのように帝国人たちを見遣り、そして腕を振り翳した。宝石弾が動く。
「……死を恐れぬか。なんと哀れな、哀れなものよ」
ジメオンの言葉に応じるかのように無数の宝石弾が浮島に向かって放たれたが、その大半は武装召喚師たちによって打ち落とされ、あるいは拘束された。いくつかは浮島に飛来したものの、障壁を打ち破るには至らなかった。小型の宝石弾ならば、浮島の防御障壁で受け止めることができるということだ。ジメオンが目を細めた。
「あなたに同情される理由はありませんよ、侵略者」
「そうです!」
「さっきから不愉快なんだよ、あんたは!」
口々に怒りをぶつけた武装召喚師たちは、その翼でもって空を舞い、中空のジメオンへの接近を試みた。宝石弾もなければ黄金障壁も存在しないいまこそ、ジメオンに攻撃する好機だと考えたのだろう。が、それは当然、ジメオンがわざと作り出した隙であり、ジメオンは、哀れみをもって彼らを一瞥し、両腕で虚空を薙いだ。すると、黄金色の剣閃が虚空を走り、武装召喚師たちは胴体を真っ二つに切り裂かれ、断末魔さえ上げられないまま落下していった。
奈落の底へ。
見れば、ジメオンの近くに巨大な黄金の剣が二本、出現していた。ジメオンは、それを咄嗟に作り上げ、斬りつけたのだろう。遠距離の敵には宝石弾で攻撃し、近距離の敵には黄金剣を振るう。それがジメオンの戦闘方法なのだろうが。
「シギル! ザナ! ドーク!」
「よくも皆を……!」
武装召喚師たちが怒りも露わに、すべての攻撃をジメオンに集中させる。しかし、ジメオンは、黄金剣を旋回させてそれら遠距離攻撃を受け止め、あるいは切り裂くことで防ぎきって見せると、虚空を蹴るようにした。一足飛びに虚空を駆け抜けながら、空飛ぶ武装召喚師たちをつぎつぎと斬り殺し、ついには浮島の頭上へ至る。
ミリュウは、多数の帝国人が絶命とともに奈落の底に落ちていったのを見届け、そして、ジメオンを眼前に捉えた。黄金に輝く女は、二本の黄金剣を振り翳し、こちらを見下ろしていた。宝石のように輝く双眸には、哀れみがある。
「ミリュウ殿を守り抜け! なんとしてでも!」
「おう!」
「ええ!」
召喚武装の性能のせいでこれまで戦闘に参加できなかった武装召喚師を含め、帝国人たちが戦意も高く吼えた。遠距離攻撃用の召喚武装ならばともかく、近距離戦闘用の召喚武装では、浮島から遠く離れた敵を攻撃することなどできない。しかし、いまやジメオンは頭上。飛びかかれば、斬りつけられる距離だ。とはいえ、通用するかどうかといえば、しないだろうとしか思えなかった。黄金障壁と黄金剣がある限り、ジメオンを傷つけることは難しい。このまま挑みかかっても、無駄に死ぬだけだ。
無意味に、死ぬだけだ。
だから、というわけではないが、ミリュウは口を開いた。
「もう、いいわ」
「はい……はい?」
「ど、どういうことですか?」
狼狽する帝国人とは異なり、ジメオンは、それまでとは異なる表情を見せた。哀れみに満ちていたものから、得心のいくものへ。
「ほう。ようやく我に敵わぬと悟ったか。我に降り、我とともに生きると誓うか」
「ええ。誓うわ」
「ミリュウ殿!?」
「正気ですか!?」
帝国人たちの納得しがたいといわんばかりの反応を聞きながら、それでもミリュウは続ける。ただひとつの想いを伝えるために。
「あたし、ミリュウ=リヴァイアは、セツナ=カミヤを一生愛することをここに誓います」
「え?」
「は?」
「なにを……?」
ミリュウの発言に呆気に取られたのは、帝国人たちだけではない。ジメオンも理解しがたいとでもいわんばかりの表情を見せ、一瞬、動きを止めた。が、ミリュウにしてみれば、なにも不思議な発言ではなかった。それこそ、彼女の新たな術式、その発動の鍵。
術式は完成し、それは発動した。
そして、発動の瞬間、勝負は決した。
まず、ジメオンの左右に浮かんでいた黄金剣が突如ひしゃげたかと思うと、見えざる巨大な手で握り潰されるようにして形を変えた。ジメオンはなにが起きたのか理解するよりも早く、とにかく自分の身を護るべく黄金障壁を展開したが、その黄金色の壁も、見えざる暴圧の前には為す術もなかった。容易く打ち破られ、引きちぎられる。しかし、それはむしろジメオンの思う壺だったのだろう。黄金障壁が引き裂かれたときには、ジメオンは遙か遠方に移動しており、無数の宝石弾を生み出していた。そして、宝石弾をこちらに向かって撃ち放つ。
無数の宝石弾が殺到し、帝国人たちが悲鳴さえ上げる中、ミリュウは、宝石弾が見えざる力によって打ち砕かれ、あるいは弾き飛ばされるのを見ていた。凄まじい疲労感のせいで立っているのも困難だが、致し方がない。本来ならばなにがしかの犠牲が必要なところを自分の精神力だけで補ったのだ。意識を保っていることさえ、奇跡といっていい。
「召喚……召喚したというのか!?」
ジメオンは愕然とした声を上げながら、黄金を練り上げ、巨大な槍を生成した。そして、それを先程の弾丸と同じように飛ばしてきたが、しかしそれは、浮島とジメオンの間の空中で止まり、黄金剣と同じ容易さでひしゃげ、でたらめに破壊された。
そして、つぎの瞬間だった。
ジメオンが宝石弾や黄金障壁、黄金剣をつぎつぎと生み出していく中、分霊の体そのものがひしゃげたかと思うと、ばらばらに引き裂かれ、粉々に打ち砕かれ、跡形もなく消え去っていった。ジメオンの姿形どころか気配さえ、余韻さえ残らない。
すべてはあっという間の出来事であり、ミリュウは、その余韻さえ残さない圧勝ぶりに感嘆しながらも、同時にその消耗の激しさと負担の大きさには、なんともいえない気持ちになった。相手が相手だから使う覚悟を持ったものの、そう頻繁に使っていい代物ではない。
「還って……いいわよ」
ミリュウは、だれとはなしにつぶやいて、その場にへたり込んだ。
召喚は成功した。
そして、送還にも成功した。
「勝った……んですか?」
「ジメオンを斃した?」
「ええ……終わったわ。あたしたちの戦いは、ね」
凄まじい疲労感に襲われる中、彼女は静かに告げ、目を閉じた。意識を保っていることすら困難だった。このまま、だれの邪魔もされずに眠りにつきたいくらいだが、そういうわけにもいくまい。
見届けなければならない。
セツナの勝利を。