第二千五百七十九話 大地母霊(一)
「ぶはっ」
やっとのことで土中から抜け出すことのできたミリュウは、空気を求めて喘いだ。口の中に土や砂が入り込んでいて、唾と一緒に吐き出そうにも吐き出せず、気持ちが悪かった。口の中を水で注ぎたいのだが、そう都合良く水場があるわけもなければ、飲み水など携帯しているはずもない。
「まったくもう、なんなのよ、いったい。死ぬかと想ったじゃない」
だれとはなしに吐き捨てて、全身の土を払い落とす。
「普通なら全滅してますよね……」
「ああ……」
「普通なら、な」
部下としてあてがわれた統一帝国の武装召喚師たちも、ミリュウと同じように土中から這い出し、苦い表情のまま、口の中の異物を吐き出したり、全身に付着した土を払い落としたりしていた。ミリュウを含めた五百二名、全員が無事だ。ダルクスは相変わらず無言のまま甲冑についた土を落としており、その様子には頼もしささえ覚える。別に帝国の武装召喚師が頼りにならないとか、そういうわけではないのだが、やはり、長期間行動をともにしているということもあり、ダルクスには信頼を置いていた。
それはそれとして、ミリュウたちが突如発生した大地震によって土砂の生き埋めとなりながらも、その大量の土砂の中から生還することができたのは、やはりマユリ神の加護のおかげであろう。帝国人のいうとおり、普通ならば全滅していてもおかしくはない。
土砂による圧迫は、通常、人間の肉体では耐えきれないほど強力なものだったが、女神の加護はミリュウたちの肉体を護り、彼女たちが土中から脱出することを可能とした。とはいえ、全身土砂にまみれ、口の中は不快感で一杯だ。まさか、八極大光陣攻略にこのような不快感を味わうとは想像もしておらず、彼女は、不愉快さのあまり地団駄を踏んだ。
周囲は、ミリュウたちを飲み込んだ大量の土砂によってむしろ平坦な大地が作り出されていた。頭上には灰色の空があり、ここが塔の中だという事実を忘れさせる。
「普通じゃないから全滅しないで済んだのよ。みんな、マユリ様に感謝するように」
いつものくだけた呼び方ではなく、敬称をつけたのは、帝国人たちにマユリ神を軽く見られたくないからだった。ミリュウとて、愛称でマユリ神を呼んではいるものの、心の底から尊敬し、信頼しているからこその愛称であり、別に馬鹿にしたり、見下したりしているわけではないが、そんな機微が初対面に近い、マユリ神の凄さ、素晴らしさも知らないものたちに伝わるはずもない。故に言動には細心の注意を払わなければならない。
この戦いは、マユリ神の加護があってようやく成り立っているといっても過言ではないのだ。マユリ神が評価されないことが許せるはずもない。
もちろん、帝国人武装召喚師たちが自分たちの置かれている状況を理解していないわけもなく、彼らは、ミリュウの言葉に素直にうなずき、受け入れたが。
「それはさておき……敵はどこにいるのかしらね」
周囲。
限りなく広がる土砂ばかりの大地は、終着点が見えないほどに広大なようだ。塔内部の空間そのものが、この塔の支配者によってねじ曲げられているということの証明、らしい。女神の推察によれば、だが、疑う理由もない。そして、これほどのことができるのは使徒ではなく、分霊だろうということだ。使徒は、神の使いだが、分霊は神の分身であり、力の性質そのものが違うという。
「転送先の近くにいるはず、とのことですが」
「だとすれば、地下……かしら」
頭上には、それらしきものはない。灰色の空が無限に近く広がっているだけであり、そこに異物は見当たらなかった。となれば、このミリュウたちを生き埋めにした土砂の中か、あるいはさらにその下に潜んでいるということになる。帝国人のいうとおり、ミリュウたちの転送地点は、八極大光陣の中の光点付近であり、それはつまり、近くに敵がいるということだ。もっとも、あまりにも近くに転送すると、転送直後敵に攻撃される恐れもあり、多少、距離を取るよう調整してくれたらしい。それでも全員を巻き込むほどの攻撃を受けたのだから、相手は恐ろしく強い、と見るべきだろう。
全神経を研ぎ澄まし、すべての感覚を総動員して気配を探るものの、そのようなことでわかるような距離や位置にはいなさそうであり、やはり、遙か地下に潜んでいると考えるのが正しいようだった。帝国の武装召喚師たちが、周囲の土砂を抉り取るように地面への攻撃を始める。堆く積み上げられた土砂を吹き飛ばし、大地を掘り起こし、分霊を探し当てようというのだろう。
ミリュウは、ラヴァーソウルの刀身を無数の刃の破片にすると、刃片による呪文の構築を開始した。ラヴァーソウルは磁力を操る。刀身は、磁力を帯びた刃片の集合体であり、磁力を解くことで無数の刃片に分かれる。その無数の刃片を磁力によって制御し、操作することで古代言語による呪文を構築し、術式を再現していくのだ。
それは彼らの行動を支援するためというよりは、彼らが掘り当てるだろう分霊に先制攻撃をぶちかますつもりだったが、しかし、ミリュウの思い通りにことは運ばなかった。なぜならば、突如として状況が一変したからだ。
武装召喚師たちが召喚武装によって吹き飛ばした土砂が空中で凝縮し、土の塊となったかと思うと、手足を生やし、異形の巨人の如くその姿を改めたのだ。それも一体どころではない。二体、三体とつぎつぎと土の巨人が誕生し、土中からも這い出すようにして怪物たちが誕生する。土の巨人は十体、土の怪物は百体以上誕生し、なおも出現し続けている。
ちなみに土の怪物は、複数種の獣を混ぜ合わせたような外見をしている。
「これはいったい……」
「なんなんです?」
「分霊の手先でしょ」
ミリュウは告げ、紡ぎ上げていた術式を急遽完成させ、発動させた。刃片の詠唱による擬似魔法は、発動の瞬間、ミリュウの周囲に多量の光が発生し、光は、無数の光線となって、ミリュウたちを包囲し、いまにも襲いかかってこようとした土の怪物たちに殺到していく。光線の数々は、たやすく土の怪物を貫き、破壊し、粉砕していったものの、打ち砕かれた怪物の土の体は、ばらばらになったかと思いきやすぐさま元の形に戻り、ミリュウをうんざりさせた。よく見れば、完全に元通りに戻っているわけではないようだ。光線によって消滅した質量の分だけ、小さくなっている。
つまり、こういうことだろう。
「あいつら、完全に消滅させなきゃ小さくなって復活するみたいよ」
「それはまた厄介ですね」
「しかし、やるしかないでしょうな!」
「そりゃそうよ」
ミリュウは、帝国人たちが奮起するのを横目に見ながら、ダルクスに目線で頷いた。ダルクスは、こちらを見ていて、なにかを訴えかけてきていたのだ。彼は言葉を発さないが、ミリュウには、彼の考えていることはなんとはなしに理解できた。なんとなく、だ。完全に理解できるわけもないのだが、それだけでいいと思えた。なにもわからないよりは遙かに増しだろう。
ミリュウの返事を受けて、ダルクスが動く。
地を蹴り、前方の敵の群れの真っ只中に飛び込むと、彼はおもむろに地面を踏みしめた。敵が動くより早く、彼の鎧から染み出すように闇が溢れ、地を走った。闇色の波紋が広がっていく中、土の怪物たちが警戒感もあらわに飛び離れようとするも、時既に遅し。闇の波紋が生み出す重力波が多数の怪物を捉えていた。波紋より離れるべく跳躍した土の怪物たちは、瞬時に闇の波紋へと吸い寄せられ、空中でぶつかり合いながら波紋の中心に向かう。そのときには、ダルクスは波紋から離れているため、ダルクスが自滅するようなことはない。
ダルクスが常に身につけている甲冑は召喚武装であり、重力を操ることができた。
ダルクスが生み出した重力場は、数十体の土の怪物を一点に引き寄せたまま、拘束した。ただし、その拘束は決して長くは持つまい。重力場はダルクスの制御を離れている。攻撃するならばいましかない。ミリュウは、帝国人たちに指示を出そうとしたが、優秀な武装召喚師たちには、彼女が命令するまでもなかった。
様々な召喚武装による、多種多様な攻撃手段が、重力場に捕らえられた土の怪物たちに襲いかかり、大音響が大地を揺らした。