第二千五百七十八話 激戦の狭間
ニーウェハインは、アーリウルの肉体が糸が解れていくようにして崩れ去っていく様を見ていた。まるで無数の糸をより合わせてアーリウルの肉体を形作っていたとでもいわんばかりのそれは、人間の死に様ではなかったし、神人や神獣の死に様とも大いに異なるものだった。アーリウルが神人などよりも特別な存在を示しているのか、それとも、まったく別の理由なのか。アーリウルが使徒だとして、使徒とはいったいどういうものなのかもわからないニーウェハインには想像のしようもなかった。
アーリウルの肉体は無数の糸の如く崩壊し、そのまま消滅した。その場に残ったのはアーリウルの背後に現れ、絶命させたウルクだけであり、彼女は、余韻を堪能するようなこともなく、周囲の神人を攻撃し始めた。ニーウェハインは、はっとなり、彼女に倣って敵軍への攻撃を再開する。
アーリウルは、撃滅した。
それは喜ばしいことであり、特筆すべきことだが、しかし、それで戦局が動くはずもない。戦況は、相変わらずだ。膨大な数の神人、神獣、神鳥が群れをなして戦野を満たしている。兵力差は圧倒的。戦力差こそ、辛くも拮抗できているとはいえ、このままではいずれこちらが押し潰されるのは目に見えている。なぜならば、神人や神獣には、体力の限界というものがないからだ。半永久的に活動できる神の化け物たちには、休養が必要ない。対して、人間は、無限に長く活動できるはずもない。休まなければならなかったし、食事も取らなければならない。ずっと戦ってはいられないのだ。戦線を維持し続けることはできない。
無論、そこまで長引く戦いではないことは明らかだ。
セツナがナリアを討つまで持ち堪えていればいい。それだけのことだ。だからこそ、最初から全軍に全力で戦うよう指示したのだ。長期戦など、端から無理な話なのだ。ならば、全力で戦う以外にはない。それこそが損害を少なくする唯一の道だ。
ニーウェハインは、翼を無数の帯状に展開したまま着地すると、その無数の帯でもって周囲の神人を薙ぎ払い、同じく分裂させていた右腕を束ね、掲げた。龍の頭を模した指先から光弾を乱射しながら、腕を振り回す。周囲に光弾をばらまいて神人や神獣の肉体を粉砕し、“核”を露出させる。破壊できるものは破壊し、できそうにない“核”は味方に任せつつ、神人たちをつぎつぎと撃滅していく。その中でウルクに歩み寄り、ようやく言葉を交わす機会を得る。
ウルクは、拳や足を用いた単純な打撃だけで神人の強固な肉体を粉砕し、“核”を暴き出しては破壊して回っていた。その迫力たるや凄まじいの一言だ。
「ウルク殿、助かった。感謝する」
「感謝されるようなことではありません、ニーウェハイン」
ウルクは、こちらを見ることもせず、ただ黙々と神人や神獣と激闘を繰り広げていた。神人たちもただ一方的に斃されているわけではない。ときにはウルクの攻撃をかわし、反撃を試みている。その反撃がウルクには一切意味がないだけだ。ウルクの体は、人間の肉体とは比較にならないほどに強固だ。並の召喚武装では、傷ひとつつけられないという。そこにマユリ神の加護や召喚武装の力が加わっているのだから、並大抵の攻撃で彼女を傷つけることなど不可能だろう。
「人形遣いだけは、わたしの手で斃したかった。ただそれだけです」
そういったとき、その瞬間だけ、ウルクの声音に感情が乗ったような気がしたが、ニーウェハインの勘違いかもしれない。ウルクは人間ではない。魔晶人形という、神聖ディール王国が作り出した戦闘兵器なのだ。最終戦争において大量に投入され、各地の戦闘で多大な戦果を上げ、帝国の武装召喚師たちも苦戦を強いられたという話だけは聞いている。
ニーウェハインとウルクの間には、浅からぬ因縁がある。ニーウェハインが最初にセツナを殺そうとしたとき、止めを刺せなかったのは、ウルクが乱入してきたせいであり、もしあのとき、ウルクが現れなければ、ニーウェハインはセツナを殺し、黒き矛の力を手に入れることができていただろう。もっとも、ニーウェハイン個人としては、ウルクに対しなんのわだかまりも持っていないため、どうということはなかったし、ウルクもニーウェハインがセツナを殺そうとしていたことについては、いまは考えずにいてくれているようだ。
「だとしても、貴殿の助勢のおかげなのだ。感謝の言葉、受け取ってもらう」
「わかりました」
ニーウェハインは、ウルクが素直にそういってくれてほっとした。ほっとしながら、周囲の神人を再び爆撃し、翼の触手で追撃を行う。どれだけ斃しても、どれだけ撃滅しても、神人の数は一向に減っている様子はなかった。大量同時撃破によって生じた戦場の空隙は、つぎの瞬間には神人や神獣の群れによって埋め尽くされている。休んでいる暇はない。つぎからつぎに補充される敵戦力を尽く排除していかなければ、供給に追いつかれ、追い越されかねない。
そんな中、ふと、疑問に思うことがあり、彼はウルクに尋ねた。彼女は、エスクとともに第六陣として八極大光陣の攻略に赴いたはずだ。戦場内を自由自在に転送移動すること自体はなんら不思議ではない。実際、ニーウェハインはそうやって戦場を転々としながら、各地で統一帝国軍将兵を鼓舞して回っている。
「ところで、そちらは離れても良かったのか?」
「はい。任務は無事完遂致しました」
「ということは、分霊を討った、ということだな」
「はい」
ウルクの力強い返答に、ニーウェハインは、喜びを噛みしめるほかなかった。八極大光陣を司る存在が使徒ではなく、格上の存在である分霊であると判明したときこそ不安を抱いたものの、それら分霊が見事討滅されたのだから、もはやなにも恐れるものはない。ニーウェハインは、歓喜の中で敵兵を薙ぎ払い、空から降ってくる神鳥に向かって光線を撃ち放った。
「エスクや皆のおかげです」
「貴殿も、だろう」
「もちろんです」
ウルクは当然のように肯定しつつ、神人の腹を蹴り飛ばした。一撃でもって神人の腹に大穴を開けるものだから、神人の肉体が柔らかいのではないかと勘違いしかけるのだが、それは大きな思い違いだ。ニーウェハインにせよ、ウルクにせよ、神人の強度を上回る攻撃力を持っているだけに過ぎない。実際、召喚武装も持たない兵士たちでは、神人の肉体を破壊するのは簡単なことではないのだ。それでもなんとか勝負になっているのは、マユリ神の加護などのおかげで損傷を最小限に抑え、多少の傷ならばただちに回復できるからだ。
神人と人間の最大の違いはその生命力、復元能力であり、それが改善されたのであれば、いくらでも戦いようはある。普通ならば致命傷になるような攻撃を食らったとしても、死を逃れ、逆に致命的な一撃を叩き込む機会とすることができるのだ。そうして、兵士たちは神人や神獣に食らいつき、つぎつぎと撃破している。だれひとりとして傷つくことを恐れず、死さえも受け入れるかのような猛勇を見せつけるのは、召喚武装の影響だが、もし、その召喚武装の力がなければ消極的とならざるを得なかっただろう。相手が相手だ。こればかりは、いくら皇帝が直々に鼓舞したところで、いかんともしがたいものがあったはずだ。
とはいえ、ニーウェハインが戦場を転戦し、各地で将兵たちの窮地を救ったことは、決して無意味ではない。ニーウェハインの戦いぶりは、すぐさまマユリ神によって全軍に通達され、そのたびに戦意がいや増しているからだ。皇帝が奮戦すれば奮戦するほど、帝国軍将兵の士気は高揚する。
それこそがニーウェハインがザイオン帝国皇帝であるという証だ。
帝国臣民にとって皇帝は神も同然であり、その神が身を以て有り様、生き様を示したのだ。これに興奮しない帝国軍人などいるわけがなく、ただでさえ興奮状態の将兵は、皇帝万歳、帝国万歳と叫びながら、物凄まじい奮戦ぶりを見せていた。
状況は、動いている。
移動城塞外部各地の戦局は、拮抗状態のまま、大きく変わってはいないものの、移動城塞内部では、八極大光陣の攻略が進行しているようなのだ。
『エスク隊以外も、つぎつぎと分霊の撃破に成功している。犠牲は決して少なくはないがな』
「……すべては、南大陸の平穏のためなれば……」
ニーウェハインは、マユリ神からの通信にそう告げた。
心苦しいことだが、致し方のないことだ。いまは、そう割り切るしかない。いまここで心を痛め、足を止め、動きを鈍らせるわけにはいかないのだ。
いまはただ、打倒ナリアのためだけに動くべきだった。
それが犠牲者たちの死に報いることにも繋がる。