第二千五百七十六話 人形遣い(三)
「あれは……」
飛行型神兵カルガーンに運ばれながら、アーリウルは、最前線に至ろうとしていた。
移動城塞ハインディアエンドの南方広範囲に渡る広大な戦場は、二色に塗り分けられている。北側を塗り潰すのは、白。百二十万の神兵の白濁とした体が大地を埋め尽くしているのだ。東、南、西を染め上げているのは、黒。およそ八十万の敵兵は、黒を基調とする甲冑を身に纏っており、それが白の軍勢と激突し、火花を散らしていた。
が、それ自体、普通ならばあり得ないことだ。いかに帝国軍人が精強であろうと、神兵を相手に正面からぶつかり合い、熱戦を繰り広げられるわけがないのだ。神兵の圧倒的な力の前に為す術もなく打ちのめされる以外にはない。神の加護によってある程度戦えるようになった、というのは、想像がつく。しかし、だとしても物量差が圧倒的である以上、こちらが優勢なはずなのだ。数の上で、質の上で、大きく上回っている。
だのに、現実はどうか。
激戦地と思しき最前線において蹂躙されているのはむしろ神兵たちであり、黒き異形の戦士が繰り出した攻撃によって多数の神人が消滅するのを目の当たりにして、彼女たちは、怪訝な顔をした。そして、黒き異形の戦士が人間とは思えないような攻撃手段を用いていることに注目する。
異形というのは、言葉の意味そのままだ。
その男は、右半身が黒く膨張し、人体とは異なる形をしていた。右の肩甲骨が肥大したかのような漆黒の翼がまず目に付いた。一見召喚武装のように見えなくもないが、大きく膨れあがった右肩や、膨張した異形の右腕を見ればそうではないことがわかる。右腕は、無数の龍の首が絡みつき合ってできているかのようであり、大きな指は、まさに龍の首そのものだった。指先が龍の頭なのだ。その龍の頭が咆哮し、光弾を撃ち出しては神兵を貫き、破壊している。攻撃手段はそれだけではないが、ともかくも、その異形の戦士は、たったひとりでとんでもない戦果を上げていた。
「なにものなのでしょう?」
アーリウルは、疑問とともにカルガーンに巻き付けていた糸を解き、地上に降り立った。かなりの高度ではあったが、問題はない。神兵の軍勢の中に着地し、神兵たちが薙ぎ倒されるのを見届ける。異形の戦士の攻撃だ。ほかにも神兵を相手に大立ち回りを演じているものがいないわけではないが、目下、もっとも厄介なのは、黒き異形の戦士だった。召喚武装とは思えない異形の半身は、神兵の強固な肉体を容易く破壊し、“核”をも貫き、容易く撃破していく。放っておけば、異形の戦士ひとりに戦局を左右されかねない。
ただでさえ、戦局が動いていないのだ。
本来ならば、既にこちらの勝利が決定づけられていてもおかしくはなかった。彼我の戦力差に神兵の能力を考えれば、アーリウルが前線に出る必要など、あるはずがないのだ。だが、どうやらそういうわけにはいかなかったらしいということが、わかる。
異形の戦士を放っておくことはできない。
あれは、神の加護を得ているとはいえ、神兵を容易く凌駕する力を持っている。
ならば、どう対処するか。
簡単なことだ。
“支配”してしまえばいい。
「その通りでございますね、お姉様」
アーリウルは、軽く跳躍し、大型の陸戦型神兵ダーカラムの広い肩に乗った。ダーカラムは、陸戦型神兵の中でも大型に分類される。もっとも、小型のダギリスでさえ人間とは比べものにならない大きさであり、中型のダーナムはさらに大きく、大型のダーカラムに至ると、巨人といって差し支えない身の丈となる。ただし、中型以上の神兵となると、一体を作り上げるのに複数の人間を必要とした。そのため、大型神兵の数はそれほど多くはない。小型だけでも十分な戦力となるのだ。中型以上は、ほとんどナリアの趣味といってよかった。
その大型陸戦神兵ダーカラムの肩から見下ろせば、戦場の様子が一望できるのだが、それによって理解できるのは、異形の戦士の戦いぶりだ。圧倒的といってよかった。龍の首でできたような腕を振り回して神兵を薙ぎ倒せば、龍の首から吐き出す力の奔流で吹き飛ばし、破壊する。翼で空を舞って、的を絞らせず、攻撃をかわしては反撃を叩き込む。見ているうちにつぎつぎと神兵が撃破されていて、アーリウルは、異形の戦士の戦いぶりに舌を巻いた。
(けれど、それもここまで)
告げて、アーリウルは、手を虚空に差し出すようにして、伸ばした。指先から糸を伸ばす。だれにも認識できない不可視の糸は、彼女の意のままに虚空を駆け抜け、空を舞う神兵の間を擦り抜け、異形の戦士へと至る。異形の戦士は、アーリウルに気づいてさえいない。気づくわけもない。アーリウルは、現在、認識外の存在となっている。だれにも見つからないし、だれにもわからない。アーリウルが足場にしているダーカラムさえ、彼女の存在を認識していないのだ。
認識できないまま、“支配”され、味方を蹂躙するのだ。
アーリウルの糸は、彼女の望むままに目標へ到達した。つまり、異形の戦士を捉えたのだ。一筋の糸が右腕に絡みつき、あっさりと体内に侵入する様を目の当たりにする。そして、体内から精神に至り、身も心も“支配”するのだ。それがアーリウルの能力。
ウルの“支配”は、対象と見つめ合う必要があったが、アーリウルとなったことでその必要がなくなったのだ。糸が、“支配”する。身も心も、なにもかも“支配”し、制御し、操縦する。ウルクにそうしたように、だ。
アーリウルは、ダーカラムの肩の上でほくそ笑んだ。彼女の糸は確実に異形の戦士を捉えた。捉え、“支配”の段階に移行している。そして、異形の戦士は、彼女の意のままに動き、こちらに右手を向けた。
(え?)
アーリウルは、咄嗟にダーカラムの肩を蹴って飛び退いた。異形の戦士の右手が光を発する。五本の光芒がダーカラムの上半身を貫き、さらに周囲の神兵を薙ぎ払っていく。彼女は辛くも難を逃れたものの、“支配”の糸が断ち切られた上、認識外にいるはずの自分を攻撃してきたことに混乱せざるを得なかった。
(なぜ? どういうことなの?)
アーリウルの狼狽を嘲笑うようにして、異形の戦士が追撃を放ってくる。無数の光弾が後退するアーリウルを襲う。アーリウルは、両手の指先から伸ばした合計九本の糸を前面に張り巡らせ、障壁を構築しながらさらに飛び退き、光弾の爆風から逃れた。光弾は糸の障壁に激突し、連続的に爆発を起こし、周囲の神兵を巻き添えにしていく。
「貴様か。ウルク殿を操った人形遣いというのは」
そういってきたのは、異形の戦士だ。糸の障壁の向こう側から、こちらに手を翳したまま、睨んできている。
その声には、聞き覚えがあった。ニーウェハインの声だ。ニーウェハイン・レイグナス=ザイオン。そういえば、ニーウェハインは、右半身が異形化していたことをいまになって想い出す。記憶の欠落がある。致し方のないことだ。アーリウルの肉体は、万全なものではない。どこもかしこも欠陥だらけだった。ばらばらになったふたりの人間をひとりの人間に再構築したのだから、当然といえば当然だろう。
「だったら、どうだというのでしょう? ニーウェハイン殿」
とは、強気に言い返したものの、アーリウルは、ニーウェハインが“支配”をどうやって振り解いたのかわからず、混乱の中にあった。“支配”は、この世界に生まれ育った人間には絶対的なものだ。製造物であるウルクでさえ、アーリウルの“支配”を脱却することはできなかった。物理的に糸を断ち切る以外の方法では、だ。では、ニーウェハインが糸を断ち切ったかというと、そうではない。糸はいまもニーウェハインに絡みついている。しかし、どういうわけか、ニーウェハインを支配できないのだ。
まるで、セツナのように。
「どうもせぬ。ただ、打ち倒すのみ」
「まあ、とてもわかりやすくて、素敵」
アーリウルは、軽く嘯いて、すべての糸を解放した。