第二千五百六十話 風の掟(三)
風天星マグラールの空域に攻め込んだのは、シーラを含め五百一名。
そのうち、先程の竜巻群によって命を落としたのは三百七十二名。生き残ったのはわずか三分の一以下であり、生き残ることのできた条件というのは、風圧による拘束を振り解き、なおかつ空中を自在に移動することができる召喚武装が使えたかどうかということだ。飛行能力を持たない召喚武装の使い手は、たとえ風の拘束を打開できたとしても、つぎの瞬間に始まる自由落下の中で、竜巻に貫かれ、肉片と化していた。そして、生き残れたものたちも、竜巻を避けきれなければ絶命していただろうし、紙一重の生存だったのだ。
それは、わかっている。
だが――いや、だからこそ、シーラは、悔しかったし、憤りを覚えた。同時に、これがマユリ神がシーラを主力とする部隊を作った理由だったのだろうということも理解する。マユリ神は、シーラとハートオブビーストを戦力として高く評価している。しかしそれは、シーラが強いからではない。シーラがハートオブビーストの使い手であり、ハートオブビーストの最大能力が極めて強力だからだ。ただし、その能力の発動には条件があり、その条件を満たすためにこそ、この部隊が編成されたのだと想えば、やり切れなくなる。
血が、必要だ。
ハートオブビーストの能力発動の条件がそれだ。戦場に血が流れること。ハートオブビーストには複数の能力があるが、流れる血の量が多ければ多いほど、強力な能力の発動条件を満たし、多量の血が流れていれば、最大能力たるナインテイルの発動が可能となる。その血の量というのは、数値化できるものではないし、明確化しているものでもないが、感覚的にはシーラにも把握できている。
条件は、満たされている。
この空域で流れた血の量だけでは、足りない。圧倒的に足りない。しかし、シーラは、ハートオブビーストがこの空域のみならず、極めて広大な戦場を認識していることに気づき、それにより発動条件が満たされたのだと知った。ラミューリン=ヴィノセアの召喚武装・戦神盤の能力がマユリ神によって強化されたことが、ハートオブビーストにも影響を与えているのだ。戦神盤が戦場と認識している領域に流れた血が、ハートオブビーストの能力を呼び覚ましている。
マグラールが、空域を運ばれていくシーラに向かって小竜巻を無数に飛ばしてくるが、それらは、生き残った武装召喚師たちが放ったなにがしかの遠距離攻撃に直撃し、膨張し、爆散した。小竜巻がなにかに触れることで爆散することは、先程判明している。つまり、小竜巻から身を守ることは、遠距離攻撃手段さえあれば可能だということだ。
そのことを認識しながら、シーラは、吼えた。
ハートオブビーストの最大能力を発動させる。ハートオブビースト・ナインテイル。血を触媒とするその能力は、発動と同時に斧槍を発光させた。爆発的な光の拡散の中で、シーラは、柄を握る手から全身に力が流れ込んでくるのを認めた。莫大な量の力の流入。体が灼けるように熱い。燃えたぎる感覚は、ハートオブビーストの、金眼白毛九尾の感情そのものが流れ込んできているからだろう。彼女は、シーラの感情に同調するかのように猛っている。その怒りがシーラの心と同調し、増大するのだ。
まず、頭髪が膨張し、全身を包み込んだ。頭髪の間から白い狐の耳が覗き、身に纏っていた衣服や鎧が弾け飛んだかと想うと、その瞬間には別の装束がシーラの全身を覆っている。臀部からは九つの白い尾が生え、シーラの五感は、とてつもなく冴え渡った。感覚の肥大と先鋭化。膨張しながらも鋭敏になっていく感覚は、奇妙といえば奇妙だが、不思議と違和感はない。むしろ、この万能感こそ、ハートオブビーストの最大能力を解放した感覚そのものであり、彼女はようやく、敵を睨んだ。
「シーラ殿……それが……」
「ああ。もうだいじょうぶだ。ひとりでいける」
シーラは、自分を運んでくれていた部下にそう告げて、手を離させた、その間もシーラに殺到する小竜巻だったが、いずれも部下たちの攻撃によって打ち落とされている。多少の逡巡ののち、空域に解き放たれたシーラは、自由落下を始めたものの、すぐさまその場に留まった。ハートオブビースト・ナインテイルは、九つの尾を持つ白き狐と変化するものだが、その九つの尾には強大な力が宿っている。
そのひとつ、“創造”を司る尾を用い、虚空に足場を作り出したのだ。ただ自分の足場を作っただけでなく、広範囲に渡って足場となる地面を創造し、固定する。そうすることでたとえ部下たちがなんらかの方法で飛行能力を奪われたとしても、無限に落下し続けることなく着地できるようにしたのだ。シーラにとっても、足場は広いほうが戦いやすい。もっとも、ナインテイルの能力を用いれば、足場などなくともなんとでも戦いようはあるのだが、とはいえ、あったほうが色々と便利だ。
マグラールに対しても、シーラの力を見せつけられる。
事実、マグラールは、彼女が足場を急造したことで攻撃の手を止め、黙考するように目を細めた。そして、告げてくる。
「……異界の獣神か」
「らしいな。詳しくは、知らねえが」
ハートオブビーストの本質のことだ。ハートオブビーストは、見ての通り異形の斧槍だ。当初は、ほかの召喚武装のように自我を持つ武器だとばかり想っていた。しかし、金眼白毛九尾という名や、姿形を持って顕れること、龍神ハサカラウの言などから、その本質は斧槍などではなく、斧槍というのは金眼白毛九尾の力の顕現に過ぎないのではないか、と、考えるようになった。意思を持つ武器ではなく、力ある異世界の存在の、力の一端。その一端を介して、異世界から強大な力を引き出しているのではないか。その最大のものが、ハートオブビースト・ナインテイルなのだ。
そういう結論に至ったとき、シーラは、ハートオブビーストを通して、金眼白毛九尾をより身近な存在に感じることができるようになったのは、不思議というほかないだろう。異世界の存在だと断定したにも関わらず、より近く感じるというのは、そういう感覚が距離感とは無縁のものだということなのかもしれない。いずれにせよ、シーラは金眼白毛九尾を心底信頼していたし、金眼白毛九尾もまた、シーラのことを信頼してくれているようだった。流れ込んでくる力が、意思が、そういっている。
「だが、いかに異界の獣神の力を借りようとも、我には敵わぬ。我は大いなる光明神ナリアが分霊。風天星マグラールなり」
「いや、勝つのは俺たちだ」
「愚かな」
「どっちが」
「汝らに決まっている」
マグラールが両目を見開いた。マグラールの放つ膨大な力が強大な風圧となり、旋回し、竜巻を生み出す。マグラールを中心とする極大の竜巻は、虚空のみならず、シーラが急造した足場をも飲み込み、破壊していく。凄まじいとしかいうほかない破壊の力。ただひたすらに加速し、範囲を広げていくそれを見遣りながら、シーラは、九つの尾を展開した。地を蹴り、マグラールの元へ向かう。竜巻の内側、その中心部へ。空域そのものをねじ曲げるほどの暴風が眼前に迫るが、構いはしない。ナインテイルは、最大限に発揮されている。ザルワーンにおいて龍神に敗れたときよりも、さらに強く、さらに深く。
「シーラ殿!?」
部下の悲鳴にも似た驚嘆の声が聞こえたが、彼女は無視し、暴風の中に突っ込んだ。空域のすべてを吹き飛ばすために放たれたのだろう竜巻も、最大限に強化した“守護”の尾の力ならば、なんの問題もなく耐え抜くことができるだろうというシーラの予想通りだった。
涼風程度にしか感じなかったのだ。
実際には、物凄まじい暴風圏を突き抜けた先には、当然、風天星マグラールが待ち構えていた。