第二千五百五十九話 風の掟(二)
『全部隊に通達する。敵は、使徒ではなく分霊だということが判明した。分霊と使徒の違いについては説明したな? 分霊は、使徒以上に神に近い存在と想っていい。その力は絶大だ。そのこと、留意して欲しい』
腕輪型通信器から聞こえてきたのは、当然、マユリ神の声だった。女神の通達は、さらに続く。分霊と判明したのは、ランスロットたちが対峙した相手からそう聞いたからだといい、ランスロットたちは、その分霊にマリアン・フォロス=ザイオンの面影を見たという。マリアン・フォロス=ザイオンといえば、北大陸において南帝国と覇を競った北帝国の皇帝だった人物だが、南北紛争に敗れた後の足取りは不明だった。まさか、分霊として、ナリアの配下になっていたとは、想像しようもない。
また、ほかの分霊も、皇族である可能性が高いという推測をマユリ神は述べたが、シーラの報告がマユリ神の推測を後押しした。ナリアがマリシアを依り代に選んだのは、ナリアと波長の合うザイオン皇家の人間だったからだろうが、それはつまるところ、分霊の依り代とする適正もあるということであり、北大陸に転送された皇族の多くが分霊の依り代にされていたとしても、なんらおかしくはないのだろう。
「つまり、ミード殿下を討たなければならない、と、いうことですか……」
「……覚悟は決めたはずだろ。すべては統一帝国のため。ニーウェハイン皇帝陛下のため。帝国の将来のため。臣民のため。ここでマグラールを斃さなきゃ、俺たちに勝利はないんだ」
「それは……わかっていますが」
「わかっているなら、悩むなよ」
シーラは、頭を振り、頭上を睨んだ。マグラールの周囲で大気が渦を巻いている。いくつもの小さな竜巻が生成されており、それでもってこちらを攻撃してくるつもりなのだろう。
「敵は、俺たちを殺すつもりなんだ」
「は、はい……!」
「ちくしょう……どうなってんだ」
「なんで、なんで殿下と……」
武装召喚師たちが口々に悔しがるところを見ると、シーラの部隊に配属された武装召喚師の中にミード=ザイオンの配下だったものが少なくないようだった。ミード直属の部下、あるいは家臣だったものたちにしてみれば、統一帝国のためとはいえ、主君を討つということであり、極めて辛いことなのはわかる。わかるが、彼らにも奮戦してもらわなければ、こちらに勝ち目はない。
風天星マグラールは、極めて強力な敵だ。この塔の中とは想えない領域に満ちた大気の支配者であり、ルウファやグロリア以上の風使いと見ていいだろう。遠距離攻撃などお手の物であり、その点でシーラには為す術がない。シーラの攻撃手段は、いまのところ、ハートオブビーストによる近接攻撃しかないのだ。マグラールを攻撃するには、まずは上空のマグラールに接近しなければならない。が、接近手段すら持たないのがいまのシーラなのだ。部下たちに協力してもらうほかない。
マグラールが両手を振り下ろした。その周囲を旋回していた小竜巻が四つ、一斉に舞い降りてきた。かと想うと、竜巻は中空で鋭く研ぎ澄まされ、さながら嵐の槍となって降り注ぎ、シーラたちの周囲の地面に突き刺さる。爆風が大地を消し飛ばし、地上にいたシーラたちを強引に打ち上げる。悲鳴が聞こえた。直撃を受けたものや、至近距離にいたものは、嵐の槍にずたずたに引き裂かれ、絶命したようだ。といって、シーラは、またしても風圧に身を絡め取られ、どうしようもない。打ち上げられたのだ。シーラとハートオブビーストでは、風圧の拘束を打ち破れない。といって、風の拘束を脱したとしても、どうにもならないかもしれない。
(これは……)
シーラは、眼下に広がる光景に険しい表情になるのを認めた。
「地上が……!?」
「あいつ、全部消し飛ばしやがったってのか!? いまので!?」
「なんていう威力なの……!?」
帝国人たちが恐れ戦くのも無理はなかった。先程の小竜巻による攻撃は、ただシーラたちを巻き上げただけではないのだ。地上を消し飛ばしている。文字通りの意味だ。大地が綺麗さっぱりなくなり、岩盤も粉塵もなにもかも風に巻き上げられ、あるのは真っ白な空白だった。虚空。遙か彼方までなにも見えない空虚な空間。遙か眼下を見遣ってもなにも見えない。足場になりそうなもののひとつもだ。つまり、この状態でマグラールの拘束を振り解けば、シーラのような飛行能力を持たないものは、墜ち続けるしかない。目にも映らない彼方に存在するかもしれない地上に向かって、だ。無論、マグラールがそんな状態のシーラたちを放っておくとは想えない。落ち続けるシーラたちに苛烈な攻撃をしてくるに違いなく、そうなれば、こちらが圧倒的に不利になるのは免れ得まい。
(いや、そもそもいまこの現状でさえ、こっちが不利だな)
マグラールを見れば、その周囲で大気が凝縮され、無数の小竜巻が生まれ始めていた。今度は、それらをシーラたちに直接ぶつけてくるつもりなのだろう。シーラたちの自由を奪ったいま、単純な的当てよりも容易く直撃させることができるはずだ。小竜巻がさながら風の槍のように尖端をこちらに向ける。
「力なきものどもよ。我が空域に踏み込んだ汝らの愚かしさを呪うがよい」
マグラールが両腕を前方に差し出すのと同時に小竜巻群が動いた。全部で五百一個の小竜巻が、シーラたち全員に満遍なく襲いかかる。広大な大地を爆砕するだけの威力を誇る竜巻だ。直撃は無論のこと、掠っただけでも痛撃を食らうことは間違いない、だが、シーラたちは、風圧によって拘束されている上、たとえ拘束を脱したとしても逃げ場がない。足場がないのだ。ハートオブビーストをどれだけ強く握り締めようと、状況を好転させる術はない。
(俺だって、おまえの役に立ちたいんだよ、セツナ)
だが、無慈悲にも小竜巻は眼前に迫っていて、シーラは、己の不甲斐なさを呪った。これでは、マグラールのいった通りに終わってしまう。そう想ったときだ。シーラは、突如、突き飛ばされた。態勢を崩しながら顔を向けると、帝国武装召喚師のひとりが小竜巻に貫かれている。
「シーラ殿はやらせぬさ!」
「ああっ!」
「帝国のこと、お頼み申し上げます」
こちらを見てそう告げてきた男は、貫通と同時に急激に膨張する小竜巻に飲まれ、その肉体を四散させた。シーラは、その血肉から目を逸らさず、ただ歯噛みした。自由落下が始まった瞬間、なにものかが彼女の体を掴んだ。別の武装召喚師の女だ。背に広げた二対四枚の翼がシーラを運んでいく。
「シーラ殿、あなたこそこの部隊の最高戦力であるとマユリ様より聞いております。シーラ殿なれば、たとえ分霊が相手でも対等以上に戦えるものと……!」
「……ああ。戦える。戦えるとも」
シーラは、女武装召喚師の決然たる表情を仰ぎ見て、しっかりとうなずいた。五百一の小竜巻は、そのほとんどが命中し、数多の断末魔がシーラの耳に届いていた。だれもが分霊・風天星マグラールの力の前に絶望しながら死んだわけではない。だれもが、シーラに希望を託し、死んでいった。
シーラと行動をともにしたのは、五百名の武装召喚師だ。ただの一般兵ではない。武装召喚術に精通したものたちなのだ。シーラと作戦行動をともにする辺り、ハートオブビーストの能力の詳細についても、しっかりと調べ上げ、その上でシーラに直接質問してきてもいた。互いに愛用する召喚武装の能力、特性について理解し合わなければ、難事に当たることなどできようはずもない。
いま、シーラの周囲で散っていった四百人以上の武装召喚師たちのだれもが、その死が決して無駄にならないことを知っていたのだ。だからこそ、死を嘆かなかった。殺されることにも絶望しなかった。むしろ、無力な自分たちの力が逆転のきっかけになることを喜んでさえいた。
ハートオブビーストは、血を触媒とする。
戦場に流れた血が、異界の獣神を呼び覚ますのだ。