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第二百五十五話 奔流

 どれくらいの間、闇の中をたゆたっていたのだろう。

 ミリュウは自分の身になにが起きているのか理解できないまま、意識を包み込む闇の中を泳いでいた。いや、泳ぐというのは正しくない。彼女はもがくことも、あがくこともできなかった。ただどこまでも続く深い闇の中に在るということを認識しているに過ぎない。

 夢は、唐突に終わった。それ以来、見ていない。

(これも夢なのかしら)

 考えるのだが、思索できている以上、夢ではないとも思えるのだ。とはいえ、夢の中でなにも考えないかというとそうではない。夢の中でも常に思考するのが人間だ。夢が覚めれば忘れるようなことも、夢の中で考え続けている。

 この闇も夢かもしれないし、さっきの子供が見た風景だって夢かもしれない。

 しかし、ただの夢とも思えないのだ。

 なぜかはわからないが、そんな気がする。

(って、なんであたしが夢を見てるのよ?)

 ミリュウは自問するが、答えなどわかりきったことだ。

 黒き矛のセツナとの戦いに敗れたからに決まっている。

(敗れた?)

 そんな記憶はない。

 セツナとの戦いは、常にミリュウが押していたし、半ば一方的な展開になりつつあった。抱き締めたまま圧殺できそうなほどだった。もっとも、熱い抱擁は彼に拒絶されてしまったが、そのあともミリュウのほうが圧倒していたのは間違いない。記憶に間違いがなければ、彼女が負ける要素などひとつもなかったのだ。

 黒き矛には、無尽蔵といってもいいほどの力が秘められていた。手にしただけで総毛立つほどに、膨大な力を感じ取ることができた。これほどの力を、セツナは使いこなせていなかった。使いこなせていたのならば、彼がミリュウに押されることはありえなかった。ミリュウでさえ、黒き矛の力を引き出しきれていなかったのだ。

 魔龍窟の武装召喚師でさえ引き出しきれないほどの力が内包されている。

 その事実にはミリュウも驚愕せざるを得なかった。

 彼女は、魔龍窟でも指折りの武装召喚師だった。あの地獄のような日々を生き延びることができたのも、実力あってのものだ。力も才もないものが生き残れるほど生易しい世界ではなかった。とはいえ、生き残ったものの中でも、力量の差というものはある。ミリュウ、クルード、ザインの三人の中では、ミリュウが武装召喚師としては飛び抜けた技量を誇っていたし、それは残りのふたりも認めることだろう。

 彼女は、魔龍窟の武装召喚師が覚えることになる術式のすべてを諳んじることができたし、すべての召喚武装を自在に扱うことができた。火竜娘も地竜父も天竜童も、双竜人も魔竜公、光竜僧さえも、彼女の手にかかれば真価を発揮する。その上で彼女が幻竜卿を特に愛用したのは、性格的な問題だろう。力技で敵を圧倒するよりも、敵を幻惑し翻弄するほうが彼女には合っていた。もっとも、あの地獄では戦い方を選べる事自体が稀だったが。

 ともかく、ミリュウには魔龍窟屈指の武装召喚師という自負があり、それは自他ともに認めるところだったのだ。

 しかし、そんな彼女でさえ、黒き矛の深淵に眠る力のすべてを解放できたわけではなかった。その一割でも扱えたのかどうかもわからない。

 力は、まだまだ引き出せた。

 あのまま戦い続けていれば、ミリュウは黒き矛とともに戦場を制圧していただろう。ガンディア軍の兵士を血祭りにあげ、将士ともども皆殺しにできていたはずだ。それほどの力を感じた、

 だから、歯がゆかったのかもしれない。

(彼は……)

 黒き矛のセツナは、力をまったく使い切れていなかったのだ。黒き矛の全力の一割にすら到達していない程度の力を振り回し、いい気になっている。なにがガンディアの黒き矛なのか。彼がその気になれば、もっと破壊と殺戮を振りまけたはずだ。ガンディアという国の枠にとらわれる必要もなかったはずだ。彼がその気になれば。

 彼女は頭を振った。

 彼は未熟なのだ。武装召喚師としても、戦士としても。

 彼との戦いの中で、ミリュウが認識したのは、セツナという人間の幼さだった。兜の下に輝く赤い目には殺意があり、敵意が輝いてはいた。しかし、その殺意はミリュウの意識を貫くほどに研ぎ澄まされてはいない。その敵意は、ミリュウの心を射抜くほどの破壊力はない。まだ未熟で、未完成な力を抱え、戸惑っているかのように思えた。

 黒き矛の複製物を手にしたがゆえに、理解できたのかもしれない。

(そうか……)

 ミリュウは、ふと思い浮かべたことが、この夢の正体に触れている気がした。

 これは、黒き矛の本来の持ち主であるセツナの夢なのではないか。


 ふたたび、闇に光が走った。

 ミリュウの視界が開けたのだ。いや、ミリュウの視界ではない。またも他人が見ている風景だった。しかし、今度は見知らぬ光景ではない。少なくとも、ミリュウ=リバイエンの意識には馴染みのある世界が、眼前に広がっていた。

 どこまでも突き抜けるような青空と、流れる雲。太陽はまばゆく輝き、地を這うものどもを平等に照らしている。前方には戦場が広がっていた。何千もの敵兵を前に、視線の主の体は震えている。武者震いなのか、ただの恐怖なのか、ミリュウにはわからない。

 わからないといえば、敵対している軍勢についてもだが、そんなことを考えていても仕方がないのも事実だ。

 妙に馴染んだ風景は、この戦場がミリュウの見ている夢である可能性を考慮させるのだが、彼女は深くは考えないことにしていた。

 戦場を駆けていく。敵陣に向かって、全力で走っている。視界が激しく揺れていた。視界の隅に、黒き矛が映り込む。穂先が赤く膨張したかと思うと、紅蓮の炎が迸り、視界を瞬く間に焼き尽くした。炎上する視界の向こう側で、数多の敵が消し炭になっていくのが感覚的にわかる。大量の敵が死んだ。燃え盛る炎の中で、そんな実感だけがミリュウの胸に落ちてきた。

(どういうこと?)

 ミリュウは、疑問符を浮かべたが、これがだれの見ている光景なのか、なんとなく理解し始めていた。黒き矛の使い手といえば、ひとりしか思いつかない。彼が手にするまでにも何人かいたのかもしれないが、そんなことは知ったことではない。ミリュウの記憶には、ひとりしかいないのだ。

 セツナ=カミヤだったか。

(つまりこれはセツナの夢? それとも)

 彼の記憶に触れてしまっているのだろうか。

 黒き矛の複製物を手にし、力を解放し続けたための反動だとしたら笑えないのだが。

 ミリュウが考えていると、場面が変わった。今度は森の中だった。鬱蒼と生い茂る木々の闇に、ひとりの女が立っている。炎のように紅い髪が特徴的な美女。ミリュウでさえうっとりとしてしまうほどの色香を漂わせた人物は、視線の主なにかをいっていた。理解できる言語。この世界の言葉。つまりイルス・ヴァレであり、ワーグラーン大陸のどこか。

 では、最初に見た光景はなんだったのかと首をひねる。これがセツナの記憶を覗き見ているというのなら、最初の不可解な情景も彼の記憶ということになる。

 あれは、生まれ落ちた瞬間の記憶だろうか。喜んでいたのは父親で、我が子の誕生の瞬間に立ち会えたことに感激していたのだとしたら、腑に落ちないではない。それからの情景のすべても、彼の記憶ならば、セツナは悲惨な人生を歩んできたということか。

 しかし、この世界とは異なる言語だった。彼は、この世界の人間ではないというのか。

 考えるうちに、視界には皇魔が映り込んでいた。ブリークと呼ばれる種の皇魔だ。のっぺりとした顔面に四つの眼孔があり、赤い光が漏れていた。ブリークはガンディアからログナーの広範に棲息しているといわれている。ザルワーンでの目撃例は極めて少なく、ログナーから流れてきたブリークが村を襲ったという話があった程度だ。

 ガンディア、なのだろう。

 この視界の主がセツナ=カミヤならば、この森はガンディアにあるのだ。そして、彼は黒き矛を召喚し、ブリークを圧倒した。視界が歪む。つぎにミリュウが目撃したのは炎の海だ。紅蓮と燃える街の中を、駆け抜けている。男がいた。手には龍の飾り付けがされた杖――火竜娘。つまりは、魔龍窟の武装召喚師。

(ランカイン=ビューネル!)

 ミリュウが叫び声を上げたのは、炎の中で哄笑する男が、彼女にとって懐かしくも忌まわしい人物だったからに他ならない。

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