第二千五百五十八話 風の掟(一)
武装召喚師たちによる一斉攻撃がまったく意味をなさなかったのは、攻撃目標に一切届かなかったからだ。シーラが攻撃目標と定めたのは、地上に迫り来る巨大な竜巻の中心であり、そこに使徒がいると踏んだからだが、遠距離攻撃用の召喚武装たちが彼女の号令によって一斉に火を噴くようにして猛攻をしかけるもの、そのすべての攻撃は、見えざる巨大な壁に激突し、竜巻に触れることもできないまま、無駄撃ちに終わった。もちろん、一度の失敗で攻撃を諦めるはずもなく、続けざまに攻撃を命じたものの、二度目の一斉攻撃が始まるよりも早く、シーラたちは、上空に打ち上げられていた。
横から殴りつけるような突風が吹き抜けたと想うと、足下から掬い上げられるような暴風へと変わり、その暴圧の嵐とでもいうべき強風によって空中高く打ち上げられたのだ。シーラはハートオブビーストの切っ先を足下の地面に突き刺して踏ん張ろうとしたが、突き刺した地面ごと吹き飛ばされ、舞い上げられてしまっている。部下たちも、全員が全員、突如吹き荒れた嵐に飲まれた。飛行能力を有する召喚武装の使い手たちすらも、飛行能力そのものを奪われ、為す術もなく、風に囚われたようだった。
体の自由は奪われ、しかし、傷つけられることもないまま、風に翻弄されるように空に浮かんでいく。地上に近づきつつあった竜巻へと吸い込まれていくようなものだ。しかし、実際には吸い込まれることはなく、シーラたちは、風に自由を奪われたまま、竜巻と同じ高度へと至った。竜巻の降下がそこで止まったのは、シーラたちを捕らえ、同じ高さに固定することができたからなのだろう。
「皆、無事か?」
シーラは、竜巻を注視しながらも、部下たちのことが気がかりだった。五百名の武装召喚師たちは、いずれも優秀であり、マユリ神の加護やエリナたちの召喚武装による支援を受けている。そのため、そう簡単にやられることはないはずだが、かといって、相手が相手だ。油断はできない。
「は、はい。負傷者はひとりとしていない模様です」
「そうか。それならいいが……なんとかしてこの状況を脱さないことにはな」
「シーラ殿、あれを」
「……あれが使徒だな」
シーラは、指摘されるまでもなく、前方の変化を視界に捉えていた。
視界を塞いでいた大竜巻が薄れていったかと想うと、竜巻そのものが消えて失せ、異形の存在が姿を現したのだ。異形というには、人間に近すぎる姿形ではあったが、異形は異形だろう。人間と同じく五体を持ち、貴公子然とした容貌は美しいとさえいえるのだが、それは容貌だけのことといってよく、全体を見れば異形というほかなかった。手首、肩、背中、側頭部、腰、足首と、体の様々なところから生えた翼が、人外の存在であることを主張しているほか、身に纏う羽衣の隙間から覗く肢体が人間のそれではなかった。なんと表現すればいいのかわからないが、光沢を帯びた半透明であり、内側が透けているのだが、内臓などが見えているわけでもない。
人間に極めて近い形をした、別物。
「あれは……」
「どうした?」
「ミード殿下……」
「本当だ……ミード殿下にそっくりだ……」
「なんだ? どういうことだ?」
「あの顔、わたしの知っているミード殿下とうり二つなんですよ!」
悲鳴にも似た帝国人の叫びに、シーラは、憮然とした。先帝シウェルハインには、二十人の子供がいた。つまり、二十人の皇子皇女がいたという話であり、その中のひとりにミードという名前の皇子がいたことは聞いている。ミード=ザイオンは、ミズガリスやミルズと母を同じとする第七皇子だったはずだ。ミズガリスたちの母ミルウーズは、シウェルハインの正室ということもあり、その子供たちは、特別遇されていたらしいが、“大破壊”後の状況については不明だった。南大陸にいたのであれば、たとえどうあれ名乗り出てくるに違いなく、そういうことがなかったことから北大陸に転送されたのだと認識されていた。そして、その認識は間違っていなかったのだろう。
ミード=ザイオンは、先帝が行った大転送によって帝国領土北部に転送され、そこで“大破壊”を迎えたのだ。その後、南北紛争に巻き込まれたのは間違いないが、ウルクからはミードを始めとする皇族の状況については聞いてもいなかった。ウルクには伝えられなかった情報に違いない。
「まさか、ミード殿下が……ミード殿下がナリアなるものに操られているのでしょうか?」
「さあな」
同じく皇女だったマリシアがいまやナリアの依り代となり、大帝国の皇帝をやっているのだ。マリシアを皇帝と仰がざるを得ない立場となった皇子や皇女が使徒と化したのだとしても、なんら不思議ではなかった。
それが、口を開く。
「我は大いなる光明神ナリアが分霊、風天星マグラール」
聞こえてきたのは、美しい声色だった。男のものとも想えないくらい中性的で、甘美ですらある声音。しかしどうやらそれはミード=ザイオンの声そのものであるらしく、ミードのことをよく知る帝国人たちは、なんともいえない表情を浮かべていた。ミードの声で、ナリアの分霊であると名乗ったのだ。彼らとしては、受け入れがたいものがあったに違いない。だが、受け入れがたがろうが、納得しがたがろうが、相手がそう名乗った以上、そう認識するほかない。
(分霊……!)
シーラは、胸中でつぶやき、気を引き締め直した。分霊は、神の化身そのものであるといい、その力は、使徒と比べるべくもないほどのものだという。神人、神獣と使徒の力の差よりも、使徒と分霊の力の差のほうが明らかに大きく、圧倒的らしいのだ。
マユリ神は、それ故、八極大光陣を司る存在が分霊である可能性は極めて高いと認識し、そのためにそれぞれの攻略部隊に五百人もの武装召喚師を配属させた。それでもまだ勝てるかどうかわからないのが、ナリアの分霊なのだ。
実際、分霊の力は強大だ。
シーラたちは、為す術もなく風に囚われ、風天星マグラールと対面させられた。使徒ならば、これほどまでの強制力はあるまい。使徒と化したゼネルファーのことを思い出せば、その力の差に愕然とするほかないくらいだ。
「八極大光陣に至り、我を討たんとするものどもよ。風の裁きを受け、身の程を知りながら滅びるがよい」
マグラールは、静かに告げてくるなり、右手を天に掲げた。その手の先に注目したのも束の間、振り下ろされると同時にシーラは物凄まじい圧力を感じた。視界が急速に移り変わる。空中から、地上へ。遙か眼下の地面に向かって物凄い勢いと速度で落下している。止まらない。止めようがない。武装召喚師たちがそれぞれに対応しようとするも、速度が速すぎてそれどころではなかった。地面が眼前に迫った。シーラは、しかし、危機感を覚えなかった。この程度では、という確信がある。この程度の攻撃で死ぬようでは、加護もなにもあったものではない。
実際、高高度からの地面への叩きつけは、シーラたちに然程の痛みも与えなかった。女神の加護や数多の召喚武装の影響により、シーラたちの肉体は、並大抵の攻撃を寄せ付けないくらいにはなっている。たとえ多少傷つけられたとしても、即座に傷が塞がり、回復するだろう。痛みも消える。それもこれも戦神盤とその応用法を思いついたナリアのおかげというほかないが、それくらいしなければ勝てない相手だということでもある。
濛々と立ちこめる粉塵の中を立ち上がりながら、シーラは、マグラールを仰ぎ見た。
風の支配者は、遙か上空からこちらを見下ろし、小首を傾げていた。