第二千五百五十六話 謳う森(四)
木天星ナジャドの攻撃が止んだのは、ウルクたちが根元に到達したからだろう。
ナジャドの主な攻撃は、上天を覆う枝葉を大量に降り注がせるというものだった。それは、極めて強力無比であり、圧倒的としかいいようのない威力を誇っているものの、広い範囲を巻き込む攻撃であり、実際、森の木々を巻き添えにしてきている。いま、ウルクたちを同じ方法で攻撃すれば、ナジャド自身を巻き込む可能性がある。敵を攻撃する手段で自分を攻撃するなど笑い話にもならなければ、しゃれにもならない。ナジャドが攻撃の手を止めるのも、無理からぬ話だ。
が、無論、油断してはならなかったし、それしか攻撃手段がないと考えるのは早計にも程がある。
とはいえ、攻撃の手が緩んだのは事実だったし、この瞬間を利用しない手はなかった。ウルクたちは、大樹の根元に辿り着いたのだ。攻撃するならば、いましかない。
相手は、天を衝くほどに巨大な樹木。その幹は、極めて巨大であり、的としては大きすぎるほどに大きい。しかも根元まで接近しているということもあり、攻撃の外しようもない。そして、枝葉による盾も機能させられまいという目論見がエスクにはあったのだろう。エスクがソードケインを振り抜けば、光の刃が幹の根元に深々と突き刺さり、武装召喚師たちの一斉攻撃が始まる。エスクに続いて大樹に飛びかかるもの多数、遠距離攻撃を仕掛けるもの多数。ウルクも、攻撃に参加している。彼女は、大地に大穴を開けたときのように両拳に波光を集め、その拳でもって大樹を殴りつけ、光熱を帯びた幹を大きく陥没させた。武装召喚師たちの攻撃も見事に命中し、大樹に大打撃を与えることに成功していた。火球が爆ぜ、雷撃が走り、衝撃波が幹を撃つ。様々な召喚武装による、色々な攻撃手段。いずれもが命中し、いずれもが効果を上げる。ナジャドの顔面さえ、ソードケインの光刃が切り裂き、ナジャドが吼えた。
大樹が震え、世界が鳴動したかのような反応を感じた。ウルクは、即座に大樹を蹴りつけて、飛び離れた。そして彼女は、頭上から光の瀑布が降り注ぎ、地上から緑の奔流が天に向かって逆流するとでもいうような光景を目の当たりにする。それはつまり、ナジャドが光の大樹のみならず、森をも動かしたということであり、わずかにも逃げ遅れたものたちを一瞬にして圧殺した。一瞬のできごとだ。二百名以上残っていた武装召喚師のほとんどが、光の洪水と緑の奔流の中で息絶え、逃げ延びたのはウルクを含め、ほんのわずかばかりだった。エスクの姿も見えない。
ナジャドの周囲は、頭上から降り注いだ光の枝葉と地上から逆巻くように伸びた緑の枝葉が絡み合い、異様な光景を作り出している。その中には、枝葉に貫かれたまま絶命した武装召喚師たちも多数いるのだろうが、外からは確認できない。
「エスク……」
ウルクがその名を口にした直後だった。
「まるで死んだ風な扱いだな、おい」
苦笑に満ちたエスクの声に彼女は驚きながらも歓喜した。
「無事だったのですか」
「残念だったな」
「なにがですか」
「いや、なんかそんな風に聞こえたからさ」
「無事でなによりです」
とはいったものの、ウルクから見ても、エスクが無事とはいいようのない状態だということは明らかだった。左肩や右太ももを枝に貫かれたらしく、出血している。何百人もの武装召喚師が飲み込まれ、命を落としたように、分霊の攻撃は、女神の加護をもってしても防ぎきれるものではないのだ。が、エスクの様子を見ていると、傷口が見る見るうちに塞がっていくのがわかり、安堵する。ある程度の傷は、召喚武装の能力で回復できるようだ。
「……ああ、そうだよな、うん」
「どうしましたか」
「いや、そういやウルク殿って、そうだったなってさ」
「わけがわかりません。頭でも打ちましたか」
「そうかも」
エスクが自分の頭を撫でるようにいってきたが、ウルクは小首を傾げた。人間というのは、ときによくわからないことをいってくるものだが、彼もそうらしい。それが、機微、というものなのだろうが、ウルクにはまったく理解のできない領域の話だった。
それから、エスクは周囲を見回して、渋い顔をした。
「生き残ったのは、これだけか」
エスクが無念そうにいうのも当然の話だろう。
ウルクの周囲には、ナジャドの猛攻を生き延びたものたちが集まっているのだが、その数はウルク、エスクを含めて五十五人だけだ。当初、五百二名の大部隊だったというのに、戦闘開始からここにいたるまでで約一割ほどに激減している。いずれも優秀な武装召喚師という話だったし、だれもが女神の加護や召喚武装による支援を受けていた。にもかかわらず、ナジャドの猛攻を避けきれず、散っていった。
見れば、光の大樹の全周囲が光と緑の枝葉による結界とでもいうべき代物で覆い尽くされている。どこにも逃げ場などはなく、ウルクのように無傷で逃げ延びることができたものはほとんどいないようだ。逃げ延びたもののほとんどは、エスクのように負傷したものの、辛くも範囲から脱出することができただけであり、幸運に恵まれただけなのだ。
「接近したのは、失敗でしたか」
「遠くに逃げたところで、攻撃の機会を失うだけだったさ」
「それはそうですが」
認める。そして、防戦一方になれば、不利なのはこちらだ。いずれ力尽き、ナジャドの攻撃の餌食となるだけだろう。それならばいっそ、覚悟を決めて攻撃に専念するべきかもしれない。
「それに、先の攻撃、なんの成果もなかったわけじゃない。確かに効いていたんだ。だから、奴は怒り狂い、形振り構わず攻撃してきたんだろうさ」
エスクは、ナジャドを睨みながら、いった。
ナジャドは、いまもなお、光と緑の結界の中にいる。それはまるで、もはやウルクたちの接近を許すまいといわんばかりであり、エスクの結論を補強するかのようだった。つまり、先程の攻撃がまったく意味がなかったわけではないということだ。それどころか、ナジャドには、致命的なものだったのではないか。だからこそ、いま、結界で我が身を護っているのではないか。これ以上、攻撃を食らわないために。
「じゃあ、どうするかって話だが……さて」
「エスク。つぎの攻撃で斃せる見込みはありますか」
「……いまのが致命傷だったなら、つぎは斃せるだろうよ」
そう告げてきたエスクには、なにか確証があるようだった。ナジャドの顔面を切り裂いたのは彼だ。そのときの手応えが、彼に確信させるのかもしれない。そう言い切った彼は、ふと、疑問を感じたらしい。
「それを聞いてどうするつもりだ?」
「わたしが血路を開きます」
「は?」
きょとんとする彼に向かって、ウルクは、大樹を覆う結界を指差した。遠方、光と緑が織り成す巨大な結界が聳えている。それを打ち破るのは、生半可なことではない。
「ナジャドの本体に辿り着くためには、あの結界を突破しなければなりません。が、現状の戦力では、それも難しい。そうでしょう?」
「ああ。その通りだな」
彼は、支部支部ながらも認めた。認めざるを得まい。無論、現在の戦力でも、木々を切り裂くことは不可能ではない。しかし、結界を構築する枝葉を排除し尽くし、ナジャドの元に辿り着くのは、至難の業だろう。なぜならば、ナジャドは結界を解こうとさえしていないのだ。それはどういうことか。結界内に入り込まれたくないからであり、枝葉を排除しようもなら、すぐさま補充されるのが目に見えている。つまり、ナジャドの元に至るまで一気に穴を開け、一気に突破しなければならないということだ。それは、現有戦力では、不可能に近い。
「しかし、わたしにならそれができるかもしれません」
「どうやって?」
「お忘れですか」
ウルクは、エスクの目を見つめながら、告げた。
「わたしは魔晶人形。魔晶人形には内蔵された兵装があります」




