第二千五百五十三話 謳う森(一)
全身に生じた激痛が、静かに、音もなく癒えていくのを感じながら、エスクは、目を細めた。ソードケインから光の刃を発生させ、周囲を旋回させる。彼の体をずたずたに切り裂いた木の枝の数々を切り刻み、枝の檻から自分自身を解放する。すると、地上に向かって自由落下を始めるが、不意に抱き留められ、怪訝な顔になった。
「無事のようですね」
「当たり前だろ」
ウルクに抱きかかえられるのが奇妙でならなかったが、まったく無傷の彼女の様子にはなんともいえない気持ちになった。やはり、人間とは体の造りが違うのだ。魔晶人形なのだから当たり前とはいえ、ウルクをどこか人間扱いしている自分に気づき、変な気持ちになる。当初は、人間扱いなどしていなかったはずだ。奇妙な、意識を持つ人形として見ていたはずなのだ。それなのに、ウルクをいまやひとりの人間と同じように見ている自分がいる。それはセツナたちの影響が極めて大きいのだろうが。
ウルクの腕の中から解放されたエスクは、周囲を見回した。見れば見るほど森の中だ。
森。森。森。そんな言葉しか浮かばないほど、森だ。いや、森というには木々が密集しすぎている。木、花、草――ありとあらゆる植物が自由気ままとは程遠いほどに密集しており、それぞれがある意思によって生まれ、成長しているのだろうことは明白だった。その意思とは、無論、この陣を司る存在のものに違いない。
塔の中に転送されたはずが樹海といっても過言ではない木々の群れの中に放り込まれたエスクたちは、突如として暴走を始めた木々に突き上げられ、多少なりとも傷つけられながら、枝葉によって構築された檻に閉じ込められたのだ。マユリ神の加護を受けたエスクが傷を負うくらいの衝撃と威力を持った木々の攻撃は、しかし、エスクたちをそれぞれに閉じ込めただけで、止んだ。森に侵入したことへの自動的な迎撃なのか、それとも、侵入者を閉じ込めるだけで対処完了したとでもいうのか。
いずれにせよ、用心するに越したことはなく、彼は、ソードケインの光刃を振り回して、自分の力では檻から脱出できないものたちを解き放っていった。全員ではない。攻撃能力を持つ召喚武装の使い手たちは全員自力で脱出しており、枝の檻に取り残されていたのは、支援型召喚武装の使い手ばかりだった。当然だが、放っておくことなどできるはずもない。支援型召喚武装こそ、勝利の鍵といっても過言ではない。彼らの支援があって初めて、エスクたちは、神の使いと戦うことができるのだ。
「相手は使徒じゃなく、分霊だという話だったな」
「使徒と分霊の違いがよくわかりませんが」
「使徒より分霊のほうが強いって話だが、どこまで差があるのかはわからん」
「そうですか」
ウルクの無機的な返事は、どうも、セツナに対するものと大差があるような気がしてならなかった。ウルクに表情はないし、声音に抑揚があるわけでもないのだが、そう感じる。セツナたちにいわせると、ウルクには感情があり、それが言葉だけでわかるというのだが、エスクにはまるでわからない。が、セツナへの態度と自分への態度が大きく異なることくらいははっきりとわかった。
無論、それが悪いというのではない。
ウルクにとってセツナがどのような存在なのかは、理解しているからだ。ウルクにとってのセツナは、エスクにとってのセツナ以上に大切な存在であり、必要不可欠、唯一無二の存在なのだという。エスクは、セツナがいなくても、辛くも生きていられたが、ウルクはそうではない。文字通り、セツナなしでは生きていけない存在なのだ。
「愛想悪いねえ、君」
「すみません」
「いや、謝られても」
「では、どうすればよろしいのですか?」
真顔で問い詰められて、エスクは困惑した。冗談も通用しないのか、と、愕然とする。
「えーと……」
「エスク殿!」
「ああ、わかってるさ」
武装召喚師の警告は、木々がざわめきだしたことに対するものだろうと合点し、返答すると、彼は、その場で飛び上がって回転した。無数の枝葉が殺到してくる中、最大限に伸長させたソードケインでもって周囲の木々を尽く切り倒し、枝葉の接近を食い止める。木々が次々と転倒し、轟音を上げ、大地が激しく揺れた。
「さすがですな」
「この程度は……な」
褒められて悪い気はしないが、敵の攻撃が妙にあっさりとしている気がして、彼は、なんともいえない気分だった。前後左右、あらゆる方向の木々を無数に切り倒したこともあって視界は大きく開けたものの、切り倒した木々の先にも無数の樹木が隙間もなく乱立しており、それらの枝葉がこちらに向かって迫りつつあることを認識する。やはり、攻撃が一本調子だ。最初から、なにも変わらない。
あらゆる方向から迫ってくる枝葉の群れに対し、エスク以外の武装召喚師たちがつぎつぎに攻撃を開始する。あるものはエスクのソードケインような光の刃を飛ばして枝を切断し、あるものは虚空砲のような衝撃波を撃ち放ち、あるものは雷撃を拡散させ、あるものは突風を巻き起こした。中でも威力を発揮したのは、女武装召喚師が放った炎だ。枝葉を焼き尽くすと、そのまま木々に燃え移り、枝から枝へ、木から木へ、つぎつぎと燃え広がっていく。木々は、隙間なく聳え立っている。そのせいもあって、火を避けようがない――はずだった。
「え……?」
「な……」
エスクたちのほぼ全員が愕然としたのは、森が動いたからだ。
なんの比喩でもない。森が動いたのだ。大地を隙間なく埋め尽くすほどに並び立つ樹木の群れが、燃え盛る一帯を避けるように移動し、それ以上の延焼を防いで見せたのだ。そして、炎上を逃れた木々が無数の枝を伸ばし、エスクたちを攻撃してくる。
森が生きている――というよりは、なんらかの意思によって操られていることはわかりきっていたが、まさか、森そのものが一個の生命体のように動くとは想像もしておらず、エスクたちは驚くほかなかった。とはいえ、森の攻撃に対しての迎撃を忘れるほど愚かでもない。エスクは、ソードケインや虚空砲を用いて、殺到する枝葉をつぎつぎと打ち落としていく中で、思案した。
「これじゃあきりがないな」
「この森を操っているものが、分霊とやらなのでしょうか」
「だろうな。その分霊を見つけ出し、ぶちのめす以外に勝ち目はねえ」
部下の疑問に応えながら、剣を振り回す。森の攻撃は、一向に止まない。幸い、周囲の木々を切り倒したこともあって、遠距離からの攻撃のみに対応すればよく、それらを迎撃すれば、つぎの攻撃までに多少の時間は空く。とはいえ、それがエスクたちに休息を与えるかというと、そうではなく、すぐさま次の迎撃準備に入らなければならず、このままでは体力や精神力を消耗し続けるだけで、いつか力尽きるだろう。
「確かに。このままでは埒が明きませんね」
炎の武装召喚師は、そういうなりまたしても火球を放ち、枝葉を炎上させた。するとどうだろう。森は、燃え盛る枝葉をみずから切り放し、炎が木々に燃え移るのを防いで見せた。対応されているのは、炎だけではない。ほかの攻撃に対しても、様々な対処がされていた。たとえば、エスクのソードケインに対しても、まとめて切り落とされないよう、枝葉を一点に集中させるのではなく、多方向に分散させながらこちらに迫ってきていた。雷撃や衝撃波にも複数の枝葉が巻き込まれないよう、工夫を凝らしている。
「なるほど。成長しているな」
「感心している場合ですか」
「いやだって」
言い返そうとウルクを一瞥したときだった。
エスクの中に閃くものがあった。