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第二千五百五十話 激流の底で(六)

 召喚は、唐突に起こった。

 それは、サグマウさえ予期せぬことであり、彼は一瞬、なにが起きたのかを理解できなかった。理解できないまま、ヴォイドとの支配率争いを続けていた。水中に溶け合ったもの同士の争いというのは、目に見えるものではない。互いに権利を主張し、ぶつかり合うのだが、やはり、海神の使徒と大神の分霊では、分霊のほうに分があった。ヴォイドのほうが圧倒的だったのだ。それでも、サグマウは、ヴォイドの海の中に自身の海を確保することに成功し、そこから逆襲を始めようとしていたちょうどそのときだった。

 サグマウの海が渦巻き、それは、現出した。

「よもや斯様な領域に我を呼ぶとは……」

 彼にとってはもはや聞き慣れた女神の声が響いた瞬間、海の勢力図は一変する。ヴォイドの海は、一瞬にして海神の色に染め上げられていき、ヴォイドは、突如として出現した莫大な神威の前に萎縮せざるを得なくなった。さもあろう。たとえ分霊といえど、本当の神には敵うはずもないのだ。

「サグマウよ。そなたは少しばかり立場を勘違いしているのではあるまいな?」

 訝しげな口調で問いかけてきたのは、サグマウの主たる海の女神マウアウだった。声だけではない。姿形も、海中に出現している。人間ですら目を奪われるほどに美しい容貌を誇る上半身と、様々な海洋生物が融合したような巨大で奇怪な下半身を持つ、異形の女神。その美しさにはだれもが惹かれるだろうし、その異形には、だれもが畏れを抱くに違いない。美醜表裏一体のその姿こそ、海神マウアウなのだ。そして、だからこそ、サグマウはマウアウの使徒へと転生することを了承したといっても過言ではない。美しさも醜さも内包する女神ならば、リグフォードの醜い生き方も許容してもらえるのではないか。そう、思った。

 しかし、その召喚と現出は、サグマウの考えていたものではない。

 サグマウは、なんとかしてヴォイドを実体化させようとしていたのであり、そのためにこの海の支配者たらんとしたのだ。そのためにはヴォイドの圧倒的な力を上回る必要があったが、不可能とは思っていなかったし、出し抜く方法もなくはなかった。が、それを試すまでもなく、状況は一変した。

 ヴォイドは、海の支配者たり得なくなった。

 マウアウが現出とともにこの領域の実質的な支配者となったからだ。

「マウアウ様……? なぜ、ここに……」

 サグマウは、海に溶けたはずの肉体が瞬く間に復元していくのを認めながら、主に問うた。この復元は、マウアウの力によるものだろう。マウアウの力を分け与えられた使徒なのだ。それくらいのことは起こりうる。だが、マウアウの出現そのものには驚きを禁じ得ない。

「なぜもなにも、そなたの要請に応えたまでのこと」

「わたくしの要請……でございますか」

「そなたは海を作った。それはすなわち、我への協力要請。違うか?」

「……いえ、違いませぬ」

 サグマウの思惑とは異なる結果がったが、彼は主の言葉を否定しなかった。ここで否定すれば、マウアウはあっさりと支配海域へと帰ってしまうだろう。マウアウには、そういうところがある。

「ならば、なんの問題もあるまい」

 マウアウは、その美しい容貌に極上の笑みを浮かべると、戦場を見回した。上半身だけに限れば、見目麗しい女神にしか見えず、その美しさには、サグマウも言葉を失うほかないくらいだ。もっとも、分霊ヴォイドは、言葉を失うどころか、怒り心頭といった様子だったが。

「貴様は……異界の女神か!」

 怒りに満ちた声が彼方から聞こえてくる。彼方。ヴォイドは、マウアウの出現とともに海の支配権をほとんど失い、彼方に追いやられていたのだ。海のほとんどがマウアウのものとなり、ヴォイドの力が及ぶ領域は、わずかばかりと成り果てている。

「そういうそなたは……ナリアの分霊か」

 マウアウは、ヴォイドの海を見遣りながら、つぶやいた。その声音には、多少の畏怖が混じっているように聞こえた。そして、呆れたように、困ったように、いってくる。

「サグマウよ。そなたは、ナリアと戦っておったのか」

「はい。それもこれも、ニーウェハイン様のためなれば」

「……そうか。ナリアに打ち勝つ術はあるのか? ナリアは強大ぞ。我とは比べものにならぬ力を持っている」

 マウアウが畏怖を感じているように聞こえたのは、気のせいではなさそうだった。同じ神でありながら、ナリアのほうが圧倒的に強いというのであれば、畏れるのも無理のない話だろう。かつて、ヴァシュタラという神がいたが、それは、ナリア、エベルという二大神に対抗するため、多数の神が力を合わせ、作り出していたものだという話も聞いている。ナリアとは、それほどの力を持った神なのだ。ヴァシュタラから分離する際、複数の神を取り込んだというマウアウ神ですら、敵わないという。だが、勝ち目がないわけではない。なければ、マユリ神は、最初から戦いを挑みはしなかったに違いないのだ。勝てる見込みがあるから、挑んでいる。

 神をも滅ぼす魔王の杖があればこそ、なのだろうが。

「そのために……ナリアを討つためにこそ、分霊どもを滅ぼさねばなりませぬ」

「ふむ……事情はだいたいわかった。ならば、力を貸そう」

「恐悦至極にございます」

 サグマウは、マウアウ神に最大限の敬意を以て応えながら、勝利を確信した。海の支配率を見る限り、マウアウとヴォイドの力の差は絶大だ。ここからヴォイドがマウアウを上回る力を発揮できるとは到底想えなかった。不安もない。マウアウの側にある限り、サグマウは無敵だ。

「我を滅ぼすだと? いかな神の力といえどナリアの分霊たる我を滅ぼすなど、片腹痛い……!」

 ヴォイドは、声高に叫んだが、マウアウ神は涼しい顔で聞き流していた。そして右手を軽く掲げると、手のひらで握り締めるような仕草をした。するとどうだろう。女神の遙か前方の海域に変化が生じた。ヴォイドの海が一点に圧縮され、水に溶け込んでいたはずのヴォイドの体が実体を伴っていく。それは、最初に見た巨躯とはまるで異なる姿ではあったが、顔だけはアルセルによく似ていた。ヴォイドの本来の姿なのだろう。ヴォイドが怒りに満ちた表情でマウアウ神を睨むも、身動きひとつ取れないといった有り様だった。マウアウ神の力が圧倒的に過ぎるのだ。

「しかし、この海は扱い難い。我にできるのはここまでぞ?」

「十分でございます、マウアウ様!」

 マウアウに応えたのは、サグマウではない。レムだ。

「レム殿!」

「おお、レムか!」

 サグマウとマウアウが叫んだのも束の間だった。

 いつの間にか元通りに戻っていたレムの姿がヴォイドの背後に出現するなり、彼女は大鎌を振り下ろし、ヴォイドの本体を真っ二つに両断して見せた。ヴォイドが嘲笑う。また、海に溶けようというのだろうが、マウアウ神がそれをさせない。そして、レムの“死神”たちもその好機を見逃さなかった。五体の“死神”たちは、それぞれ異なる召喚武装を手にしていて、それらをヴォイドに叩きつけた。爆発的な力の収束。マウアウ神が力の拡散を押さえ込んでいるがために、本来発散するはずの力が一点に凝縮し、ヴォイドの本体を徹底的に破壊した。

 物凄まじい力の爆発が巻き起こり、ヴォイドの断末魔がマウアウ神の海に響き渡った。

 その爆発さえもマウアウ神によって押さえ込まれた結果、海は、何事もなかったかのように静寂を取り戻し、サグマウは、レムの無事な姿を確認し、安堵した。そして、レムが死を偽装していた理由を悟る。彼女の“死神”たちは、いずれもがなんらかの召喚武装を手にしている。それは、ヴォイドによって殺戮された武装召喚師たちが遺したものだ。

 レムは、それら召喚武装を確保することで一時的に超絶的な力を得ていたのだ。サグマウが好機を生み出してくれると信じ、待ち続けていたに違いなく、その好機が一瞬であっても必ずや結実させると考えていたのだろう。

 マウアウ神の助力がなくとも、なんとかなったかもしれない。

 そんなことを想いながらも、マウアウ神があればこその勝利だったのも間違いなく、彼は、主の麗しい姿に目を細めた。

 海神マウアウの美醜併せ持つ姿こそ、海そのもののように想えた。



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