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第二千五百四十九話 激流の底で(五)

「愚昧なり。愚昧なり」

 ヴォイドの声は、四方八方から聞こえていた。

 水中。

 遙か頭上から前後左右、下方に至るまで、塔の大きさからは想像もつかないほどの広さを誇る、ヴォイドの海では、大勢が決しているといっても過言ではない。なぜならば、サグマウを除くほとんどすべての戦力が失われてしまったからだ。それもこれも、サグマウが後先を考えずに突っ込んだせいに違いなく、彼は、口惜しむほかなかった。ヴォイドの力を見誤っていた。いや、理解してはいたのだ。相手がナリアの分霊であり、強大な力を持つ存在だということくらい、わかりきっていた。しかし、好機を見た。それが見当違いの、ヴォイドの罠だということにも気づかず、全力を叩き込んでしまったのが大きな間違いだったのだ。

 その結果、ヴォイドの肉体は水の泡と消え失せ、ヴォイドは、この海そのものとなった。そして、蹂躙が起こった。各所で戦っていたサグマウの部下たちも、サグマウの戦いを見守っていたレムたちも、ほとんど全員が海と一体化したヴォイドの攻撃によって殺されてしまったのだ。生き残ったのは、ほんのわずかばかりであり、レムさえ、その肉体を千々に引き裂かれ、水中を漂う亡骸と化してしまっていた。

 いまさら後悔しても遅すぎるのだろうが、しかし、彼は、口惜しむほかなかった。あまりにも呆気なさ過ぎたことを訝しむべきだった。一方的に戦えているという事実にこそ、疑問を持つべきだったのだ。ヴォイドは、サグマウに攻撃を受けながら、内心嘲笑っていたに違いない。

 この広大な海こそ、ヴォイドの力そのものであり、その力に溶け込むことこそ、ヴォイド本来の姿なのだろう。つまり、ヴォイドの巨躯は、サグマウたちを見誤らせるためのものに過ぎず、そのため、その攻撃もあまりに弱く、巨躯の強度も神人並しかなかったのだ。サグマウが容易く貫けたのもそれが理由だ。

 サグマウは、三叉の矛を握り締めながら、水中を見回した。ダンマウ、フイグマウももはやほとんど生き残っていない。多くは碧の戦士に敗れ去り、勝ち残ったものたちも、ヴォイドの力の前に為す術もなく滅び去った。彼らの嘆きの声が残響のように脳裏に押し寄せてくる。ひとの身を捨て、人間であることをやめてまで帝国のために、ニーウェハインのために尽くしたがった彼らの忠誠心は、いま、このヴォイドの海にて散った。

 その想いを拾い集め、受け継がなくてはならない。でなければ、彼らの魂は、行く果てもなく彷徨い続けるだろう。

 無念に死んだのは彼らだけではない。帝国の武装召喚師たちの数百名も、一瞬にしてその人生の幕を閉じた。一瞬の出来事だ。サグマウにも護れなかった。護ろうとはしたが、あまりに遅すぎた。いや、ヴォイドのほうが速かったというべきか。そしてその一瞬で、レム率いる五百名の武装召喚師のうち、四百名以上が命を落としている。レムを含め、だ。

 戦力は、壊滅的。

 ただでさえ圧倒的というほかなかった戦力差は、絶望的なものとなった。

 勝ち目はない。

「そなたは帝国への忠を尽くすという。ならばなぜ、矛先を我らに向ける。我らは帝国の守護神ナリアが分霊ぞ」

 ヴォイドの声が響く中、サグマウは、頭を振った。勝ち目があろうとなかろうと、部下たちの無念、かつての同胞たちの無念を晴らすためにも、戦わなければならない。戦い、勝利を掴まなければならない。しかし、現状、どうすることもできないという絶対的な事実がある。現実がある。

 ヴォイドは、海となった。この海そのものがヴォイドである以上、斃しようがない。手の施しようがない。実体があってないようなものだ。この膨大な量の水がヴォイドの肉体と言い換えていい。水を掴むことはできない。水を切り裂くことも、突き破ることもできない。たとえ水中で矛を振るい、切り裂いたとして、それがヴォイドの体を切り裂いたことになるかというと、そうはなるまい。

 このままでは、為す術がない。

「帝国への忠を尽くすのであれば、ナリアにこそ忠を立てよ。ナリアの加護あればこそ、帝国は成立し、五百年の歴史を紡いでこられたのだ。ナリアの加護なく、ナリアの恩寵なく、ナリアの愛なく、帝国史は成り立たぬのだから」

「知らぬ」

 サグマウは、冷ややかに告げ、矛を掲げた。力を込める。が、しかし、水を操ろうにも、ヴォイドと一体化した海を制御することは不可能であり、諦めざるを得なかった。水を操り、ヴォイドを弾き出そうと考えたのだが、無理だった。

「そのような歴史を辿った帝国など、知らぬ」

「愚かなり」

「愚か結構。わたしには、始皇帝ハインが切り開き、代々皇帝が受け継がれてきた帝国の歴史こそがすべて。ナリアなる邪神を崇拝するなど、ありえぬこと」

「ならば、その愚かしさに疑問を持たぬまま、滅び去るがいい」

 いうが速いか、凄まじい圧力がサグマウの全身を包み込んだ。この広大な海そのものがヴォイドなのだ。ヴォイドが力を込めれば、それだけでサグマウの肉体を破壊することなど容易い。サグマウの肉体の強度は、神人とは比べものにならないほどに強靱であり、ヴォイドの仮初めの肉体以上のものではあるが、それでも抵抗していられたのはわずか数秒でしかない。

 まず、左腕が肘の辺りから切り飛ばされた。水圧による切断。痛みを伴ったが、彼は苦悶の声さえ上げなかった。さらに右肩、左足、胴体、首とつぎつぎと切断されていく中、サグマウは、ヴォイドが遊んでいるのだと思い知った。そして、故にこそ勝機を見出したのだ。ヴォイドが本気でサグマウを抹殺するつもりだったのであれば、こうも上手くはいかなかっただろう。

 こうも上手く、ヴォイドを出し抜くことはできなかったはずだ。

 サグマウは、レムの亡骸を一瞥した。ばらばらに切り飛ばされた少女の体は、力なく水中を漂っている。しかし、その血のように紅い目は、じっとこちらを見ていた。機会を窺っている。ヴォイドを討ち滅ぼす一瞬の機会を待ち構えている。レムは死神。不死身の存在だということをいまさらのように思い出したのは、きっとヴォイドを打ち倒すためだろう。

 そしてサグマウは、あらん限りの力を解き放ち、自身の肉体を霧散させた。ヴォイドのように。

「所詮、か弱き神の使徒に過ぎぬものが我に打ち勝つことなど不可能なのだ」

 ヴォイドは、勝ち誇るでもなく告げたのは、それが彼にとって当然のことだったからだ。いや、彼だけではない。常識的に考えれば、ヴォイドの勝利こそが正しい。必然だ。マユリ神の加護やいくつもの召喚武装による強化、支援を得、さらに五百名の武装召喚師を加えることで、ようやく食らいつけるかもしれないというのが、分霊という存在なのだ。負けて当然。敗れ去って、当たり前なのだ。

(だからこそ、勝たねばならぬ)

 当たり前のまま負けて死ぬようでは、ナリアに打ち勝つことなどできない。

 帝国を護ることも、ニーウェハインを護ることもできないのだ。 

 だからこそ、彼は、持てる限りの力を使った。使い果たした。許される限りの権利を行使したのだ。

 サグマウは、ヴォイドの海に溶けていくことで、水の支配率を変えようとした。ヴォイドの海ではなく、ヴォイドの海とサグマウの海に二分しようと試みたのだ。海神の使徒たる彼には、それくらいの権利がある。海の支配者たる権利が。

 そしてその権利の行使によって、戦況は一変する。

 召喚が起こったのだ。



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