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第二百五十四話 逆流

 黒き矛の複製に成功したとき、彼女が確信したのは勝利だ。同時に、黒き矛のセツナの死を予感せざるを得なかった。圧倒的な力を秘めた召喚武装だ。そんなものを彼女が手にすれば、まさに無敵となり得る。彼女は黒き矛によって、黒き矛のセツナを抹殺するのだ。

 セツナが死ねば、本物の黒き矛の使い手となるのもいいだろう。複製品ではなく、本物を使いこなし、ザルワーン本土からガンディア軍を撃退してしまうのもいい。その暁には、国主ミレルバス=ライバーンも彼女に頭を垂れざるを得まい。オリアン=リバイエンでさえ、彼女を黙殺することはできなくなるはずだ。

 黒き矛のミリュウ。いい響きだ。

 そして、黒き矛を手にしたとき、ミリュウは、いままでにない絶対的な力を感じた。凶暴で、破壊的な奔流が肉体を貫き、心を、魂を侵蝕していく。黒い力の波動。理不尽極まりない暴圧の連鎖。意識が粉々に破壊されるような衝撃があった。あらゆる感覚が何倍にも膨れ上がっていく。

意識の肥大が止まらず、加速度的に膨張していくのだ。視野は無限に広がり、光明は不要となり、聴覚は遥か彼方の風の音すら拾った。五感が冴え渡り、この世のすべてが手に取るようにわかるかのような錯覚に襲われた。万能感に苛まれたが、それは一過性の病のように消え去る。

 ミリュウは、黒き矛の力を制御できたのだと確信した。

 だが、そうではなかったのだ。

 力を振るうたび、もっと、もっとという声が聞こえた。力への意志が、渇望が、彼女にさらなる力を求めた。ミリュウは、その声に従い、ただただ矛を振り回した。セツナを追い詰め、あと少しで殺せそうだった。殺せば、本物の黒き矛が手に入る。そう思うと、俄然やる気が出た。

 力。

 力さえあれば、あの地獄からも脱却できたのに。

 力さえあれば、こんな国からも解き放たれたのに。

 呪縛を逃れ、自由になれるのに。

 力さえあれば、力さえあればと呪詛のように唱え、天を睨み続けてきた。闇の底、鎖に繋がれた魔龍には、そうすることしかできなかったのだ。

 だが、彼女は、黒き矛を手に入れた。

 偽物、複製物であっても、同じだけの力がある。幻竜卿は、対象物を完全に再現する能力を持っている。ミリュウの幻像だって、なにからなにまでミリュウそのものを再現していた。

もっとも、幻像は幻像であり、実体はあってないようなものだ。触れれば破壊されるし、攻撃力も防御力もないに等しい。敵武装召喚師の攻撃を誘うための存在といっても過言ではない。幻像に触れた召喚武装を複製するのが、幻竜卿の真の力だった。

 そうして手に入れた黒き矛の力は、真に強力無比であり、ミリュウが我を忘れるほどだった。力に溺れ、すべてを見失った。

 そして、逆流が始まった。

 黒き矛から解き放たれた膨大な力が、五感が捉えたあらゆる情報が、一斉に押し寄せてきたのだ。

 それこそ、洪水のように。

 ミリュウは、破壊的な力の奔流に飲まれ、なにが起きたのかを理解する前に意識を失った。



 闇の中で、眼を開いた。

 瞼は重く、彼女は眼を開くことにさえ全力を費やさなければならなかった。だれかの声が聞こえる。男の声だ。喜びに満ちている。ひとはこうまで慈愛を持てるものかと思うほどに、慈しみに満ちた声音で、彼女さえ安らぎを覚えた。

 光が飛び込んできて、その眩しさのあまり、彼女は泣いてしまった。いや、違う。泣いているのは自分ではない。ミリュウ=リバイエンとあろうものが、この程度で泣くはずもない。では、だれが泣いているというのだろう。

 目の前に、見知らぬ男の顔があった。赤い瞳が特徴的な、若い男だ。歓喜に緩んだ表情は、彼女の荒んだ心をも溶かす魅力がある。赤い目は、どこかで見たことがある気がするのだが、思い出せなかった。男の顔立ちも、誰かに似ている。ついさっきまで目の前にいた人物に似ている気がするのだ。思い出せないもどかしさと、状況の意味不明さに混乱する。

 赤い目の男に抱えられているような感覚があった。周囲には理解のできない言葉が飛び交っている。大陸共通言語ではない言葉だ。異世界に迷い込んでしまったのではないかと思うのだが、武装召喚師の夢としてはありがちな夢ではある。

(夢よね?)

 だれとはなしに自問して、納得する。夢ならば、なにが起きても不思議ではない。

 武装召喚師は、呪文に用いる古い言語を学ぶ。共通語とは明らかに異なる言葉を学ぶうちに、聞き慣れぬ言葉に圧倒される夢を見るということが往々にしてあるらしい。ミリュウもそういう悪夢にうなされたこともあれば、クルードたちにもあったようだ。もっとも、悪夢よりもっと苛烈な現実が舞っているからたちが悪いのだが。

 とはいえ、この夢の中の言語は、古代語とはまったく異なるものであり、ミリュウが想像できるような代物でもなかった。が、夢とは元来そういうものかもしれない。

 瞼を閉じると、意識が歪むような異様な感覚に包まれた。

(なによ、今度は)

 ミリュウは憤然としたが、どうせまだ夢の中なのだと諦め半分に嘆息を浮かべてみた。

 瞼が開く。視界は、彼女の意志で動かすことができなかった。だれかの見ている景色を見せつけられているようなものだ。変な夢もあるものだと思わないでもないが、ここまで自分の意識が介在する夢もまた、めずらしい。とはいえ、彼女の意志はこの夢になんの変化ももたらせなかった。

 ただ見届けることしかできなかったのだ。

 安定しない視界に飛び込んでくるのは、可憐な女性だった。ミリュウでさえ魅力的と感じる女性で、柔らかな笑顔の絶えないひとだった。ふと、ミリュウが安心感を覚えたのは、その女性がミリュウの母親と同じ空気を纏っていたからだ。ミリュウにとっては、母親だけが味方だった。

 その女性が、視界の主を覗きこむように顔を近づけてくる。ミリュウははっとした。女性は泣いていた。けれども、悲しみをひた隠しにしているのだ。視界の主に知らせたくなかったのだ。

(そうか……これは……)

 ミリュウが理解できたのは、視界の主はまだ子供だということだ。そして、最初に見た光景は、生まれ落ちたばかりの記憶なのではないかと推測する。その考えは恐らく間違ってはいないだろう。だからどうだという話ではあるのだが。

 夢は、夢だ。

(本当に?)

 ミリュウが疑問を感じたのは、ここまで自分と無関係な夢を見ることがあるのかということだ。想像もできない言語が飛び交っているし、女性の衣服も、最初に見た男の服装も、ミリュウの周囲では見られないものだった。似たようなものはあるかもしれないが、色彩があざやかで、生地も綺麗だ。彼女のような服装は自分には似合わないというのがわかりきってしまうのが悲しいが、それはともかくとして、視界に飛び込んでくるさまざまな情報が、これは夢などではないと結論させるのだ。

 いつの間にか、部屋の中を見回していた。四方を壁に覆われた狭い部屋だ。部屋の構造そのものはミリュウの世界のそれと大差はない。しかし、部屋に置かれた調度品や什器類は、少しばかり毛色が違うように見えた。天井にかかっているのは魔晶灯ではないのだが、光は魔晶灯よりも遥かにきつい。壁には色々なものが掛けられており、部屋の角には見たこともない物体が鎮座していた。その物体の表面は鏡のように磨かれているのか、視界の主が映り込んだ。子供だ。五歳くらいの男の子。見知らぬ子供の見ている風景を、ミリュウは見せつけられていたのだ。

(あなたはだれよ?)

 問うたところで、答えが帰ってくるはずもない。

 再び、視界が閉じた。

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