第二千五百四十三話 灼熱の魂(六)
ファラグが掲げる両腕の先、なにもない虚空にそれは浮かんでいた。
目が灼けるほどに目映い光を発する巨大な球。さながら太陽のようなそれは、さらなる上空に向かって無数の光線を撃ち出しており、それら無数の光線は、一定の高度に達すると、まるで重力に従うかのように急転直下し、地上に降り注いでいた。紅い光の雨のようだ。だが、それらは地面に落ちきらない。重力に逆らい、戦場を駆け抜け、砂漠の上を、溶岩地帯を突き抜け、各地に散らばる敵をものの見事に貫いていた。
紅い光線に貫かれたのは、ミーティアだけではなかったのだ。前方に見える武装召喚師たちも全員、だれひとりとして回避しきれず、光線に貫かれたまま、苦痛の余り身悶えしている。灼熱の光線は、対象を貫くと、体の内側から内臓を、肉を、骨を、焼き尽くさんばかりの勢いで燃え上がった。暗殺者として鍛え上げられたミーティアでさえ気を失いそうになるほどの激痛の連続。配下の武装召喚師たちがつぎつぎと意識を失っていくのも無理のないことだったし、シャルロットが辛くも持ち堪えているのが不思議なくらいだった。
「やって……くれる……!」
ミーティアは、その場に踏ん張ろうとしたものの、光線に貫かれたまま持ち上げられ、さらなる激痛の連鎖にうめかざるを得なかった。普通ならば衝撃のあまり、死んでいるのではないかと思うほどの痛みだ。肉体が原型を保ち、激痛を感じる程度で済んでいるのは、女神の加護や召喚武装の支援のおかげというほかあるまい。それでも意識を保っていられるのがやっとであり、ファラグに一矢報いることさえできない。
戦輪形態のサークルハーフを投げつけたところで、光線を断ち切ることもできなければ、ファラグに届くことさえないのだ。別の光線に打ち落とされ、地に叩きつけられる。シャルロットも封霊剣を振り回し、なんとか窮地を脱しようと試みたようだが、状況が変わっていないところを見ると、なんの意味もなさなかったのだろう。
「所詮、人間は人間。異界の力を用いようとも、我が灼光陣を破ること能わず」
上空から聞こえてきたのは、勝ち誇った声などではなかった。絶対の摂理を告げるだけの冷酷無比な声。そこには一切の感情はなく、こちらの状況を当然のものとして見て、発言しているだけでしかなさそうだった。
ファラグは、神の分霊。神に極めて近いそれにとっては、人間を打倒することなど、特別なことでもなんでもないのだろう。造作もないのだ。
ミーティアには、それが口惜しくてたまらないが、だからといってどうすることもできないのが余計に悔しさを増幅させていく。紅い光線に貫かれたまま、焼け死ぬような感覚の中で喘ぎ続けるしかないというのか。
見れば、ランスロットも脇腹を光線で貫かれ、虚空に持ち上げられていた。その周囲にいた武装召喚師たちもだ。彼らが展開していた防御障壁は、ファラグの光線の前では意味を成さなかったのだ。神に等しい力の前では、無力だというのか。
歯噛みする。
このままでは、ファラグに焼き尽くされ、犬死にするだけではないか。このままでは、ニーウェハインの側に仕え、一生を過ごすという彼女の小さな願いも叶えられないまま終わるではないか。このままでは。このままでは――。
だが、現状、ミーティアには為す術もなかった。サークルハーフは打ち落とされた。手元に戻ってこないし、戻ってきたところで、どうしようもない。光線は、切り裂けなかった。といって、部下たちはつぎつぎと意識を失っていっており、だれかが現状を打開するのを期待することはできない。このまま、完全に敗北する前に、女神に連絡するほかないのか。
戦神盤の能力を用いれば、この場から生きたまま離脱することは難しくない。
しかし、それをすれば、八極大光陣を破るという目標が大きく遠のくことになる。戦力を補充し、再度ファラグに挑んだところで、結果は同じだ。目に見えている。ファラグには、まだまだ余裕がある。たとえ五百人が千人に増えたところで、同じく光線に貫かれるだけだろう。
ならば、どうすればいいというのか。
(どうすれば……)
そのとき、ミーティアは、ランスロットが紅い光の筋に貫かれたまま、口を動かしていることに気づいた。彼は、呪文を詠唱し続けていたのだ。その精神力は、彼が武装召喚師として並外れた修練を積んだからこそのものだろうと想わざるを得ない。驚嘆に値する。ミーティアですら、気を失いかけるほどの痛みが傷口から全身に向かって拡散しているのだ。そんな状況下で、呪文を唱え続けられるなど、並大抵の精神力ではない。
そして、彼は、空を仰いだ。
「武装召喚」
呪文の結語が、彼女の耳にもはっきりと聞こえた。ランスロットの周囲に爆発的な光が生じた。無数の爆発。大気を揺るがし、世界を震わせる。ファラグ曰く、灼光陣そのものを激しく、強烈に震撼させる。そしてそれは一瞬の出来事だ。一瞬にして武装召喚術は発動し、結果が導き出される。即ち、異世界からの武装の召喚。爆発的な光が消えると、ランスロットの姿がミーティアの視界から消えていた。光線だけが虚空を漂っていて、彼女はなにが起こったのか、理解が追いつかなかった。
轟然たる激突音が聞こえたのは、頭上からだ。衝撃波が上空から地上に直撃し、余波が砂埃や熱風を巻き起こし、ミーティアは、その発生源に目を向けながら、地面に落下する感覚に混乱した。それと同時に痛みが急速に失せていく。ふと見下ろすと、腹を貫いていた光線が消え失せ、傷口が見る見るうちに塞がっていっていた。傷口が塞がるのは、生命力強化と治癒能力強化という召喚武装能力のおかげだが、光線が消えた理由は、わからない。
いや、わかってはいるのだ。
直接の原因こそ不明だが、ランスロットがなにかしたのは間違いがなかった。空を仰ぐ。吹き荒ぶ粉塵の中、太陽の如く輝いていたファラグの姿はなかった。
さらなる衝撃音とともにまたしても粉塵が舞い上がり、熱波が肌を焦がすように駆け抜けていく。視線を向ける間にも、二度、三度と衝撃音が連続的に鳴り響き、そのたびに熱砂が舞った。
「ランスロット……?」
彼がなにをしているのか、ミーティアにはまったくわからないし、想像も付かない。おそらくは、ファラグと戦っているのだろうが。
そして、ファラグと戦えているという事自体が驚くべきものだということに気づき、彼女は、茫然とした。ランスロットを信頼し、期待していたとはいえ、期待以上の結果が眼前にあったからだ。それは間違いなく、シャルロットも同じ気持ちだろう。
ランスロット=ガーランド。
かつて、イェルカイム=カーラヴィーアが自分の後継者と名指しした武装召喚師は、いままさに世界最高峰の武装召喚師としての片鱗を見せている。
『呪文の複合化による術式の改良案……ですか』
『中々、面白そうな案だと思わないかね』
ランスロットがよく覚えているのは、イェルカイムとの他愛のない会話から始まる議論についてだ。
イェルカイム=カーラヴィーアが当代最高峰の武装召喚師だというのは、旧帝国時代においては、周知の事実というべきものであり、帝国に属する武装召喚師のだれもが認めるところだった。皇族の中で異端者の如き扱いを受けていたニーナ=ザイオンの側にあってそのような評価を受けていたのだから、彼がどれほど優れた武装召喚師であるかはいうまでもないだろう。ニーナの側にあって正当に評価されるものなどいようはずもない。
つまり、イェルカイムは、ニーナの側にいることによる減点を加えた上で、帝国最高峰の武装召喚師として認識されていたということであり、ランスロットが彼を師事するのも当然のことだったのだ。そして、それは間違いではなかった。イェルカイムに師事したことは、ランスロットの人生を大きく変えた。ランスロットは、唯一無二の主君と巡り会い、自分の生きる道を見いだせたのだ。
それもこれも、いまは亡き師のおかげだった。
(師よ)
彼は、胸中、イェルカイムへの感謝を述べるほかなかった。
師がいなければ、ランスロットの人生はまったく異なったものになっていたことだろう。