第二千五百四十一話 灼熱の魂(四)
シャルロットは、武装召喚師ではないが、召喚武装の使い手だ。封霊剣と呼ばれるその長剣は、彼女がメギアス剣帝教団において磨き上げられた剣術をさらに鋭く、冴え渡らせる。剣帝教団随一の剣士として知られた彼女がなぜ、ニーウェの護衛となり、そのまま側近となったのかといえば、やはりその剣の腕を買われたからにほかならない。そして、召喚武装を与えられた彼女は、帝国において並ぶものなき剣士となった。そんな彼女だが、さらなる鍛錬と研鑽の中で成長を続けているのはいうまでもない。
燃え盛る炎が流れているかの如き河を飛び越え、熱気を発する岩盤地帯を突き進む。敵は、四方八方に散っていて、ゆっくりと、ランスロットたちのいる陣に向かって接近中だ。四十体ほどの敵は、いずれも、炎と燃える鎧を纏った騎士のような姿をしていた。紅蓮の甲冑に様々な種類の武器を携え、声もなく、進軍している。それらを討つのがシャルロットたちに与えられた使命だ。幸い、いずれの騎士も遠距離攻撃用の武器を持っていないらしく、その点では、シャルロットたち、手持ちぶさたなものたちのために用意された活躍の舞台といっても過言ではあるまい。
無論、過信してはならない。
相手は、分霊が呼び出した戦力なのだ。神人より凶悪だとしても、なんら不思議ではない。
「皆、細心の注意を払い、事に当たれ。一体残らず撃破し、ランスロットを護るのだ」
シャルロットは、後方をついてくる部下たちに告げると、反応を待たずに飛び出した。岩盤地帯を抜ければ、広がるのは熱砂の大地だ。火天星ファラグが発する膨大な量の熱気が、無限に広げる砂の大地を包み込み、灼き焦がしている。その先、熱風によって歪みに歪んだ視界の彼方に炎の騎士たちがいた。長槍を携えたもの、両手大剣を手にしているもの、大斧を担いでいるもの、いずれの武器も煌々たる炎を発している。
(炎……炎か)
火天星ファラグの時点でそうだが、彼らはなにかと炎に縁のあるものたちのようだ。そして、炎ほど恐ろしいものもあるまい。
とはいえ、こちらは、幾重にも強化が施されている。神の加護もあれば、召喚武装による様々な支援を受け、さらに複数の召喚武装がシャルロットたちを包み込んでいる。こんな状態でファラグの兵士如きに敗れ去るわけにはいかない。そう思ったとき、シャルロットの頭上を閃光が駆け抜けた。緩やかな曲線を描くそれは、シャルロットの前方、長槍の騎士に直撃し、その肩当てを吹き飛ばす。すると、肩当てが外れた部分から爆発的に炎が吹き出し、炎の騎士が吼えた。怒気がその咆哮に乗っている。大気を震えさせるほどの雄叫びも、いまのシャルロットの心には響かない。
さらにいくつもの光弾や岩弾が炎の騎士たちに襲いかかり、後方からの援護攻撃が始まったことを知る。だが、炎の騎士たちは、それらの攻撃をかわすなり、打ち落とすなりして対処し、直撃を与えられたのは、最初の攻撃だけだった。ただし、その間にシャルロットは、炎の騎士への肉薄に成功しており、炎の騎士が大斧を振り上げんとしたそのとき、彼女の剣は無数の剣閃を刻んでいた。剣を一度振る度に複数の斬撃が周囲を走る。封霊剣の能力は、近接戦闘において無類の強さを発揮し、実際、炎の騎士をでたらめに切り刻んだ。そして、シャルロットは瞬時に騎士から離れ、鎧を粉微塵に壊された炎の騎士から噴き出した爆炎を華麗に回避した。最初の援護射撃がなければ、直撃を受けていただろうが。
「気をつけろ! 奴らは鎧を壊すと爆発する!」
部下に警告を発しながら後ろ飛びに飛び退き、空中から振り下ろされた長槍をかわす。長槍の騎士は、着地と同時に槍を地面から引き抜き、砂塵を散らしながらこちらを睨んだ。シャルロットは、そのときには既に剣を振り抜いている。見えざる剣が長槍の騎士の兜を切り裂き、その切り口から炎が噴き出す。騎士が斬撃の飛んできた方向を睨んだと同時に背後に斬撃が走り、炎の騎士が吼えた。切り口から、やはり爆炎が噴き出す。爆発的な炎を噴出させているのは、なにもシャルロットと対峙する騎士だけではない。各所、各方面の戦闘で、炎の騎士たちは鎧を傷つけられ、その切り口から猛炎を上げている。ただ、こちらも無傷とはいかない。炎の騎士にやられたり、爆発に巻き込まれる武装召喚師もいないわけではなかったのだ。
「奴らは炎をあの甲冑で制御しているようだ。つまり、炎を制御できないくらい鎧を壊せば、爆発四散するということ」
シャルロットの推測は、最初に切り刻み、大爆発を起こした大斧の騎士がもはや跡形もなく存在しないことから成り立っている。神人のように“核”があるのではなく、鎧に包み込まれた炎こそが“核”のようなものであり、その“核”たる炎が解放されれば、形を失い、制御を失い、留まっていられなくなるのだろう。そして、そうなればもはや騎士たちには為す術もない。騎士ですらない熱となって虚空に溶けていくだけだ。
ただ、それはそれで問題だった。
相次ぐ爆発と爆炎の放出によって、周辺の気温が急激に上昇していた。
元々、超高温といってもいい戦場だったのがさらに熱く、燃えたぎるような状況になっている。
これでは、長時間戦い続けることなどできるわけもない。
シャルロットは、額を流れる汗をそのままに、封霊剣を握った。長槍の騎士は、封霊剣の能力によって切り刻まれ、爆発四散している。
ミーティア・アルマァル=ラナシエラは、ただの人間だが、常人というには多少疑問点の残る存在だと自認していた。
ザイオン帝国には、古くから“月ヶ城”と呼ばれる暗殺者集団が存在した。みずから義賊を名乗り、標榜する盗賊集団“雲の門”を前身とし、命を盗む技術に長けたものたちが集まって生まれたその組織は、殺しの技術のみで帝国の暗部にのし上がり、帝国の影の支配者として君臨していた。帝国政府がその存在を黙認していたのは、やはり、“月ヶ城”の暗殺者の技術、練度の高さ故だろう。
帝国は古くより一枚岩ではなかった。
権力があるところには争いが生まれ、争いがあるところには血が流れる。その血を流す役割を担ったのが、“月ヶ城”の暗殺者たちであり、帝国の近代史と“月ヶ城”は切っても切れぬ縁によって結ばれているといっても過言ではなかった。帝国の安定的な統治の裏には、暗く忌まわしい闘争の歴史があるということであり、その事実は、帝国の政治に関わる人間か“月ヶ城”の人間くらいしかしらないことだった。それくらい、“月ヶ城”の情報管理というのは徹底的だったし、だからこそ、帝国は“月ヶ城”を重宝した。“月ヶ城”もまた、帝国政府の意向に従ってさえいれば、食いはぐれることはなく、蜜月の日々は、永遠に続くものと信じて疑わなかった。
そう、彼女が生まれるまでは。
ミーティアは、そんな組織の中で生まれ育った。
ミーティア・アルマァル=ラナシエラ。
アルは子孫を示す古代語で、マァルは月を意味する言葉だが、古代語とは多少異なることから、“月ヶ城”の初代総帥が独自に変更を加えたものだと推測されている。なぜそんなことをしたのかといえば、独創性豊かな人物だったからだろう、としかいわれてはいない。何百年も前の人物の考えなど、現代を生きるものたちにわかるはずもない。そして、アルマァルとは“月ヶ城”総帥にのみ名乗ることを許された名であり、ミーティアは、生まれた当初は、当然、その名で呼ばれたわけではなかった。
ミーティアとだけ、呼ばれていた。
ラナシエラという家名も、アルマァルという称号も、すべて彼女が実力で勝ち取ったものだ。
奪い取ったものなのだ。
暗殺者組織“月ヶ城”においてもはや伝説的となった暗殺者夫婦が次代の担い手として生み出したのが、彼女だった。彼女は、物心つく前から暗殺者としての教育が施され、暗殺技能を叩き込まれた。暗殺者には怒りや哀しみといった感情は不要である、として、感情を抑制するような処置を受けたらしい。ほかにも様々な薬剤の投与によって、身体能力を極限まで高め、様々な毒に対する耐性、免疫をつけられたという。
おかげで、彼女はわずか十代前半で両親を上回る技能を身につけ、“月ヶ城”総帥へと上り詰めた。それはすなわち、先代の総帥を殺すことだったが、彼女にとっては児戯に等しかった。“月ヶ城”は、数百年の技術の結晶として、怪物を産み落としたのだ。
そして彼女という怪物は、思うままに行動し、“月ヶ城”は自壊した。自壊というほかあるまい。自分たちが次代を担う希望として作り出した怪物に食い殺されたようなものだ。彼女は、“月ヶ城”の壊滅に対し、なんの感情も抱かなかった。なぜならば、そのような感情は不要であると教育され、“月ヶ城”に対し、特別な想いを抱いていなかったからだ。
不意にそんなどうでもいいことを思い出したのはきっと、限界まで引き出された感覚のせいだろう。
ミーティアは、二本の曲刀でもって炎の騎士を切り刻みながらその巨躯を駆け上り、爆発寸前に飛び越えて、爆風を背に受けながら上空を飛んでいた。そして、その高度から戦場を見渡し、何人もの部下たちが炎の騎士に苦戦し、命を落としている様を見た。
そのことについてなんの感情も動かされないのは、やはり、自分が人間とはいえない怪物だからなのだろう、と、彼女は思った。