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第二百五十三話 生きてこそ

「も、もうやめてくれ! 降伏する! 我々の負けだ!」

 矛を掲げたセツナの足に縋り付いてきたのは、ザルワーン軍の部隊長らしき男だった。周囲には、原型を留めぬ死体が散乱し、血の臭いが吐き気がするほどに蔓延している。セツナは、絶望的な男の顔を見つめながら、状況を確認した。

 両手に握った矛のおかげで、周りを見回す必要もなく、すべてを把握できる。戦場の音という音は耳が拾っていたし、あらゆる臭いが鼻孔を賑わしている。舌の上には血の味が跳ね踊るようであり、視界は夜だということを忘れてしまうほどに明るい。眩しいくらいだ。目を凝らせばとも、縋り付いてきた男の顔のしわの数はおろか、毛細血管まで見えるのではないか。

 瞳に映る自分の顔の冷たさに自嘲を浮かべたくなるが、そんな暇はない。

(いや……)

 彼は頭を振ると、掲げていた矛を下ろした。柄頭を地につけると、足に纏わりついていた敵部隊長がほっとしたように離れた。が、腰を抜かしているのか、這いつくばったままだったが。

 セツナが矛を下ろしたのは、戦いがもはや終わっていたからだ。

 状況は、西進軍の圧倒的勝利を告げていた。敵軍は戦力の八割を失い、生き残っていた兵士たちは皆戦意喪失しているのが見て取れる。目の前の部隊長以外にも、降伏した敵部隊長も数多くあり、彼らは一様に生き残れたことに歓喜しているようだった。戦いに負けたことを悔しがるものは、敵兵の中にひとりも見受けられない。だれもがこの敗戦を平然と受け入れ、生存できたことにのみ喜んでいるといった有り様だった。

 セツナが、殺し過ぎたのだ。

 立ち向かってくるもののみならず、逃げ惑う兵士すら殺して回った。当然だ。彼らは投降してきたわけではない。戦意を失っていようと、敵は敵だ。殺さなくてはならない。セツナひとりの戦場ならば見逃してやったかもしれないが、こちらには味方がいて、彼らへの被害を減らすのもセツナが戦う目的でもあった。敵兵をひとりでも多く減らすということは、自軍への攻撃を減らすということでもあるのだ。

 そのために、セツナは戦場を飛び回って、敵兵を殺し尽くさんとしたのだ。その結果、戦況は西進軍の圧勝といっても過言ではなくなった。こちらの被害も、皆無ではない。死者も出ている。が、その数は敵軍と比べると、天と地ほどの差がある。

(もういい、のか)

 セツナが足元の部隊長を一瞥すると、彼は表情を恐怖に歪めた。セツナは胸中で苦笑しながら視線を逸らした。現在、自分は凄惨な表情をしているのだろう。

 千人は、殺したはずだ。

 数えたわけではないのだが、感覚として憶えていた。敵を斬った手応えなどあるはずもない。斬ろうとも、突こうとも、叩き潰そうとも、彼の手にはなにも残らなかった。しかし、殺した実感だけはある。鼓動が消える瞬間を聞いている。生が死へと変わる刹那、なんともいえないやりきれなさがセツナを襲うのだが、それは黒き矛を二本持っているがゆえのものなのかもしれない。

 いつもは、こんなことはなかった。

 セツナに縋り付いてきた敵部隊長は、エイン隊の部隊長らしき人物とともにこの場を離れていった。彼はなんどかこちらを振り返り、なにかいいたげな表情をしていたが、結局なにもいえなかったようだ。

 セツナは、彼がなにをいいたいのかまったく理解できなかった。暴言、だろうか。彼の味方をさんざん殺したのだ。暴言程度で気が済むとは到底思えないが、去り際に言い残すとしたら、そのようなことしか思いつかなかった。

 静かに、息を吐く。

 全身には力が漲っている。力が有り余っていた。千人殺しても消費尽くせないほどだ。いや、それは当然ともいえる。セツナは、敵を殺すために力を振るったという感覚さえなかった。ただ軽く振り回しただけで、目の前の敵は肉塊となった。鎧は紙切れのように切れたし、盾も同じだ。どれだけ堅固な布陣であっても、軽く武器を振るだけで崩壊した。踊るように振り回せば、周囲に死体の山ができた。力を試すこともできなかった。

 雑兵を相手にしているとも思えない。

 自分が絶対者になってしまったような錯覚は、すぐに消えた。そんなものではないと自制することができた。しかし、力に酔いかけているのも事実だった。酔わなかったのは、力を振るわなかったからに違いない。最小限に抑えていたからこそ、力に溺れずに済んだのだ。

 何度かドルカ隊とアスタル・エイン隊の戦場を行き来したが、空間転移すら無意識に行っていた。敵の居場所を探していただけで、血の向こう側の景色へと転移した。転移先で殺戮を行えば、再び転移が起きた。そうやって戦場を転々としながら、セツナは敵兵の死体を生み出していった。

 気がつけば、全身が返り血でずぶ濡れになっていた。が、体は重くない。両手の矛が、身体能力を飛躍的に向上させている。感覚も、意識も、いつもとは違う。複製物がいかに黒き矛を完璧に再現しているのかがわかる。そして、ミリュウに殺されかけたのが、黒き矛の性能差ではなく、セツナとミリュウの実力差によるものだということがはっきりと理解できた。

 悔しいと思えるのは、向上心があるからだ。前向きに捉えることができたのも、二本の黒き矛のおかげかもしれない。

「セツナ様ー!」

 歓喜に満ちた呼び声にも、彼は視線を動かさなかった。左から、エインたちが近づいてくる。しかし、顔を合わせようとはしない。自分は恐ろしい顔をしているということがわかっている。鬼のような形相とでもいうべきか。およそ人間的な表情ではない。

 セツナには、そういう顔を見せたくない人達がいる。たとえばファリアであり、ルウファである。エインも、そういう人物に加わろうとしている。セツナの無意識の中で、だ。もっとも、ファリアはセツナのそういう顔を知りすぎるくらいに知っているはずだ。ルウファも、エインだって、戦場のセツナを知らないはずがない。

 しかし、今回は違うのだ。

 いつもよりももっと荒んでいる。黒き矛の二刀流はセツナに絶大な力をもたらし、西進軍を圧倒的勝利に導いたが、同時に、彼の身も心も凶悪な魔物に変えようとするかのようだった。それが理解できるから、いまは顔を合わせたくなかった。

 セツナは、戦場の全景を見下ろしているような感覚の中にあった。大勝に沸き立つ西進軍の各部隊や、兵士たちの姿がある。生存を泣いて喜ぶ敵兵たちに声をかける自軍兵士の姿に、奇妙な感動を覚えたりもする。部隊を纏めるドルカやアスタルには、戦勝に喜んでいる様子はない。むしろ気を引き締めているのが窺えた。

「なにはともあれ、ご無事で何よりです!」

 エインは、すぐ近くまで来ていた。セツナが反応しないことを不審がっているようなのだが、別段無視を決め込むつもりもない。しかし、視線を合わせ難いのも確かだった。

「セツナ様?」

 仕方なく、一瞥する。エインの背丈は、セツナよりも少し低いくらいで、わざわざそらそうともしなければ目が合うのは必然だった。少年軍団長は、いつにもましてにこやかな表情だ。セツナの強張った顔も綻ぶくらいに底抜けの笑顔を浮かべていた。目を合わせないように努力していた自分が馬鹿馬鹿しくなった。

 彼はみずから馬を引き、数名の部下を引き連れていた。馬を連れているのは、いつでも乗って走り回れるようにということだろう。彼は軍団長。忙しい身分だ。セツナひとりに構っているだけの余裕があるのかどうかさえ疑わしい。

「さすがの活躍ですね! 作戦もうまくいきましたし、西進軍も大勝利!」

「ああ、勝ててよかった……」

 ようやく、安堵を覚えることができたのは、親しい人物に声をかけてもらえたからだろうか。しかし、緊張は解けない。両手の黒き矛が、常に神経を研ぎ澄ませることを強いてくる。戦いが終わったというのに、セツナの心はまだ、戦場にあった。敵を探しているのだ。もはや敵などいないとわかっていても、意識は常に敵意の所在を探り、見つけ次第殺しに行こうとしている。ざわついている。抑えられない。

 エインが小首を傾げた。

「どうされたんです?」

「そうよ、だいじょうぶなの?」

「え?」

 予期せぬ言葉に顔を上げると、エインが引いていた馬の上にファリア=ベルファリアの姿があった。まさに満身創痍といった有り様は、セツナが感覚的に把握した姿そのものだった。寸分違わぬ状態であり、感覚による情景描写の精確さに驚く一方、彼女の戦いの苛烈さを思うと、胸が傷んだ。視界が揺れている。感情の制御が効かない。矛のせいだ。二本の矛を持っているから、なにもかもが思い通りにならないのだ。

 言い訳を胸中に浮かべながら、セツナは、呆気に取られている様子のファリアをじっと見上げていた。髪も服もぼろぼろだった。肌も焼け焦げているのがわかる。クルードが相手だったのだ。苦戦を強いられたのは間違いない。それでも生き残ったのだ。

「セツナ?」

「無事でよかった……」

 セツナは、それだけをいうと、本物のカオスブリンガーを送還した。黒き矛が光の粒子となって元の世界へ還っていく。すると、複製物の黒き矛が音もなく消えた。元となるものがこの世から消えたから、存在を維持し続けることができなくなったのかもしれない。ミリュウの召喚武装の能力の詳細はわからないが、おそらくはそういうことなのだろう。

 セツナは、津波のように押し寄せる苦痛の中で、視界が闇に閉ざされていくのを認めた。

(これは駄目だな……)

 黒き矛の二本持ちがどれほど心身に負担をかけるのか、想像するまでもなかったのだ。黒き矛一本担いで戦場を駆け抜けるだけでも、半日は寝ていなければならないほどの体力を消耗する。体力だけではない。精神も消費している。

「セツナ!」

 ファリアの叫び声が遠い。

 セツナの目には、もはやなにも映ってはいなかった。

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