第二千五百三十八話 灼熱の魂(一)
変わり果てたマリアンの姿を上空に見遣りながら、ランスロットは、ライトメアを掲げた。腕を覆い隠すほどに巨大な弓銃は重く、しっかりと腰を落とし、構えなければならない。でなければ、当たるものも当たらないだろう。
凄まじいばかりの熱波が吹き荒れ、全身の水分という水分が汗となって搾り取られるようだったが、それもいまや昔の話だ。なぜならば、いまは配下の武装召喚師たちが、高温対策を講じてくれているからだ。五百人もの武装召喚師による部隊だ。どのような状況にも対応できなければ嘘だろう。
全身を包み込むひんやりとした空気は、武装召喚師たちが講じた高温対策の一環だ。あるものは風を起こして熱気を遠ざけ、あるものは氷柱を作り出して冷気を発生させ、あるものはそれら氷柱をもって氷の陣地を作り上げて見せている。ただ、そうやって召喚武装で作り出された氷の柱や陣地でもってしても、溶岩地帯の熱気を消し去ることはできず、逆に溶かされ、常に作り出し続けなければならない状況に陥っていた。
とはいえ、その高温対策のおかげもあり、ランスロットは、狙撃に集中することができていたし、ほかの遠距離攻撃能力を持ったものたちも、マリアンに目標を定めていた。
地理公マリアン・フォロス=ザイオンとして名を馳せ、多くの臣民に慕われた皇女の姿は、もはやそこにはない。紅蓮の炎を纏うが如き姿には、マリアンの名残はほとんどなく、顔くらいしかわからなかった。女性的な肢体をしてはいるものの、ランスロットには、マリアンの体型の記憶などあろうはずもないのだから、そこから類似点を見出すのは困難だ。腕も肩も胸も腰も足も、頭髪さえも紅蓮に燃え盛り、太陽の如き炎の輪がその背後に回転している。双眸は金色。神の如きそのまなざしは、じっとこちらを見据えているようであり、こちらの出方を窺っているようでもあった。
「なんか、変じゃない?」
「なにが?」
「こっちに攻撃してこないのがさ」
手持ちぶさたなのだろうが、ミーティアとシャルロットがランスロットたち狙撃組の後方で話し合っている声が聞こえてきた。
「相手は、ぼくたちのこと、敵だって認識してるはずだよね?」
「ああ。間違いなく、な」
「だったら、どうして攻撃してこないのかなあ。マリアン様……だから?」
「だったら、わたしたちを攻撃しないはずはないだろう」
シャルロットが唾棄するようにいったのは、彼女が過去を思い出したからに違いない。
「わたしたち三臣は、マリアン様が忌み嫌ったあの方の側近なのだぞ」
「それもそっか」
ミーティアが納得したのは当然だったし、ランスロットもシャルロットに同意見だった。もし、マリアンの意識があの怪物にあるというのであれば、ランスロットたちを攻撃してこないはずがなかった。マリアンは、ほかの兄弟同様、ニーウェを忌み嫌っており、ランスロットたちが三臣と呼ばれ、一部で持て囃されていることを嘲笑っていたという話も聞いている。
マリアンにしてみれば、ザイオン皇家始まって以来の汚点であるニーナとニーウェに関わりがあるというだけでも反吐がでるというのに、そのニーウェに媚びへつらっているのであろうランスロットたちなど、吐き気を催す存在だったに違いない。だからといって、シウェルハインが絶対者であった旧帝国時代は、だれにもなにもできなかった。できてせいぜい嫌味をいうくらいのことだ。それくらい、シウェルハインの統制というのは、揺るぎなかったのだ。
旧帝国が壊れ、マリアン自身の帝国も潰えたいま、マリアンの感情を妨げるものはなにひとつない。さらにいえば、いま、ランスロットたちは、マリアンの敵として、目の前にいるのだ。マリアンに人間時代の意識が残っているのであれば、発見次第全力で攻撃してきたことだろう。
しかし、それはなかった。
いまもなお、上空に静止し、こちらを見下ろしているだけだ。
(分霊……か)
マユリ神とのやり取りによって、ランスロットたちが対峙している存在が、使徒ではなく、分霊と呼ばれる使徒よりも格上の存在であることが明らかになっている。分霊とは、神の分身のような存在であり、神が力を注ぎ作り出した神人や神獣よりも格上である、神が力を貸し与えた使徒よりも、遙かに格上の存在なのだという。
先もいったように分霊とは、神の分身だ。
つまり、神によく似た姿になるのはありうることなのだが、神とは無関係のマリアンに似ていることなど、本来あることではないという。マユリ神も、ランスロットたちの報告を受け、困惑を隠せないでいた。
『ナリアのことだ。マリアンを分霊の依り代とした可能性は捨てきれない。依り代とし、そのまま一体化したのだとすれば、それはもはやマリアンではないし、仮に分霊のみを斃すことができたとしても、マリアンを元に戻すことはできまい』
マユリ神は、通信中に冷ややかに告げてきたものだ。
『神の依り代になった人間も同じだ。元には戻らぬ』
それは、死刑宣告にも似ていた。
マリシア=ザイオンへの死刑宣告。
マリシアは、ナリアの依り代となっていた。マリシアが南ザイオン帝国を興したのも、北ザイオン帝国と相争ったのも、すべては憑依した神ナリアの思惑であり、マリシアの意思とは無関係であることが証明されたということだ。慈悲深く、争いごとを尽く嫌ったマリシアが皇帝を名乗るなど、だれもが不審に想っていたものだが、それが間違いではなかったということが明らかになったのは、喜ばしいというべきなのかどうか。
マリシアは、助けたい――と、だれもが考えていた。ニーウェハインも、ニーナも、統一帝国首脳陣のみならず、将兵のほとんど全員がそうだろう。マリシアほど、その可憐な精神性故に皇族、帝国臣民に愛された人物も少ないのではないか。
ニーウェハインとニーナが心を許せる数少ない相手でもあった。
それは、三臣時代からニーウェハインたちを見守ってきたランスロットたちにとっても同じ気持ちであり、だからこそ、彼女が北大陸において皇帝を名乗っているという話を聞いたときは、信じられない気持ちだったものだ。
ただ、それだけならばまだよかった。マリシアの意思とは関係なく、他者の思惑によってそうなっただけなのかもしれない。その可能性は極めて高い。だれよりも他人を想い、重んじるマリシアだ。ひとびとが望めば、仕方なく皇帝を名乗ることもあるのではないか。そう、考えられた。
だが、現実は違った。
マリシアは、ナリアの依り代に選ばれ、神の肉体となっていただけなのだ。
それは、想像すらしていなかった最悪の事態であり、最悪の結末を迎える以外に道はなかった。
ナリアを滅ぼし、マリシアだけは救う、という道はないというのだ。
神の依り代になるというのは、そういうことらしい。
つまり、マリアンも、滅ぼさなければならない。
が、残念なことに、ランスロットには、マリアンに対していい想い出というものがなく、マリシアほどの無念さは湧かなかった。ランスロットが皇家に忠誠を誓っているのであれば話は別だったのだろうが、彼が忠を尽くすのはニーウェハインひとりであり、それ以外の皇族はどうでもいいという考えのほうが大きかった。それは多かれ少なかれ、シャルロットもミーティアも似たようなものだろう。だから、部下たちに比べ、冷静でいられる。部下の中には、マリアンに縁のある武装召喚師もいるのだ。彼らは一様にマリアンを救う方法を考えていたが、そんな方法はないとマユリ神に切り捨てられた以上、彼らに考慮する必要はないだろう。
「準備はいいな?」
「はっ」
「いつでもどうぞ」
「こちらも」
「はい!」
様々な反応を聞いてから、ランスロットは、ライトメアの引き金を引いた。閃光が視界を染め上げたかと想えば、銃身が激しく震えた。ライトメアの発した極大の光線のみならず、雷撃や竜巻、光弾や岩弾など、様々な遠距離攻撃が上空のマリアンに殺到する。膨大な力の収束。激突すれば、神人程度ならば跡形もなく消滅するだろうこと請け合いだが、相手が分霊となるとどうなるものか。ランスロットたちが固唾を呑んで見守る中、マリアンの口の端がわずかに歪んだ。
マリアンの周囲の景色が撓み、つぎの瞬間、すべての攻撃が消滅した。