第二千五百三十六話 八極大光陣(六)
光が乱舞していた。
目に痛いほどの煌めきが虚空を走り、突き刺さるような輝きが視界を彩る。ただただ圧倒的な光の乱舞。その乱舞の中をさらに踊るように移動し、攻撃を繰り出してくるのがナリアであり、その流れるような動作には、セツナは、ついていくので精一杯だった。ナリアそのものが光り輝いているというのもあるが、室内が莫大な量の光に溢れ、目を開けているのも嫌になるくらいに眩しいのだ。その眩しさの中で戦い続けるというのは、この上なく辛いものがあった。
とはいえ、対応できている。
辛くも、受け止め、受け流し、かわし、捌くことができている。
なぜならば、ナリアが本気ではないからだ。
全力でセツナを殺そうとはしていないからだ。それができるのであれば、セツナはとっくに殺されているだろう。
八極大光陣の真っ只中、ナリアの力は無限大に増幅し、セツナがたとえ完全武装状態になったとしても、本気を出した女神の戦いに食らいつけるものかどうかすらわからない状況だった。ナリアにしてみれば、セツナを生かすも殺すも自分次第、気分次第といったところなのだ。だが、ナリアは、セツナを殺さない。殺せないのだ。
ナリアの目的がセツナと黒き矛によるイルス・ヴァレの消滅である以上、セツナを殺すことは避けなければならなかった。いまセツナを殺せば、黒き矛は、残る。セツナが黒き矛を送還する前に殺すことくらい容易いのだから、黒き矛だけを確保することは、決して困難ではないのだ。だが、それでは、ナリアの目的は敵わない。黒き矛は、ただの召喚武装ではない。だれもが扱える代物ではないのだ。黒き矛に選ばれた人間だけが使える。
つまり、セツナが死ねば、セツナを殺せば、セツナのつぎの黒き矛の使い手、魔王の杖の護持者を探し出さなければならず、いなければ、現れるのを待たなければならなくなるということだ。それがどれだけ時間のかかることなのか、想像もできない。何百年、何千年もの歳月をかけなければならないかもしれないし、もしかしたら、イルス・ヴァレには現れないかもしれない。
魔王の杖の護持者というのは、それほど希有な存在だというのだ。
ナリアがセツナを殺さないのは、そのためだ。セツナだけは、なんとしてでも生かして確保しなければならない、と、考えているはずだ。つぎの護持者がすぐに見つかるという確信があるのであればまだしも、そうでない以上、そんな賭けには出られない。ようやく自分の世界に戻る方法に思い至り、実行できる機会を得たのだ。それを逃すだなどと、ナリアには考えられないことなのだろう。
だから、セツナを攻撃してきながら、殺さない。現状のセツナでも、ぎりぎり対応できる程度の攻撃しか、してこないのだ。
手の先から伸ばした光を鞭のようにしならせて、虚空を薙ぎ払ってくるような攻撃も、セツナがなんとか対応できる速さだった。これが本気ならば、セツナの胴体は寸断され、絶命していたことだろう。そのような場面がいくつもあった。ナリアが本気なら、と、想うことが何度もあった。そのたびにナリアの思惑のおかげで命拾いしていることを思い知るのだが、もし、ナリアの思惑がセツナと黒き矛だと断定できなければ、このような作戦は実行しなかったのだから、その点については深く考えても致し方がない。
勝利のための戦術とは、敵の弱点、急所を衝くことだ。今回、セツナがナリアにとっての急所なのだから、それを利用しない手はない。ナリアがセツナをどうにもできない以上、セツナがナリアの相手をして、時間稼ぎをするのは、ごく当たり前の戦術といえるだろう。
「あなたは……」
不意に、ナリアが足を止めた。広い広い玉座の間には、ナリアとセツナしかいない。人形遣いアーリウルの姿が見えないのは不穏だが、アーリウルの現在地については、ラミューリンたちが把握しているはずであり、その点ではなんの心配もいらないだろう。もし、アーリウルの動きになんらかの兆候があれば、即座にマユリ神が対応するはずだ。
「わたしがあなたになにもできないと、そう、考えているようですが」
「違うのか――」
と、セツナが皮肉に嗤おうとした瞬間、彼は左前腕に走った激痛に顔を歪めた。見れば、左前腕の中程から寸断され、切り取られた部位が空中に浮いている。血は、どちらの傷口からも流れなかった。ただ、痛みだけが傷口から怒濤の如く押し寄せてくる。その痛みに対し、声が漏れなかったのは、日々の鍛錬のおかげだろう。痛みに耐えることに慣れてきている。
「あなたを生かしたまま、殺さず、痛めつけることくらい、わたしにとっては造作もないことなのです。それをいまのいままでしなかったのは、あなたに猶予を与えたかったから」
「猶予だと……」
「そう、猶予」
ナリアは、金色に輝く目を閉じると、艶然と笑いかけてきた。
「わたしに従うか、わたしに刃向かうか、それを判断するだけの時間的猶予。あなたもわかったでしょう。いまのわたしには、勝ち目がない、と。いえ。たとえ仮に八極大光陣を打ち破れたとして、わたしに打ち勝てるのか、半信半疑なのではないですか?」
目を開いたナリアの手元に、セツナの左前腕が吸い込まれるように移動していく。光に包まれたそれは、ナリアに軽く撫でられると、光の粒子となって消えていった。かと思いきや、セツナの左腕が瞬く間に復元する。痛みは消え去らないものの、左腕は一瞬にして元通りになり、なおかつ、なんの問題もなく動いた。ナリアがなにか仕込んでいるのではないかと訝しんだが、黒き矛が反応しないところを見ると、そういうことはないらしい。つまり、そんな姑息な手を使う必要もなく、セツナを圧倒できると言い放っているようなものだ。そしてそれは間違いではない。
セツナは、左腕を切断されたとき、反応すらできなかった。痛みによって気づき、気づいたときにはもう既に遅かった。そして、元通りに戻された。なにもかも、ナリアの手のひらの上の出来事だった。遊ばれ、煽られているのだ。おまえには到底勝ち目がないと、嘲笑われている。
「わたしが本当の力を出してもいないことは、あなたにだってわかっているはずです。魔王の杖の護持者たるあなたにならば、感じ取れるはずです」
「……まったく、その通りだな」
左腕の感覚を確かめながら、肯定する。まったくもって、女神のいうとおりだ。いまのところ、勝ち目が一切見えない。八極大光陣の有無が現状に関係あるのかどうかさえ、わからなかった。仮に八極大光陣がなかったとして、完全武装状態のセツナでも勝てるのかどうか、あやしいところがある。それでも、セツナ以外、神を滅ぼすことができないから、セツナがナリアと戦うことになったのだ。無論、マユリ神の加護や、エリナたちの支援があり、それによって戦闘能力は大きく向上するとはいえ、だ。
相手は、聖皇が召喚した神々の中でも特に大きな力を持った二柱の神、その一柱なのだ。
「でしたら、わたしの元へ来なさい。わたしの元へ来れば、あなたの望むものはなんだって与えましょう。あなたの恋人たちも一緒に来ればいい。あなたの大切なひとたちも、全員、ひとり残らず、わたしが加護し、祝福してあげましょう」
「それで?」
「はい?」
「それで、あんたの目的はどうなる」
セツナは、ナリアを睨み付けた
「あんたは、俺に黒き矛を使わせ、この世界を滅ぼすことが目的だろう? 世界を滅ぼし、契約という軛から己を解き放つことが」
「ええ。その通りですよ、セツナ」
ナリアは、一切悪びれることなく、肯定した。
「わたしは、在るべき世界に還りたいだけ。それがすべて。そのためにこの世界を犠牲にするのは、少し可哀想だけれど、元より神々にさえ見捨てられた世界ですもの。消滅したところで、百万世界の秩序に問題は生じないでしょう。むしろ、神のいない世界が消滅することで、秩序はより強固なものとなるかもしれませんね」
女神は微笑を浮かべ、セツナは苦笑を刻んだ。
そして、彼は、女神に飛びかかっていた。