第二千五百三十二話 八極大光陣(二)
ラミューリン=ヴィノセアの召喚武装・戦神盤による空間転移は、一瞬の出来事だった。
目の前が真っ暗になり、重力が感じられなくなったかと想ったつぎの瞬間には、空間転移は終わっていた。ディヴノアの本陣から、八極大光陣の発生源たる八つの塔のいずれかへ、だ。
「ここが……その八極大光陣ってわけ?」
「そのようだ」
「塔……って話だったよね?」
「ああ」
ミーティアとシャルロットが口々に喋るのを聞き流しながら、ランスロットは、周囲を見回した。弓銃型召喚武装ライトメアを装備した彼の五感は、通常時とは比べものにならないほど鋭敏になっている。その五感を駆使して、状況の把握に努めなければならない。
まず、周囲の状況だが、よくわからない、というのが第一印象だった。
ミーティアが困惑しているのも無理のない話だ。転送先は、塔だったはずだ。塔の内側。移動城塞の八方に聳える八つの塔のうちのひとつ。そこに八極大光陣を司る使徒だの分霊だのがいて、それを打ち倒すのが彼ら攻略部隊に与えられた使命だった。塔は、移動城塞の一部であり、移動城塞と同じような材質で作られているはずであり、移動城塞の作りについては、ある程度の情報があった。どうやらただの石材を積み上げて作られたものではないらしいということは、移動城塞が海中や海上、陸上を移動していることからもわかる。なにがしか、不可思議な力が働く作りになっているに違いない。が、外見的には石造りの城塞となんら変わらず、内部的にも特別な変化はないという話だった――のだが。
(これは……)
ランスロットは、全身からあふれ出した汗の量に辟易しながら、眉根を寄せた。
塔の中へと転送されたはずが、周囲の光景というのは、塔の内部とは微塵も想えない風景であり、環境だった。まず目に付くのは、燃えたぎる紅い川であり、熱を帯びているかのように紅い岩盤たちだ。四方八方、どこを見てもそのようなものばかりが視界に入り、とても塔内部の構造とは想えなかった。紅い川は煮立っているようでもあり、話に聞く溶岩とはそのようなものなのかもしれないとも想った。紅く燃えたぎり、熱を上げている。
「凄く暑いんだけど」
「まったくだ」
「脱いでもいいかな」
「見られてもいいならな」
「陛下にしか見せたくないんだけど」
「だったら我慢するんだな」
「うう……」
ミーティアとシャルロットが言い合うように、凄まじい熱気が周囲を満たしていた。
ランスロットたちの全身から水分という水分が汗となって流れ落ちているのは、それら熱を発する川や岩ばかりが周囲にあるからであり、頭上からも熱線が投射されているからのようだった。空を仰げば、空そのものが赤黒く燃えたぎっているように見え、その中心にあって、赤々と燃え盛るものがあった。轟然と炎を吐き出し続けるそれは、こちらを見ているようだった。
「あれが……使徒かな」
ランスロットのつぶやきにミーティアとシャルロット、それに五百名の武装召喚師たちがそれぞれに反応を示す。
炎の塊のように見えたそれがゆっくりと変形し、ひとの形を取ったとき、彼は、愕然とするほかなかった。真っ先に形になったその見目麗しい顔立ちには、はっきりと見覚えがあったからだ。
「マリアン様……?」
マリアン・フォロス=ザイオン。
シウェルハインの子供たちのひとりであり、長女であった人物だ。旧帝国時代においては地理公として名を馳せ、“大破壊”後は北ザイオン大陸において皇帝として名乗りを上げ、帝国を築き上げていたという。ナリアの依り代となったマリシア率いる南帝国に敗れたあとのことは、よくわかっていなかったのだが。
まさか、マリシアハインを操るナリアの使徒と成り果てているとは、さすがのランスロットも想像だにしていなかった。が、ありえないことではない。マリシアが神の依り代となったのだ。そのマリシアに敗れたマリアンがその使徒に成り果てたとして、なにがおかしいというのか。むしろ、必然というべきかもしれない。
「あれ、マリアン様なの? マリアン様っていうと――」
「それ以上はいうな」
シャルロットがミーティアを口止めしたのは、ニーウェハインの家臣だった自分たちには、マリアンの想い出などいいものではないからだ。そんなことをいまここで語ったところで、なんの意味もない。五百名の武装召喚師の中には、マリアンに従っていたものもいるかもしれないのだ。
使徒となって立ちはだかった以上、打ち倒さなければならないだけのことだ。
「元より陛下の敵だったのだ。情など、あろうはずもないが」
シャルロットがランスロットたちだけに聞こえるようにいった。
「気は重いな」
「まったく」
ランスロットは小さくうなずくと、ライトメアを掲げた。
マリアンの顔をした使徒は、全身に炎を纏ったような姿をして、太陽さながらに空にあった。
転送が終わるとともに彼女を打ちのめしたのは、轟音だった。鼓膜を突き破るような轟音が響いたかと想うと、体の奥底から揺さぶるような重低音が世界そのものを揺るがす。その震動の真っ只中に投げ出されるようにして転送されたのだ。まず、自分の身の無事を確認しなければならず、五体がなんの問題もなく動き、傷ひとつないことを把握すると、ようやく周囲を見回すことができた。
ファリア率いる第二陣が転送された先は、塔の中というよりは、広大な荒野の真っ只中といったほうが近かった。いや、荒野そのものといったほうが正しいか。とても塔の中とは想えない光景には、ファリアを始め、だれもが想像すらしておらず、愕然とするほかなかった。ひび割れた大地が無限に長く、それこそ地平の果てまで続いていて、そこには一切の生物が存在していない。木や草花といった植物の類も見当たらなければ、なにがしかの建造物、建築物の類も見当たらない。まるで大自然の中に放り出されたという感じがした。
頭上を仰げば、先程から鳴り止まない轟音の原因がはっきりとわかる。地平の果てまで続く荒野、その上空を完全に覆い隠す黒雲は、いまにも降り出しそうなほどに不穏な気配を纏っている。雨ではない。雷が、墜ちてきそうだった。大地が震えるほどに、大気が揺らぐほどに鳴り響いているのだ。いつ落雷してもおかしくはない。
「雷雲……でしょうか?」
「でしょうね」
部下としてあてがわれた五百名の武装召喚師、そのうちのひとりの発言を肯定して、ファリアは、暗雲を睨んだ。いまにも雷が降ってきそうというよりは、落としてきそうな雲は、使徒が作り出したものなのだろうことは想像に難くない。
ここが八極大光陣の一角なのは、間違いないのだ。ラミューリンが転送先を間違えるはずもなければ、間違えたのであれば、すぐさま訂正されるはずだ。それがないということは、ここがファリアたちの戦場だということに相違ない。ファリアと五百名の武装召喚師たち。名前も召喚武装の能力も完璧に把握しているわけではないが、特別心配する必要はあるまい。旧帝国が戦力として認定した武装召喚師たちなのだ。一線級の実力の持ち主ばかりと考えていい。少なくとも当てにはできる。
「これが八極大光陣……」
「どこをみても同じ光景しかありませんが……どうなっているのでしょうか」
「いまにわかるわよ」
「はい?」
「こういうとき、相手はこちらの出方を窺っているものよ。こちらには手の出しようがないものね」
ファリアが経験不足の武装召喚師たちに忠告を促した直後だった。
頭上、黒雲の中を閃光が走り抜け、ファリアたちの視界を灼いた。
音が、遅れて聞こえてきた。