第二千五百三十一話 八極大光陣(一)
移動城塞攻略に関する戦術は、必ずしも戦術と呼べるようなものではなかった。
この戦いの目標、勝利条件は、女神ナリアの討滅だが、それだけがすべてではない。仮にナリアが降伏してくるようなことがあれば、それでもいいだろう、と、考えられた。ナリアは、大いなる力を持った女神だ。その女神がこちらに降伏し、従属するというのであれば、これほど心強いことはない。無論、ナリアのしたこと、していることは許しがたいものであり、受け入れられないことばかりではあるが、ナリアの力そのものには大いに利用価値があった。そのため、必ずしも討滅だけを勝利条件とは定めなかった。ナリアの討滅だけを勝利条件とすれば、たとえナリアが降伏してきたとしても、討滅に拘らなければならなくなる。縛られるのだ。しかし、そこを限定しなければ、様々な可能性が生まれてくるというものであり、そのため、勝利条件を限定しなかった。
とはいえ、だれもナリアが降伏するだろうとは想ってもいなかったし、そのような可能性を微塵も感じてはいなかった。単純に、そうなってもいいように、条件を限定しなかったというだけの話だ。
ともかくも、戦術とも呼べない戦術についてだが、ラミューリン=ヴィノセアの召喚武装・戦神盤を中心に組まれている。マユリの加護によって最大限に能力を発揮した戦神盤は、極めて広大な領域を戦場と認識し、戦場内におけるすべての戦力の強弱や現在地を把握できるからだ。それにより、敵軍の主戦力の位置を把握し、そこにこちらの主戦力をぶつけるということもできた。
さらにいえば、戦神盤は、味方の戦力を戦場内のどこにでも自由に動かすことができるという極めて強力かつ有用な能力を持っており、だからこそ、戦神盤が戦術の中心となったともいえる。戦神盤のその能力を用いれば、窮地に陥った味方を後方に下げることも、味方を救援に向かわせるといったこともできるのだ。そして、その能力を用い、開戦と同時にセツナを敵大将たるナリアの元へ送り込むことが作戦の第一段階だった。
ナリアの目的は、セツナと黒き矛だ。セツナに黒き矛の力を暴走させるか、そうでなくとも、世界を滅ぼさせることがナリアの現在の目的となっている。そのためならば、どのような方法も用いるだろうことは明らかであり、そうと決まった以上、ナリアは帝国領土も、帝国臣民のこともどうでもいいと想っているに違いない。なればこそ、ナリアを打倒しなければならないのだが、ナリアを打倒するにはまず、ナリアの絶対無敵の布陣たる八極大光陣を打ち破らなければならない。
しかし、まず最初に八極大光陣を攻撃すれば、ナリアが動くのは間違いないだろう。八極大光陣発動中のナリアは、完全武装状態のセツナですら敵わない。まともに戦うのは、愚の骨頂なのだ。だから、マユリは、真っ先にセツナをぶつけ、ナリアの気を引かせることとした。セツナがナリアの気を引いている間に、八極大光陣を形成する八体の使徒(あるいは分霊)を同時に攻撃、攻略するのだ。使徒であろうと、分霊であろうと、その攻略は極めて困難なものとなることは想像に難くない。が、なんとしてでも成し遂げなければならないことであり、そのためにどれだけの血が流れ、犠牲が出ようと構わない、と、マユリは考えていた。
多くの死者が出るだろう。
しかし、それも希望のためだ。希望を叶え、絶望の未来を切り開くためには、多少の犠牲は致し方がない。できるならば、だれひとり失わず、どのような犠牲も払わずに打ち勝ちたいものだが、そう都合よく世界はできていないのだ。勝利には代価が必要だ。必要なだけの犠牲を払って、ようやく、勝利は得られる。そのためならば、マユリは、セツナたちに嫌われても構いはしないと想っている。
八極大光陣攻略の六部隊は、セツナがナリアの元に送られ、彼がナリアの注意を引くことに成功したのを確認した後、戦神盤の能力によって目的地に転送された。目的地は、移動城塞の八方に迫り出した八つの塔、そのうちの六つだ。八極大光陣は、八つの塔に潜む使徒(分霊)が構築しているのだが、そのうちの六つが人間の部隊による攻略対象であり、残りふたつは、マユリの半神が担当することになっている。人間の武装召喚師が五百人集まってようやく攻略可能かもしれないものをたった一体でふたつも担当することになるのだが、マユラならば、不可能ではない。マユリが赴けば、もうふたつの攻略も可能だったが、そうなれば、戦神盤による全戦力の支援が不可能となり、残り四つに全戦力を分けたとしても、完全攻略が困難なものとなる。
八極大光陣の完全なる打破こそ、ナリア討滅の前提条件であり、絶対条件であるとマユリは見ていた。
ひとつでも残っていれば、ナリアはすぐさま失われた陣の中核を作り上げ、八極大光陣を修復して見せるだろう。ナリアほどの力があれば、それくらいのことは容易くやってのける。が、八極大光陣が全滅すれば、そうはいくまい。ナリアの力を限りなく増幅する結界なのだ。すべて失われるのと、いくつかが失われるのとでは意味合いが違う。
そしてその意味合いの違いこそが、勝敗を分かつ絶対的なものだとマユリは知っていた。
八極大光陣を攻略すれば、ナリアは丸裸も同然だ。
とはいえ、ナリアの力が強大無比なのはいわずもがなであり、たとえ八極大光陣がなくとも、いまのセツナであれば苦戦するのはいうまでもないことだ。それでも、八極大光陣の有無は大きく、八極大光陣の中で戦えば確実に負けるとしても、八極大光陣がなければ、勝ち目も見えてくるというものだ。
八極大光陣を討つための戦力は、整っている。
使徒(分霊)の力がマユリの想像を遙かに超えたものでさえなければ、こちらに勝機はある。
「転送して、よろしいのですね?」
ラミューリンに問われ、マユリは厳かにうなずいた。マユリとラミューリンたちは、ディヴノア基地内の一室に籠もっていた。戦神盤の能力を最大限に生かすには、戦神盤の戦場図を投影するための空間が必要だからだ。戦神盤が投影した戦場図は、無数の光点となって室内の壁や天井に所狭しと映し出されている。無数。およそ八十万の味方がディヴノアを中心に布陣している様がはっきりとわかり、百二十万の敵が移動城塞に密集していることがわかる。移動城塞の中心部に極めて大きく強い光点があり、その光点の近くにこれまた強烈な光点が存在している。ナリアとセツナだ。移動城塞内にはもうひとつ、大きな力を持つ光点があるが、それは使徒・人形遣いアーリウルだろう。八極大光陣を司る八体の使徒は、移動城塞の八方で強大な光点となってその存在を主張している。その八つの光点に、六つの部隊と、マユラを送り込むのだ。
セツナがナリアの元へ送り込まれ、数分が経過している。セツナとナリアは交戦状態に入っていた。ナリアは、こちらの思惑に気づいている。が、止めようがあるまい。戦神盤の能力に干渉できるというのであれば話は別だが、それは、八極大光陣によって無限大に強化されたナリアの力を持ってしても不可能だった。ナリアがセツナから目を離せないいまこそ、八極大光陣を攻撃するべきだった。
「では……」
ラミューリンは、緊迫した空気感の中で、両腕を伸ばし、虚空をかき混ぜるように動かした。手慣れた動作だ。彼女にとって戦神盤の能力を使うのは、児戯に等しいに違いない。それくらい使い慣れていなければ、愛用の召喚武装とはいえないし、ここぞというときに失敗してしまうものだ。武装召喚師は、愛用の召喚武装を呼吸するが如く使いこなせてようやく一人前というところがある。ラミューリンも、一流の武装召喚師なのだ。
ラミューリンの指先が捉えた無数の光点が、移動城塞を囲う八つの光点の内のひとつへと飛ばされる。戦神盤が投影した光点の移動は、そのまま、現実のものとなるのだ。つまり、いま八極大光陣の元へ移された光点たちは、現実に移動城塞の八つの塔のひとつへ転送されたということだ。
そうして、ラミューリンはつぎつぎと攻略部隊を八極大光陣へと送り届けた。
最後にマユラの光点が残りふたつのうちのひとつへと転送されると、ラミューリンは大きく息を吐いた。彼女にとっては緊張この上ない瞬間だったのだろう。
「つぎはおまえたちの出番だ」
そういって、マユリが視線を向けると、エリナ=カローヌら、この場に呼び集められた武装召喚師たちは、凄まじい緊張感の中、声もなくうなずいた。