第二千五百二十九話 開戦のとき
大陸暦五百六年十月一日。
それまで大陸を南下し続けていた大帝国の移動城塞が急停止したのは、ちょうどディヴノアを捕捉することができたからだろう。ナリアの挑発的な性格を考えれば、想像が付く。
ディヴノアの真北を流れるナルン大川を堰き止めるように動きを止めた移動城塞は、城塞の八方に聳える八つの塔を八方向に迫り出させた。八極大光陣の範囲を広げるためだということはわかりきっていて、それすらも挑発行動に過ぎないのだろう。ナリアは、セツナたちが移動城塞に攻め込んでくるのを待ち望んでいる。再び、セツナを絶望させ、力を暴走させようというのだ。そして、世界を滅ぼさせ、自分は自由を得る。
それがナリアの目的。
だからこそ、ナリアを斃さなければならない。
ここでナリアを討たなければ、セツナが世界を滅ぼすまで、セツナの感情を揺さぶり続けるだろう。
『ナリアはこちらの出方を窺っているのだろうな。いや、こちらが攻め込んでいるのを待っているというべきか。こちらがディヴノアを本陣とし、布陣していることもすべて承知の上で、ナルン大川上に停止したこともそれを裏付けている』
「なら、ナリアの望み通りだな」
『そうだな』
マユリ神が通信器の向こう側から冷ややかに肯定した。
すべては、ナリアの思惑通りなのだろう。そればかりは、認めるほかない。ナリアは、セツナと黒き矛を欲している。というよりは、セツナに黒き矛の力を暴走させたがっていて、その機会を待ちわびている。その方法もわかりきっている。セツナの目の前でファリアたちを殺せばいい。そうすれば、セツナは感情の制御もできなくなり、ただひたすらに力を暴走させるだろう。そればかりは、どうしようもない。どれだけ覚悟しても、ファリアにあのようなことをいわれていても、だれもがそう想っているのだとしても、セツナには、割り切れない。割り切れるものではない。
ファリアたちのいない世界など、どれほどの価値があるというのか。
ファリアたちがいて、セツナがいる。
その逆はない。
そう、彼は想っている。
だが、しかし。
「ナリアの望み通り、やってやるさ」
『そして、ナリアの思惑など越えてやろう』
「ああ」
セツナはうなずき、黒き矛を握り締めた。カオスブリンガーと命名した禍々しいばかりの漆黒の矛は、彼の手にひどく馴染んでいる。魔王の杖とも呼ばれるそれは、いまもなお、ナリアへの深く激しい怒りを渦巻かせ、セツナに伝えてきていた。その怒りは、セツナの心と強く同調している。
『いつの間にそこまで仲良くなったのやら』
不意に呆れたように口を挟んできたのは、マユラ神だった。
『おまえの寝ている間にだよ、マユラ』
『……まったく、馬鹿げたことだ』
そういったマユラ神は、通信器の向こう側でやれやれと頭を振っているに違いない。マユラ神は、本陣にはいない。既に所定の位置についていて、攻撃の合図を待ちわびている。戦神盤は、戦闘が始まらなければ戦場を認識しない。戦場を認識し、認定してようやく戦神盤の能力を使うことができるのだ。そのため、まずは戦闘が起こらなければ話にならず、そのための最初の攻撃を行うのも、マユラ神の役割だった。
絶望を司り、セツナを度々煽ってきたマユリ神の半神は、セツナにとっては受け入れがたい存在ではあるのだが、とはいえ。
「馬鹿げていようと、あんたにも役だってもらうからな」
『……任せよ。我司るは絶望なれば、かのものどもに絶望を伝えてくれよう』
『ああいっているが、ひとに頼られるのは存外、嫌いではないらしいよ』
「へえ」
マユリ神のちょっとした一言に相槌を打ちながら、セツナは、開戦のときを待った。
開戦準備は、既に整っている。
八極大光陣の攻略を担当する六部隊も出撃準備が整い、だれもが防具を身に纏い、召喚武装を手にしていた。
第一陣隊長ランスロットを始め、シャルロット、ミーティアの三武卿たちは、その身分に相応しい黒と金を基調とする装束を身につけていた。いずれも軽装の鎧であり、ランスロットは弓銃型召喚武装ライトメアを担ぎ、シャルロットは封霊剣と呼ばれる剣型召喚武装を帯びている。ミーティアも召喚武装を装備しているらしい。
統一帝国には、旧帝国時代に保管されていた多数の召喚武装が引き継がれているのだ。それら召喚武装は、本来の持ち主であり契約者、召喚者とも呼ばれる武装召喚師が、召喚後、送還するできずに命を落とした結果、旧帝国の所有物となり、保管されていたらしい。シャルロットの封霊剣もそういった遺産のひとつであり、ミーティアの召喚武装もそうなのだろう。
召喚武装は、だれもが気安く使えるものではない。武装召喚師は、召喚武装に振り回されない肉体を精神を作り上げるため、血の滲むような修練を繰り返すものなのだ。いくら送還できず、取り残されたものとはいえ、そう簡単に扱えるものではなく、故に旧帝国は、それら遺産を厳重に保管していた。
帝都ザイアスに保管されていたそれら召喚武装は、東帝国時代ですら、手がつけられることがなかったという。ミズガリスさえ、おいそれと手をつけるものではないと考えていたということだ。しかし、統一帝国政府は、それら遺産を有効活用するべきだと考え、その一環としてミーティアに与えたようだった。ミーティアほどの実力者ならば召喚武装を扱うことも不可能ではないと踏んでのことではあるだろうが。
第二陣隊長ファリアは、碧い軽装鎧を身に纏い、怪鳥が翼を広げたような大弓オーロラストームを担いでいる。
第三陣隊長はミリュウだが、彼女も象徴色である赤を基調とする軽装鎧を身につけ、真紅の刀ラヴァーソウルを装着している。ダルクスはいつも通りだ。
第四陣隊長シーラも、象徴色の白を基調とする甲冑に身を固めていて、手にはハートオブビーストが握られている。斧槍型の召喚武装だ。
第五陣隊長のレムはというと、普段通りの女給服ではなく、黒の長衣を身につけていた。さすがに決戦を目前に控えた緊張感の中、女給服のまま参加する勇気はなかったようだ。第五陣には、サグマウもいるが、彼は隊から遠く離れた場所にいた。隊員たちを気遣ってのことだろうし、彼自身、ニーウェハインにその変わり果てた姿を曝したくないという想いがあるのかもしれない。
第六陣のエスクは、黒基調の軽装鎧を身につけており、腰にソードケインを帯びている。ウルクも同じような格好だが、彼女はいくつもの武器を身につけていた。剣や斧、槍を腰に帯びたり、背に負ったりしていて、彼女がこの戦いにかける意気込みのようなものが伝わってくるようだった。
そして、それぞれの部隊には五百名ずつ、統一帝国所属の武装召喚師たちが隊伍を為している。いずれも召喚武装を手にするなり、装着するなり、思い思いの格好、状態で、開戦のときをいまかいまかと待ちわびていた。
だれもが、この戦いによって統一帝国の存亡が決まることを理解し、緊張感と興奮の中にいた。恐怖心もあるだろう。だが、だれひとりとして、怖じ気づいてはいない。だれもが、皇帝の演説を聴き、奮い立っている。帝国人なのだ。帝国の将来のため、命を費やす覚悟がなければ、軍人になど、武装召喚師になどなろうとはすまい。
だれもが覚悟と決意を以て、この場に臨んでいる。
ニーウェハインたち首脳陣ですら、そうだ。
この絶望的な戦いに差している光明など、わずかばかりのものでしかない。吹けば飛ぶような、そんな程度のものでしかないのだ。
それでも挑まなければならない。
それでも、戦わなければならない。
戦って、勝たなければならないのだ。
統一帝国臣民に逃げ場はない。
交渉の余地はなく、対話の道もない。降伏の意味はなく、敗北は滅亡を意味した。
ナリアは、帝国のことなど、もはや考えてもいない。
ナリアの望みは、黒き矛によるイルス・ヴァレの消滅。
そして、それによる己の解放と在るべき世界への帰還なのだ。
ナリアを討ち滅ぼさなければ未来がないのは、なにも帝国だけの話ではない。
セツナたちの未来もまた、ナリアという強大な壁によって阻まれようとしている。
だから、斃さなければならない。
たとえどれだけ絶望的な戦力差であろうと、挑み、戦い、打ち倒し、滅ぼさなければならないのだ。
『では、始めようか』
マユリ神が告げると、ディヴノアの北方、ナルン大川中流に鎮座する移動城塞を光の柱が包み込んだ。
マユラ神による攻撃が、闘争の鐘を鳴らしたのだ。