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第二千五百二十六話 自分というもの

 戦術は決まり、部隊編成も決まった。

 あとは、総力が集結し、出撃準備が整うのを待つばかりとなった。

 総力結集の予定日は、九月三十日。あと数日あまり。

 それまでの間、セツナたちには自由な時間が与えられることとなった。その時間をどのように使うのも個人次第であり、鍛錬に費やすのも、体を休めるのに使うのも自由だった。だれもが日夜の鍛錬によって疲れ切ってもいて、セツナの周囲のひとびとは、休養に時間を割くことが多そうだった。

 セツナも、そうだ。

 ここのところの鍛錬で蓄積した疲労を回復するべく、体を休めようとした。

 待ち受けるのは、神との決戦だ。それも、セツナがこれまで戦ったこともないほどに強大な力を持った神であるということは、先の戦いで身を以て知っている。一度、敗れ去った。全滅した。完敗といっていい。セツナひとり生き残ったのは、ナリアがそうしたからにほかならないだろう。それ以外には、理由がない。ファリアたちともども光の中で殺されてもなんの不思議もなかった。セツナさえ反応できないほどの光が、あの場に溢れていたのだ。死ななかったのではない。殺されなかったのだ。

 そのときのことを思い出すたびに、心の奥底で黒い炎が燃え上がるのがわかる。いつの間にか拳を強く握り締めていて、爪が手のひらに食い込むだけでなく、皮膚を突き破っていたこともあった。怒りだ。制御できないくらいの怒りが燃え盛る炎の如く逆巻き、荒れ狂うのだ。それはファリアたちを皆殺しに殺したナリアへの憎悪そのものであり、憤怒そのものだ。無論、ファリアたちを護れなかった自分自身への絶望でもある。

 時が戻り、だれひとり失わなかったことになったからといって、あのときの感情、精神状態を忘れることはできなかったし、自分の失敗を取り消せたとは想ってもいなかった。

 失態は失態だ。

 ファリアたちを護れなかった。

 護ると約束したひとたちをだれひとり護れなかった。

 その事実が、セツナの心の奥底に火を点け続けている。その火は黒く、昏い。まるで渦巻く闇そのもののようであり、故に彼は、自分が心底邪悪な人間であると想わざるを得なかった。そんな自分だからこそ、黒き矛が召喚に応じたのではないか、と考えてしまう。

 晴れ渡った空の下に広がるディヴノアの町並みは、極めて物騒な空気に包まれている。ディヴノアは、南大陸北西部における最大規模の都市だ。広大な敷地内に無数の建築物が建ち並び、普段ならば戦い方など知る由もない一般市民が歩き回っているはずだが、いまは皆、南に避難していた。市内を歩き回っているのは、統一帝国軍の将兵ばかりであり、ディヴノアという大都市そのものが軍事拠点と変わり果てていた。市内の各所では、鍛錬に明け暮れる将兵たちの姿が散見され、武装召喚師たちがなにやら話し込んでいる様子も見えた。

 だれもが、決戦に向けた緊張感の中にいる。だれもが、存亡の危機に直面しているという事実に身震いしている。勝利を信じたい。けれども、それが極めて絶望的であるという現実も理解している。そんな空気感がディヴノア全体を包み込んでいる。

 セツナは、そんな街の様子を宿所の屋上の鉄柵に身を預けるようにして、眺めていた。

「こんなところにいたんだ」

 不意に後方から投げかけられた声に、セツナは、思わず飛び上がろうとしかけて、抑えた。いくらなんでも大袈裟に過ぎる。つい弾んでしまうのは、声の主のせいだ。ファリア。

 なにもいわずその場にいると、靴音が近づいてきて、その人物は、右隣の鉄柵にセツナと同じように上体を預けて見せた。そして、顔だけをこちらに向けてくる。青みがかった黒髪が揺れた。腰辺りまで伸びた長い髪は、毛先まで美しい。綺麗なのは、髪だけではない。そのまなざしも、いつだって見とれたくなるくらいに綺麗だった。緑柱玉のような瞳。つい、見入る。

「みんな、探してたわよ」

「みんなが? なんで?」

「なんでって、そりゃあ、君のことが心配だからでしょ」

「心配? 俺のことが?」

「うん」

 ファリアは当然のようにうなずいてきたが、セツナには、理解の及ばない言葉だった。心配されるようなことなどあっただろうか。そう想うと、想いも寄らぬほどの声の低さで反応してしまった。

「心配……ねえ」

「みんな、君の一挙手一投足に注目してる。わたしを含めてね。君が機嫌の悪いときだって、一瞬でわかっちゃうもの」

「機嫌は……悪くないけど」

「たとえ話よ」

「わかってる」

「わかってない」

「なんだよ……」

 セツナは、ファリアに即座に否定されて、思わず顔を背けた。視線を鉄柵の下方に落とし、帝国の都市特有の広大な町並みに目を向ける。せっかくファリアとふたりきりというのに素直になれない自分がもどかしくて、多少、苛立ちを覚える。ファリアがいいたいことは、なんとなくわかっている。彼女の気持ちも、皆の想いも、だ。好意に関しては、鈍いほうではない。皆が、セツナのことをとても大切に想ってくれていて、セツナのことを気遣ってくれているということも知っている。理解しているのだ。そして、その想いに応えたい、応えなければならないということもわかっている。

 けれども、それができなかったという現実がある。

 事実がある。

 それが、いま、彼の心を苦しめている。

「……ねえ、セツナ。こっち向いて」

「ん?」

 いわれるままにファリアに目を向けた瞬間だった。透かさず抱きすくめられ、なにもいえなくなったのだ。ファリアの長い髪が顔にかかり、香しい花のにおいが鼻孔をくすぐる。優しいにおいだった。いや、においだけではない。彼女の腕も手も体も、なにもかも、優しい。優しすぎて、涙が出そうになる。すると、ファリアがなにや照れくさそうにいってきた。

「やっと、捕まえられたわ」

「……なにいってんだか」

 セツナは、思わずはにかんでしまった。照れくさいのなら、いわなければいいのに、とは、いわないし、想わない。

「ふふ……だって、こうでもしないと、君ってすぐどっかいっちゃうし」

「どこにもいってないだろ」

 セツナが口先を尖らせれば、ファリアも同様に返してくる。

「どこにもいないもの」

「はあ?」

「あのときから、ずっと、そうよ」

「あのとき……?」

「ナリアに敗れてからずっと、君がいないわ」

「俺がいない?」

「ずっと、心ここにあらず、って感じだった」

 そういわれて、はじめて、彼女の言葉に多少なりとも納得がいった。確かに彼女のいう通りかもしれない。ナリアに敗れてからというもの、セツナは、ナリアへの怒りや憎悪、復讐心にばかり気を取られていた。それはある種致し方のないことなのだろうが、言動の端々に現れていたのだとすれば、ファリアたちに多大な心配をかけたかもしれないとも想う。

「……そうかな」

「でも、いまは、ここにいる。わたしの腕の中に」

「うん」

 肯定する。ファリアの腕の中から逃れようともしていない自分がいる。彼女に抱きしめられているということの幸福感は、何事にも代えがたかった。

「俺は、ここにいる」

「そうよ。君はここにいる。わたしもここにいる。皆だって、いるわ」

 ファリアの声は、いつになく優しい。心に染みいるようだ。

「だから、心配しなくていいのよ。なにひとつ、心配しなくていいの。君は、君の全力を尽くしてくれればいい。その結果、どうなろうとわたしたちは受け入れるわ。たとえ命を落とすようなことがあったとしても、君を恨んだりなんてしないわ。だれひとり、ね」

「……それが、いいたかったのか?」

 だからどう、ということはないが、思わず、セツナは聞き返していた。ファリアがいっているのは、あのときのことだろう。あのとき、もし、あのまま時を戻す方法もなく、セツナがナリアを滅ぼし、時が進んだのだとしても、ファリアや皆はセツナを恨みはしなかった、といいたいのだ。だから、自分たちが殺されたことは、気に病むな、と。

「ううん。違うわ」

「じゃあ……」

「ただ、こうしたかっただけ」

「うん?」

「だって、君のことが好きだもの」

 彼女は、今度は真剣だった。まっすぐに、想いを伝えてくる。普段が極めて冷静なだけに、こういう風に感情を表に出されると、対抗のしようもなくなる。勝ち負けの話ではないのだが。

「ファリア……」

「皆の前だと、さすがにね……」

 彼女は、微苦笑を漏らすと、セツナの体を少しだけ離した。

「案外、恥ずかしがり屋なのよ、わたし」

 そんなことはいわれなくても知っている。

 故にこそ、彼は口を閉ざし、彼女の意に従った。

 ただそれだけのことで心は落ち着く。

 どうやら自分は、思った以上に単純にできているらしい。

 セツナは、自分の精神構造の簡単さに呆れながら、そんな自分も嫌いではなかった。なぜならばそれこそ、人間らしいと想えたからだ。

 神を屠り、世界を滅ぼす化物ではなく、ただの人間。

 少なくとも、ファリアたちの前ではそうあろう。

 彼は、固く心に誓った。


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