第二千五百二十五話 神慮(五)
「どういうことよ? 世界の滅亡って……」
「ナリアの目的って、帝国領土の統一じゃあなかったの?」
ミリュウとファリアがマユリ神に問いかければ、女神は、目を細めた。
「……当初は、それが目的だったのだろうな。帝国領土の再統一は、遙か将来、再び訪れるかもしれない聖皇復活の儀式のときのために必要不可欠なものとナリアは考えていたはずだ。そのために北大陸を統一し、南大陸も、周辺の島々も掌握するべく、動いていた」
ウルクがセツナを見て、小さくうなずく。マユリ神の推察が正しい、ということだろう。
「だが、ナリアは、セツナを認識した。どうやってかはわからぬが……ともかくも、おまえが南大陸にいることを知ったのだ。そしてそれが、ナリアの中の優先順位を変えることとなった」
「ナリアの中の優先順位?」
「そうだ」
マユリ神はうなずくと、質問を浮かべてきた。
「ナリアは、なにを望み、帝国を興したと想う?」
「そりゃあ……」
「聖皇復活の儀式に先んじるためであり、“約束の地”を他の勢力よりも先に手に入れるため……」
と、回答したのは、ニーウェハインだ。セツナたちには答えづらいだろうと判断してのことかもしれない。
「それは、なんのためだ?」
「復活した聖皇による在るべき世界への送還……だよね?」
「その通りだ。そして、それ故に、ナリアは、おまえを手に入れることに目的を切り替えたのだ。おまえを手に入れ、おまえを鍛え上げ、魔王の杖の力を最大限に引き出せるようにするために」
それはつまり、魔王の杖なら、黒き矛なら世界すら滅ぼすことも可能であり、それも決して難しいことではないとでもいっているような節が、ナリアの声にあった。
「ナリアは、おまえならば、おまえと魔王の杖ならば、この世界を滅ぼすことも不可能ではないと踏んだのだろうな。そして、その見立てに間違いはあるまい。百万世界の歴史上、おまえほど魔王の杖と相性のいいものはいなかった。おまえほど、短期間でここまでの力を発揮させたものはいなかった。おまえならば、魔王の杖に眠る莫大な力を解き放ち、操ることも不可能ではないだろう。おまえならば、神々を屠り、世界を滅ぼすことも可能なのだ」
「……なんのためにだよ」
セツナは、熱の籠もるマユリ神の言い方が嫌で、つい女神を睨んだ。
「なんのために、世界を滅ぼす? いったい、そんなことにどんな意味があるってんだ?」
「わたしを含めた神々のほとんどすべてがこの世界に留まっている理由は、ひとつ。契約だ。召喚の際、召喚者と結んだ契約が楔となり、我々をこの世界に縛り付けている。押し留めている。本来ならば、召喚者が送還し、それで終わるはずのことだ。が、神々の召喚者たる聖皇が死んだことで、ナリアを始め、数多の神々がこの世界に縛り付けられた。それが始まり」
マユリ神が淡々と語る中、セツナは、彼女もまた、この世界に縛り付けられているのだということを思い出した。マユリ神を召喚したのは、だれあろうオリアス=リヴァイアだ。ミリュウの実父であり、稀代の武装召喚師たる彼は、擬似召喚魔法を生み出し、二度に渡って実行した。一度目はザルワーンに龍を呼び、二度目はクルセルクに鬼を呼んだ。鬼はマユラ神、マユリ神となり、龍はハサカラウとなった。本来在るべき姿とは異なる状態で召喚されたのは、召喚魔法が完璧ではなかったからのようだが、しかし、オリアスと結ばれた契約は本物で在り、マユラ・マユリ神も、ハサカラウも、この世界に留まり続けなければならなくなったのだ。
オリアスが死んだからだ。
生きていれば、オリアスによって送還される未来もあったかもしれないが、いまやそれは望めないものとなった。
神々は、在るべき世界への送還を望む。それは当たり前のことだ。セツナだって、最初はそうだった。見知らぬ世界で生きていかなければならないと知ったときは、絶望したものだ。覚悟を決め、この世界に骨を埋めるのだと考えるようになってからは、変わったものの、それまでは帰る手段や方法を模索したものだ。
「およそ五百年前、この世界に起きた混乱の始まりなのだ」
「それ以来、神々は在るべき世界に還るたったひとつの方法として、聖皇復活の儀式の完成と、“約束の地”の捜索に躍起になっていた……」
「……聖皇の復活が失敗に終わったいま、つぎの機会を待つのは、必ずしも賢い判断ではない。が、ナリアとしても、藁にも縋る想いだったのだろう。限りなく低い可能性であっても、ないとはいいきれない。故にナリアは、つぎの、聖皇復活の儀式が起こる機会を待つこととしていた。それまでに帝国を再統一し、軍備を整えようとしたのだ。が、そんなとき、おまえを見つけた。見出してしまった。そうなれば、止まるまい」
マユリ神が、極めて冷ややかな声色で告げてくる。
「魔王の杖の力を使い、イルス・ヴァレを滅ぼせば、ナリアを縛っていた契約は失われ、在るべき世界に還ることが可能となるからな」
「……そういうことなの」
「そういうことだ」
「じゃあ、今回の戦いは全部俺のせいってことか?」
「まさか。そんなことはないさ」
ニーウェハインが、セツナの目を見つめて、告げてきた。
「ナリアは、元々、帝国領土の再統一を考えていた。遅かれ早かれ、大軍勢でもって南大陸に押し寄せてきただろう。そしてそのとき、君がいなければ、我が方の敗北は確実だ。百二十万の神の兵と、八十万の人間では、対抗のしようがない。いやそもそも、南大陸は騒乱の真っ只中だったかもしれない」
西と東に別れ、相争っている最中、北から大帝国軍が押し寄せてくるなど、想像したくもない。東西紛争真っ只中に大帝国軍が乱入してくるようなことがあれば、東西帝国は跡形もなく消し飛んだだろう。いや、たとて東西紛争が終結し、いずれかが大陸を統一していたとしても、同じことだ。敵は、大神ナリア率いる大帝国なのだ。神の軍勢といってもいい。そんなものを相手にまともに戦うなど、愚の骨頂としかいいようがない。かといって、降伏を受け入れてくれるものか、どうか。
降伏したとして、平穏が訪れるものか、どうか。
大帝国の内情は不明だが、ナリアは、帝国将兵がどうなろうと知ったことではないという考えの持ち主なのは、その軍勢の内実を知れば、理解できようものだ。
百万の兵を神人へと作り替えているという事実がある。
人間のままでは頼りないからと神人へと作り替えたのだろうが、だからといって、看過できることではあるまい。少なくともそれは、ナリアの中に、帝国のひとびとを救い、護ろうという意識がないということの現れなのだ。人間に対して少しでも慈しみやいたわりの心を持っているのであれば、すべての将兵を神人化しようとは想うまい。だが、そうではなかった。ナリアは、勝利のためならば、将兵がどうなろうが知ったことではないのだ。
そこが、救世神ミヴューラやリョハンの守護神マリク、セツナたちの希望の女神マユリとは、大きく異なるところだろう。
「大帝国に、ナリアに打ち勝つには、君の力が必要なのだ。セツナ」
「陛下……」
「世界を滅ぼすほどの力を秘めた黒き矛ならば、ナリアを討つの不可能ではない。そう、わたしは信じているよ」
ニーウェハインにそう宣言されて、セツナは、ただうなずくほかなかった。セツナの活躍に期待しているのは、ニーウェハインだけではない。それこそ、藁にも縋る想いで、セツナの勝利を願っているものたちばかりだ。敵は、帝国を影から支配してきた大いなる神であり、先の戦いで、セツナたちが全滅したという事実がある。
「そうだ。セツナ。ナリアがなぜおまえを求め、黒き矛の力に期待するのかは、そういうことなのだ。ナリアは、八極大光陣を絶対無敵の布陣といったが、それをもってしても、世界を滅ぼすことはできないのだ。みずからをこの地に封じる楔を打ち破ることができない。だから、おまえを欲している」
それは要するに、黒き矛に秘められた力のほうが、ナリアの最大の力よりも上だということにほかならない。