第二千五百二十二話 神慮(二)
「総力を結集したところで、正面からぶつかり合っても勝ち目はない。それは最初からわかっていたことだ。相手が数で上回っていることは、ウルクの情報で把握できていたのだからな。しかし、それでも時間稼ぎくらいにはなると考えていた。セツナが大帝国の神を討つくらいの時間稼ぎにはなるだろう、と、踏んでいた」
マユリ神は、セツナの席の真後ろに立っている。マユリ神だけだ。いつも背中に眠っているマユラ神の姿はない。マユリ神によると、マユラ神には今回戦闘で役だってもらうつもりだということだった。マユラ神は信用できないし、したくもないが、その力の凄まじさだけは評価できるため、反対することはできなかった。マユラ神は、マユリ神とセツナの契約に従わざるを得ないのだ。土壇場で裏切るようなことはあるまい。その点は、マユリ神を信じる以外にはない。
マユリ神は、その神々しくも美しい外見もあって、統一帝国首脳陣、軍関係者が顔を揃えた軍議の場で一際注目を集めていた。
「しかし、どうやらそれさえも思い違いであり、わたしさえ、ナリアの手のひらの上で踊らされていただけに過ぎないことがわかったよ。ナリアは、我々が大帝国対策に右往左往している様を見て、ほくそ笑んでいるのだろうな。あれの性格の悪さについては、おまえたちもよく知っていよう」
「……ああ」
セツナは、うんざりするような気持ちで同意した。性格の悪い神といえば、アシュトラが真っ先に思い浮かぶが、ナリアはアシュトラとは違う種類の性格の悪さだろう。なんとなくだが、そんな感じがする。
「そうね。異論の余地もないわ」
「本当、最悪よね」
ファリアとミリュウもまた、マユリ神の発言を肯定した。シーラやレムも同じ気持ちだろうことは、その表情から想像が付く。
「だが、そんな性格の悪さ故にこそ、慎重に事を運ばねばならないのは間違いない。斃すべきは、ナリアだが、そのために八極大光陣の攻略が必要不可欠だ。八極大光陣は、ナリアの力を無限大に増幅させていた。絶対無敵の布陣と、みずから勝ち誇るのも道理だ」
マユリ神が怒りを噛みしめるようにいったのは、セツナとナリアのやりとりを思い出してのことなのか、どうか。マユリ神は、セツナたちに入れ込みすぎといってもいいくらい、同情的だ。マユリ神のナリアへの怒りは、セツナに匹敵するくらいには深く、激しい。
「そしておそらく……ナリアが移動城塞でもって南大陸に上陸したのは、それ故だろう」
「どういうことだ?」
「おまえも見ただろう。移動城塞の八つの塔が八方に迫り出す様を」
「ああ……あれがなんなんだ?」
「あの八つの塔によって結ばれた領域が八極大光陣なのだ。八つの塔が迫り出す距離が長くなれば長くなるほど、八極大光陣の及ぶ範囲も広くなるということだ」
「えーと……つまりさ、マユリんはこういいたいわけ? ナリアは、八極大光陣で南大陸を包み込むつもりだ、って」
「そうすれば、ナリアに敵うものはいなくなるからな」
ミリュウがきょとんとしたのは、マユリ神によって自分の突拍子もない考えが肯定されたからに違いなかった。ミリュウの反応もわからなくはない。移動城塞の八つの塔は、確かに大きく迫り出した。しかし、それが大陸を覆うほどの結界を構築できるほどに迫り出すとは、とても考えにくい。が、神の城塞だ。どのような仕組みがあったとしても、なんら不思議ではないといえば、不思議ではない。ありえない、とは、言い切れないのだ。
「ネア・ガンディアの連中でさえ、八極大光陣のナリアに太刀打ちできまい」
「……だろうな」
冷ややかに、認める。
八極大光陣におけるナリアの力が無限大なのかは不明だが、少なくとも、完全武装状態のセツナすら容易く捻り殺せるくらいには強いということはわかりきっている。ファリアたちは反応ひとつできなかったし、セツナですら、なにもわからないうちにすべてが終わっていた。セツナが死ななかったのは、完全武装のおかげでもなんでもない。ナリアに殺されなかっただけだ。ナリアの目的のため、生かされただけなのだ。きっと、おそらく。
しかも、セツナは、ただ黒き矛と六眷属による完全武装状態だったわけではない。マユリ神の加護を受け、エリナのフォースフェザーによってあらゆる面で強化されている状態だった。それなのにも関わらず、八極大光陣は、圧倒的だった。絶対的といっていいくらいに強力無比だった。
ネア・ガンディアは、神々やそれに匹敵する獅徒という強力な駒を有するが、それらが力を結集したとして、八極大光陣のナリアに太刀打ちできるとは、到底考えられなかった。たとえ、獅徒が見せた、神との融合を果たしたとして、ナリアに匹敵するほどの力を発揮できるとは想えない。
それくらい、八極大光陣のナリアは、凶悪だった。
逆をいえば、八極大光陣さえどうにかできれば、なんとかなるのではないか、とも想えるのだが。
「つまり、八極大光陣を攻略しなければならないという結論に変わりはないのだろう? その方法は? 策はなにかあるのか?」
「策もなにも、現在持ちうる最高の戦力でもって、八極大光陣をひとつひとつ攻略する以外に道はないぞ」
マユリ神は、当たり前のことのようにいうと、室内を見回した。女神の目には、統一帝国首脳陣がどのように映っているのか、想像も付かない。セツナたちに頼り切りの彼らに対し、マユリ神はあまりいい印象は抱いていないということだが、それも致し方のないことだ。
「現状の最高戦力……か」
「八極大光陣の攻略と、ナリアの討滅は同時期に行わなければならない。八極大光陣は、ナリアの使徒、あるいは分霊によって築かれた布陣だ。陣を破ったからといって、ナリアを放っておけば、また、陣を築かれるだろう。そうなれば、同じ事の繰り返しとなる。八極大光陣を打ち破り、すぐさまナリアを討つ。それが戦術の根幹だ」
そして、ナリアは、セツナを指し示して、告げてきた。
「ナリアを討つのは、セツナの役目だ。おまえたちも理解していることと想うが、現状、もっとも強いのが彼だ。そしてセツナだけが神をも滅ぼす力を持っている。黒き矛がそれだ。よって、セツナを八極大光陣の攻略に当てることはできない」
「セツナと一緒に戦えないのは残念だけど……」
「仕方ないわよ。わたしたちが代わりになれるようなことでもないし」
「わかってるわよう」
「ま、俺たちは八極大光陣を攻略して、少しでもセツナの助けになればいいのさ」
「シーラ様の仰るとおりにございます」
ミリュウを始め、セツナの周囲の女性陣が口々に反応すると、マユリ神はまるで人間のように小さく咳払いをして見せた。ミリュウたちに慎むよう、それとなく注意をしたつもりなのだろう。
「……まあ、彼女たちを含めた全戦力で八極大光陣攻略に当たってもらうことになる。全戦力だ。持ちうる限りの、動員しうるすべての戦力を八極大光陣攻略に費やす。神人、神獣、神鳥――大帝国の戦力は、この際、完全に無視する」
「それは……」
「わざわざそのために戦力を割くほどの余裕はない。なにせ、八極大光陣を司るものたちの実力も不明なのだ。使徒ならばまだしも、分霊であった場合は、並大抵の戦力では打ち倒すことも困難となる。全力で、当たるべきだ。無論、相手も迎撃に出てくるだろうし、それらとの戦闘は避けようもないが、極力、無駄な損耗は避けたい。特に主戦力となる武装召喚師たちはな」
マユリ神の説明に対し、異論や反論は出なかった。そもそも、総力戦からの長期戦を計画し、それが頓挫したばかりだったのだ。そして、ナリアの力が絶大だということが判明している以上、統一帝国首脳陣は、縋る想いでマユリ神の判断を仰いでいるに違いない。
「八極大光陣のうち、ふたつはわたしの半神に任せてもらうとして、残り六つをおまえたちの力で打破してもらうことになる」
そして、マユリ神による部隊編成が行われた。