第二千五百二十話 怒り(二)
黒き矛カオスブリンガーの能力のひとつ、“破壊光線”は、セツナの精神力を破壊の力へと変換し、光の奔流として撃ち出すものだ。“破壊光線”を放出しながら矛を振り回すといった荒技もあるが、今回は、一撃にすべての力を込めていた。注ぎ込めるだけの力を注ぎ込み、解き放ったのだ。
黒く禍々しい穂先が白く膨張したかのように見えたつぎの瞬間、爆発的な光が視界を白く塗り潰す。反動が全身を貫き、熱が顔面を煽るように過ぎ去った。そして、穂先から噴出した莫大な量の光は、瞬く間に虚空を貫き、やがて上陸真っ只中の移動城塞へと至る。あっという間の出来事だ。だが、城塞をも吹き飛ばす威力を持っているはずの“破壊光線”は、移動城塞を覆う半球型の光の壁に遮られ、大爆発を起こしたのみに留まった。
手応えなどあろうはずもなく、セツナは、全身を襲う脱力感に抗いながら、移動城塞を包み込む爆煙に目を細めた。現在、セツナが出しうる最大威力、最大射程の“破壊光線”も、移動城塞を覆っているのであろう八極大光陣を貫くことはできなかった。つまり、外部からの攻撃は、現状、すべて無力化されると見ていいだろう。最大威力の“破壊光線”が無効化されたのだ。ファリアのオーロラストームでも、ミリュウの擬似魔法でも同じ結果に終わるに違いない。シーラの白毛九尾でさえ、だ。
セツナは、全身から汗が噴き出すのを認めながら、その場に座り込んだ。全力を注ぎ込んだのだ。立っていられないほどの疲労があった。
(八極大光陣は、絶対無敵の布陣……か)
ナリアがいっていたことを思い出す。
絶対無敵というのは、あながち誇張でもなんでもないのかもしれない。事実、八極大光陣の完成によって、ナリアの力が爆発的な勢いで増幅し始めたという現象が確認されており、その力の上昇は、時を戻すまで続いていたというのだ。八極大光陣の中にあるナリアは、無限に強くなり続けるというのであれば、勝ち目はない。無論、無制限に強くなる、ということはないにしても、ただでさえ強力無比な神がさらに強くなるのだ。
八極大光陣がある限り、ナリアを打ち倒すことはできない。
ここはやはり、八極大光陣を突破しなければならないということだろう。
八極大光陣が、移動城塞の八方の塔にいる使徒たちによって構築されているらしいことは、判明している。それら八体の使徒を斃していけば、八極大光陣は不完全なものとなり、ナリアが誇る絶対無敵の布陣とやらも無意味なものとなるだろう。
そのときこそ、勝機が見えるに違いない。
だが、ナリアが、セツナたちの行動を予測していないはずもなく、なんらかの対策を講じているはずだ。八極大光陣の攻略は困難を極めるに違いない。
しかし、八極大光陣を攻略しなければ、ナリアを打ち倒すのは不可能であり、どうしたところで八極大光陣に挑まなければならないのだから、ここは腹をくくるしかない。
だが、マユリ神の想定する八極大光陣攻略部隊には、セツナは入っていなかった。理由は簡単だ。
『おまえの役割は、ナリア討滅だ。神を滅ぼすことができるのは、現状、魔王の杖の護持者たるおまえだけなのだ。八極大光陣の攻略は、簡単なことではないだろう。おまえとて、消耗は避けられない。おまえが消耗すれば、それだけこちらの勝ち目は薄くなる。わかるな? おまえは、ナリアを討つことだけを考えていればいい』
八極大光陣は、マユリ神が選別した攻略部隊に任せろ、という。
セツナとしては、自分も八極大光陣の一カ所くらいは任せてもらいたいものだったが、マユリ神のいうことももっともだと想わざるを得なかった。一カ所とはいえ、攻略のために力を消耗するのは間違いないだろうし、ナリアとの決戦のことを考慮すれば、わずかでも消耗するのは避けたいところだ。全力でぶつからなければ、勝てるものも勝てない。
いや、全力でぶつかっても勝てるかどうかわからないのだ。
ならば、最善最良の状態でナリアと戦えるようにするべきだった。
(ナリアを討つ。それが俺の役割)
それ以外のことは、皆に任せればいい。
『セツナ。確かにおまえは強い。黒き矛を手にしたおまえは無敵だ。だが、ひとはひとりでは生きては生けぬ生き物だ。全部ひとりで背負い込もうとするな。そんなものは美徳でもなんでもないのだぞ』
八極大光陣攻略に関して、なおも食い下がるセツナに対し、マユリ神は、慈しみに満ちた目で告げてきたものだ。
(そんなことは、わかってるよ。マユリ様)
皆を信じていないわけではない。むしろ、信じているし、頼り切っている。それでも、だ。皆を失いたくないという気持ちがある。もう二度と、離れ離れになどなりたくない。ひとりになりたくないのだ。だから、全部、自分でどうにかしなければならない、と想ってしまう。それが信頼していないということだ、といわれればそれまでかもしれないが、それでも、と、セツナは想う。
だれひとり、失いたくない。
そう想って、今日まで生きてきた。
だというのに、あのとき、セツナは皆を失った。失ってしまった。
もう二度と、と、何度も心に誓ったのに、だ。
己の無力さが嫌になる。
自分の弱さが許せない。
もっと強ければ。
もっと力があれば。
神をも滅ぼす力があれば――。
「……ナリア」
セツナは、遙か彼方に上陸した移動城塞を覆っていた光の壁が消えるのを目の当たりにして、苦い顔をした。ナリアが、嘲笑っている。“破壊光線”が完全に無駄に終わったことを馬鹿にしているのだ。きっと。でなければわざわざ八極大光陣を解いて見せたりはしまい。
自分はここにいて、まったく無事であるということを見せつけているのだ。
それ以外には考えられなかった。
だから、だろう。
セツナは、黒き矛が激しく震えているような錯覚に視線を落とした。矛は、実際には震えてなどいない。しかし、確かに震えている。黒き矛の意志が、激しく燃え盛っている。怒りだ。神への尽きることのない激しい怒りが、手を通して伝わってきている。これまで感じたこともないくらいに激しく、深く、昏い、怒り。
これまでも黒き矛は、対峙する神属に向かって怒りや憎悪を撒き散らしてきた。セツナは直にその感情を受け、狼狽えたりしたものだが、いまは、その感情に思い切り同調していた。むしろ、セツナの怒りのほうが強いのではないか、と想うほどだ。
それくらい、セツナはナリアを敵視していた。
それはそうだろう。
目の前で愛しいひとたちを殺されたのだ。
なにもできなかった。為す術もなかった。故にその怒りは際限なく燃え上がり、時が戻ったいまもなお、黒く燃え続けている。きっと、ナリアを滅ぼすまで燃え続けるのだ。そして、だからこそ、彼は限界が来てもなお、完全武装を維持し続けることができている。
心が、魂が燃えているのだ。
それがここのところの普通の言動にも現れているらしく、ファリアやミリュウでさえ、セツナの視線や言葉遣いに驚きを禁じ得ない様子だった。エリナなどはセツナの様子を心配するくらいだったし、レムも、しばらくは休むべきではないかと提案してきたものだが、セツナは聞き入れなかった。休んでいる暇など、あろうはずもない。
敵は、目前に迫っている。
休んでいる間に決戦が始まれば、目も当てられない。
三度目はないのだ。
つぎで決着をつけなければならない。
ナリアを討ち、この戦いを終わらせる。それがすべてだ。
そのためには、セツナに休んでいる時間などはない。