第二千五百十九話 怒り(一)
網膜に焼き付いた光景というのは、そう簡単に消えるものではないらしい。
それが絶望的なものであればあるほど、網膜に焼き付き、瞼を閉じれば蘇り、脳裏に深く刻みつけられる。そして、ふとした瞬間に思い出し、垣間見て、絶望的な気分になる。惨憺たる想いを抱き、激しい怒りに駆られ、深い悲しみや無力感に苛まれる。
八極大光陣と、ナリアはいった。
それがナリアの力を限りなく増幅させる絶対無敵の布陣である、とも。
実際、その陣は、完成と同時に彼を絶望のどん底に突き落とした。奈落の底へ。墓穴の如き暗闇の深淵へ。彼は見たのだ。確かに、その目ではっきりと見た。セツナ以外の皆があっさりと、意図も容易く殺されていく様を目撃した。目に焼き付けた。網膜に。
ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、ウルク、エリナ、エスク、ダルクスに加え、サグマウも、帝国の武装召喚師たちも皆、あの場にいたセツナを除く全員が一瞬にして殺された。闇の世界に満ちた光によって、あっという間に命を散らせていった。様々な方法で、殺されたのだ。その光景を目にしてしまった。目にしなければ良かった、などとはいえまい。目にしようがしまいが、関係がない。死という結果がある。覆しようのない絶対の結果。その結果を把握し、認識すれば、同じことだ。
ただひとつ、違うことがあるとすれば、実感の差だろうか。
無残に殺されていくファリアたちの様子を目に焼き付けるのと、結果だけを知るのとでは、多少なりとも違いが生じるものかもしれない。
とはいえ、最終的にはなにも変わらない。
彼の無力さ故にだれひとり護ることもできず、全員を殺されてしまったという絶対的な事実が揺らぐようなことはないのだ。
失態。
失敗。
失意。
失望。
そんな言葉ばかりが頭の中に浮かんで、消えた。
死は、覆された。だれひとり死ななかったことになった。そもそも、女神との対峙さえもなかったことになり、セツナたちは、女神への挑戦さえも諦めた。そうすることで、死の運命を回避した。死ぬことがわかっている戦いを強行する愚はない。
八極大光陣の秘密の一端は判明した。だが、マユリ神が思いついた打開策が正解かどうかも不明である以上、あの場で再戦を挑むのは愚か者のすることだろう。ただでさえ、愚を犯したのだ。二度も同じ愚を犯す必要はない。
とはいえ、だ。
死の事実がなかったことになったのは、すべて戦神盤の能力のおかげであり、それ以外のなにものでもなかった。
もし、ラミューリンと戦神盤の協力もなくナリアに戦いを挑んでいれば、セツナは、皆を失い続けたままだったのだ。永遠に失ったままだった。その事実について、まっすぐに向き合う必要があった。目を逸らしてはならない。自分を騙してはならない。結果的にだれも死ななかったから良かった、などとはならないのだ。
なりようがない。
セツナは、負けた。
面と向かってぶつかった結果、完全無欠に敗北した。
ここまで完璧に敗れ去ったことがいままでに一度でもあっただろうか。
セツナ自身が戦いに敗れたことはある。
何度か、大事な局面で、だ。
しかし、ここまで心を蹂躙されたことはなかったのではないか。
もしかすると、最終戦争の最後、クオンのシールドオブメサイアによって黒き矛を折られたときよりも、強い衝撃を受けているのではないか。深い失意の底にいるのではないか。絶望の淵にいるのではないか。辛くも踏み止まっているものの、それは、時を戻し、やり直すことができたからにほかならない。
もし、戦神盤がなければ。ラミューリンがいなければ。
現実にもし、もしもはない。
だが、セツナは考えずにはいられないのだ。
自分のしでかしたことについて、考え込まざるを得ない。
大切なひとたちをだれひとり護れなかった。
神を討つと意気込んだ結果、神に傷ひとつつけることすらできないまま、打ちのめされた。
(約束したんじゃないのかよ)
セツナは、黙想する。
(護るって、いったんじゃないのか)
ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、エリナ、ウルク、エスク――。
皆を護ると言葉に出して、約束したはずだ。そういう契りを結び、今日まで来たはずだ。だのに、結局、だれひとり護れなかった。
相手が悪かった、相手が強かった、相手が上手だった、などというのは言い訳にもならない。だったら、最初からもっと警戒し、慎重に事を運ぶべきだったのだ。威力偵察に徹し、敵の出方を窺うべきだった。それすらせず、短期決戦、早期解決を図ろうとした結果がこれだ。
逸ってしまった。
セツナは、そのことでずっと後悔していたし、しなければならないと想っていた。迂闊にしても、程がある。もう二度と許されることではない。戦神盤があるからと、時を戻す能力があるからと、それに頼り切って無謀な試みをしてはいけないのだ。
戦神盤は、ひとつの戦場に一度きりの能力であり、一度発動すると、長期間使えなくなるという。つぎのナリアとの戦いまでに再度使用可能になっているかどうかは不明で、使えない可能性のほうが高いらしい。つまり、つぎの戦いでは戦神盤の時を戻す能力を当てにしてはならないということだ。
無論、セツナとてそんなつもりはない。
今度は、失敗しない。
もう二度と、皆を失うような失態を冒すつもりはない。
そう決めた。
決めたのだ。
ナリアに打ち勝つ、と。
そのためにも、完全武装をより完璧に使いこなし、もっと多くの力を引き出してみせなければならない。
八極大光陣の有無に関わらず、ナリアの力が強力無比であることに変わりはない。現状のセツナでは、対等以上に戦えるものかどうかすらわからないのだ。ならば、さらに強くなるしかない。先の敗戦からの短時間でどこまでのことができるのかわからないが、諦めるつもりなど毛頭なかったし、やる以外に道はなかった。
敵は、すぐそこまで迫っている。
残された時間は少ない。
統一帝国の総力結集を待っている時間さえないかもしれないのだ。
ならば、残されたわずかばかりの時間を最大限に使い、限界まで力を引き出すしかない。
ディヴノア北方の小高い丘の上に在って、彼は、黒き矛と六つの眷属を召喚していた。
頭上には鉛色の空が横たわり、いまにも降り出しそうな気配がしている。湿気を帯びた風は冷たく、夏がとっくに過ぎ去ったことを示しているようだ。九月も終わろうとしている。そして、それまでに南大陸の命運が決するかもしれない。
ディヴノアより遙か北西、南ザイオン大陸北西部沿岸に巨大な城塞が到着していた。それは、北西部沿岸の都市ノアブールを飲み込むようにして上陸を開始しており、どうやら海上のみならず、地上も移動することができるらしいということが判明した。海上移動城塞ではなく、水陸移動城塞というべきだろう。もしかすると、空中も移動できるのではないか。だとすれば、海上を移動し続けたのは、ただの演出に過ぎないということになるが、セツナたちを嘲笑うためだけに千五百隻もの船を用意するナリアのことだ。それくらいの演出をしてもなんら不思議ではなかった。
セツナは、召喚武装の七種同時併用によって極大に強化された感覚によって、遙か北西の状況を把握すると、決戦のときが間近まで迫っていることを悟った。
残された時間は、ごくわずかだ。
数日。
その間にどれだけのことができるのか。
黒き矛を握り締め、考える。
やれるだけのことをやらなくてはならない。
セツナは、丘の上で足を踏ん張ると、黒き矛を掲げた。
切っ先を、移動城塞に向ける。
そして、あらん限りの力を込めて、“破壊光線”を撃ち放った。