第二千五百十八話 力を求めて(四)
『できる限りの処置はしてみたが……波光砲の使用に耐えられるのは、三回が限度だろう。それも通常出力の那。最大出力の波光砲には耐え切れまい』
そう申し訳なさそうにいうマユリ神のことが忘れられないのは、彼女への感謝があるからだろう。
ウルクは、躯体の首辺りにあった違和感が限りなく少なくなっていることを確認して、マユリ神への感謝を言葉や態度に現したくなっていた。
ウルクは、かつて、人形遣いの支配から脱却するため、みずからの首を撃つという暴挙に出た。人間には不可能な方法で人形遣いの支配に打ち勝ったのだが、そのことで、セツナとの再会が当分の間、お預けになることを覚悟していた。しかし、セツナの記憶を見たというマユリ神による修復作業によって、ウルクの頭部と胴体は見事にくっつき、ウルクは復活を果たした。その際ですら身体機能や動作上の問題がほとんど確認されないほどであり、違和感は少なかったのだが、つい先日、二度目の修復作業が行われ、それにより彼女は万全に近づいた。
ただし、修復作業に用いた素材の影響も在り、決して完全ではない。波光砲のような、波光を多量に用いる攻撃を行えば、首の接合部分に悪影響が出、最悪、自壊することもあり得るという。つまり、ウルクは現状、戦闘手段が限られているということであり、セツナの力になるという彼女の望みは、しばらくの間、叶えられないということだ。
それは、極めて虚しく、悔しいことだ。
先の戦いに関する記録を見返せば見返すほど、己の不甲斐なさを恥ずかしく想った。
またしても、人形遣いにいいように操られ、セツナの邪魔をしてしまった。セツナの敵に回ってしまった。セツナの足を引っ張ってしまった。
それは、彼女にとってなによりも悔しいことだったし、恥ずべきことだった。
セツナは、彼女の主なのだ。彼女がすべてを捧げるべき相手が、セツナだ。彼の存在によって動く命だ。命の源といっていい。彼女がこうして感情らしい感情を持つようになり、自分自身、その変化を感じ取れるようになったのも、彼の存在が大きい。彼との触れ合い、精神的交流があればこそ、ウルクは、自分というものを認識するようになれた。
それまでは、やはり、ただの人形に過ぎなかったのだ。
自我を持ち、意識を持ったただの人形。
それがいまや人間のように自分で考え、自分で行動し、自分の感情を制御するようになったのだから、驚くべき変化だろう。
それもこれも、セツナの存在があればこそだ。
セツナがいなければウルクはここまでの存在にはなれなかったし、そもそも、動かなかったに違いない。
だからこそ、彼女は思考する。
あのとき、どうするべきだったのか。
なにをどうすれば、あの状況を変えることができたのか。また、再びあのような状況に陥ったとき、どう行動するのが最良なのか。現在持ちうる力、使える攻撃手段、内蔵兵装を最大限に考慮して、思索する。
どうすれば、セツナの足を引っ張らず、むしろセツナの力になれるのか。
そればかりを考える。
それだけに時間を費やしている。
そして、その時間は、ある種の幸福感があった。
セツナのことだけを考えているのと同じだからだ。
もっとも、ウルクの場合、ほとんど常にセツナのことしか考えていないのだが。
それは、それだ。
それはそれとして、マユリ神への感謝をなんらかの形にしたいと考えるのだが、それがなかなかどうして、具体的なものにならない。だれかに助言を乞うべきか。それとも、マユリ神に直接、希望を聞くべきか。後者のほうが早いだろうという結論の元、彼女は、マユリ神の元を訪ね、逆に心配されてしまったのだった。
そして躯体全身をくまなく検査された結果、問題なしと判断され、喜び勇んで機関室を出たあとで、自分がなにをしに機関室を訪れたのかを思い出し、踵を返した。
ダルクスは、かつて、数え切れない生と死の振幅を経験した。
ザルワーンの特権階級・五竜氏族に名を連ねるファブルネイア家の人間としてこの世に生を受けた彼は、以前、クルード=ファブルネイアと名乗っていた。ファブルネイア家の人間としてなに不自由なく暮らし、栄光に満ちた将来を約束されていた彼だったが、突然の不幸が襲った。それは、魔龍窟への案内状であり、彼は、それがなにを意味するのか、まったく理解していなかった。
魔龍窟という名は、聞いたことがあった。
オリアン=リバイエンが主催する武装召喚師育成機関は、ザルワーンの軍事力を強化するためのものだということまでは、おぼろげながらも知っていたのだ。そして、その魔龍窟に五竜氏族の子女を集めているという話も風の噂に聞いていた。優れた血統たる五竜氏族の子女にこそ、武装召喚術を伝授するための施設なのだろう。彼のみならず、だれもがそう想った。
だが、そうではなかった。
魔龍窟は、地獄以外のなにものでもなかった。
その地獄で、ひとりの少女と出逢わなければ、彼は人生を放棄していたかもしれない。それほどまでに過酷で惨烈な環境だったのだ。光明がなければ、希望がなければ、死んだほうがマシだと想えるくらいに。
彼は、死ななかった。少女を生かさなければならないと想った。少女とともに生きていきたいと想った。少女の側にいたいと想ったのだ。そのためならば、どのような地獄だって乗り越えられる。どのような苦難だって、越えられる。
そう想った。
そして実際、彼は生き抜き、彼女とともに地上の光を見た。
彼は変わり果てたが、彼女とともに清浄な地上の空気を吸ったときの感動は、いまも覚えている。
原動力といって、いい。
あのときの感動と興奮、そして幸福感が、いまもなお、彼を突き動かしている。
彼女のために捧げた人生。
その命が尽きて、再び動き出したのもまた、運命だったのだ、と、彼はいまになって想う。彼女のためにこそ、蘇り、死に、蘇り、死に、蘇り――長い時間をかけて、自分を取り戻したのだ。
彼女との再会も運命だった。
運命としか、言い様がない。
彼女のためにこそ捧げた人生だ。再び彼女に巡り会い、彼女の盾となり、刃となる使命があるのだ。そう、彼は想っている。彼女のためならば、どのような末路でも構わない。自分の幸福はいらない。彼女が幸福でありさえすれば、それでいい。
あの日、あのとき、絶望のどん底に突き落とされ、世界さえ信じられなくなった少女を救いたいと想ったのだ。
その想いは、いまもなお、彼の原動力となって、魂の中心で燃え続けている。
この命は、彼女のためのものなのだ。
彼女のためにこそ費やし、焼き尽くすべきだろう。
その先に彼女の幸福があるのであれば、それでいい。それこそが、彼自身の幸福だった。
ただ、そのためには、眼前の障害を取り除かなければならない。
女神ナリア。
そのとてつもなく強大な力は、ダルクス個人ではどうしようもなかった。ダルクスが全生命力を賭したところで、ナリアは、鼻で笑うだけなのだろう。実際、そんな風に彼は死んだ。彼だけではない。あの場にいただれもが命を落としたという。セツナ以外の全員が、即死した。
普通の方法で勝てる相手ではない。個人の力でも無理だし、ただ力を合わせるだけでも勝ち目が見えない。限界を超える必要がある。
だからだれもが力を求め、修練に精を出している。
彼も同じだ。
これまでの限界を超えるべく、ひとり、修練に励んでいた。
オリアンから与えられたこの鎧の力を最大限に引き出すことができれば、あるいは――。
オリアンの娘たるミリュウの力になれるかもしれない。
決戦のときは、刻一刻と迫っている。
九月二十五日。
ディヴノアの統一帝国軍本陣に急報が届いた。
それは、海上移動城塞が南ザイオン大陸北西部沿岸に到達したという報せであり、その報告が入った瞬間、本陣にはこれまでにない緊張が走った。
大帝国との、女神ナリアとの決戦が、目前に迫っているということにほかならないからだ。