第二千五百十五話 力を求めて(一)
あの大敗以来、セツナの周囲にはいままでのようなのほほんとした空気が絶無となっていた。
だれもが、緊張感の中にいる。
普段ならばセツナに甘え、積極的に触れ合おうとするであろうミリュウですら、己の無力さに打ち拉がれ、また、セツナの心情を慮り、せめて彼に負担をかけまいとしていた。思わず声をかけ、手を伸ばそうとするのを必死に抑えるミリュウの姿はまったくもっていじらしく、なにもそこまで気遣う必要はないのではないか、と、思わずにはいられないが、彼女の考えを否定するつもりもない。
セツナの負担を減らしたいと思っているのは、なにも彼女だけではない。
ファリアだって、そうだ。
女神ナリアとの邂逅および対峙、そして決戦は、ファリアに拭いがたい敗北感と絶望感、そしてどうしようもない無力感を植え付けていた。
ただ、敗れ去っただけならばいい。
しかし、そうではなかった。自分の意志とは無関係にセツナに襲いかかり、セツナの邪魔をしてしまった。セツナの気を逸らしてしまった。そのことが、大敗に繋がった。完全無欠の敗北。絶対的な死が、ファリアたちを襲った。光の奔流の中、痛みを感じることもないままに死んだ。殺されたのだ。死の経験が、記憶に残っている。なにもかもが光に飲まれ、虚無の闇に沈んでいく瞬間、己の意識が消滅する感覚は、いまもなおはっきりと思い出せた。思い出す度に総毛立つ。
死。
それは、セツナとの永遠の別離を示していた。
もう二度と、彼と逢えない。言葉を交わすことも、触れ合うことも、抱きしめ、愛を確かめ合うことも、できなくなるということだ。
彼女は、手を見下ろした。手のひらを開き、閉じる。また、開く。指先まで通う神経がばらばらになり、もはや自分というものを認識できなくなっていく瞬間ほど恐ろしいものはなく、そこに痛みがなかったことだけが幸運だったのかもしれない。だが、そんなものを救いだなどと想いたくもなかったし、受け入れたいとも想わなかった。
あのとき、もし、ファリアたちが人形遣いに操られていなければ、こうはならなかったのではないか。セツナが、ナリアを打ち倒せたのではないか。力の差を考えれば、それは不可能だったというのだが、しかし、そう考えずにはいられないのがファリアだ。ファリアたちがセツナの邪魔をした。セツナの気を逸らしてしまったという絶対的な事実があり、その隙が、ナリアに好機を与えたのだ。
光が氾濫し、なにもかもが飲み込まれた。
死。
ファリアたちはひとり残らず命を落とし、セツナだけが生き残った、という。
そして、セツナは、ファリアたちを護れなかったことへの悔しさや怒り、様々な感情を爆発させ、黒き矛の力を解き放ったという。そのとき戦神盤によって計測されたセツナの力は、ナリアの力をも上回るほどのものであり、もしかしなくとも、ナリアを討ち滅ぼすことも不可能ではなかったのではないか、と、ラミューリンは考えているようだった。それ故、ラミューリンは、時を戻す際、多少、躊躇ったらしいのだが、結局は、マユリ神の指示に従った。
そのおかげでファリアたちのいまがある。
無意味に散った命が元に戻り、消滅とそれに至る過程の記憶を引き継ぎ、ここにある。
ファリアは、“大破壊”によって荒れ放題に荒れ果てた平原の中に佇んでいた。ただひとり、穏やかな青空と秋風に包まれている。だが、心は穏やかではない。むしろ、嵐のように荒れ狂っており、冷静さを取り戻すことに必死にならなければならなかった。それほどまでに彼女の心が荒れているのは、自分の無力さを痛感したからだ。
いや。
神と戦うに当たって、自分の力が足りないことは、わかりきっていたことだ。
なにせ、ファリアはただの人間だ。武装召喚師ではあるし、現代の武装召喚師の中でも上位の実力はあるだろうと自負している。自分ほどの戦闘経験をした武装召喚師もいないだろうし、その経験を腐らせることなく活かせているという想いもある。自分以上の武装召喚師となると、この世にどれほどいるのか。傲慢でもなんでもなく、客観的事実として、そう認識している。
愛用の召喚武装オーロラストームも強力だ。攻防に使い分けることのできる、使い道の多岐にわたる召喚武装であり、攻撃力、射程、範囲、あらゆる面で優れているといえるだろう。だが、神を相手にした場合、それも児戯に等しくなるのではないか。
神はやはり、人間とは次元の異なる力の持ち主であり、存在なのだ。
それ故、ファリアは結果的にセツナの足を引っ張ってしまった。そしてその事実が彼女の心の海に荒波を立たせ、洪水を巻き起こさせるのだ。
セツナの役に立ちたいという一心で、彼とともに行動をしているというのに、だ。単純に彼の足を引っ張るだけ引っ張って、命を落としたというのであれば、これほど口惜しいことはない。
ずっと、何度も想ってきたことだ。
(力が欲しい)
神を相手に立ち向かえるくらいの力が、欲しい。
人間には、あまりにも大きすぎる力だし、高望みにもほどがあるが、しかし、そう想わずにはいられなかった。願わずにはいられなかった。求めずにはいられなかった。
力が欲しい。
せめて、セツナの役に立てるだけの力は必要だ。
いまのままでは、セツナの足を引っ張るだけに終わってしまう。それでは、いつかセツナに愛想を尽かされるのではないか――などという不安はないが、彼が戦場に連れて行ってくれなくなるのは、間違いない。少なくとも、神との戦いには、ファリアたちを置いていこうとするだろう。
それでは、意味がない。
セツナとともにいる意味が、なにもなくなってしまう。
セツナの、愛しい彼の力になることこそ、彼女の本望なのだ。
ただ彼と愛し愛されることだけが望みなどではない。
そんなか弱さは、いらない。
(お願い、オーロラストーム。わたしに戦う力を頂戴)
ファリアは、ディヴノアに入って以来何度目かの鍛錬で、オーロラストームの限界に挑戦していた。
空気がひりついている。
あの敗北以来だ。
あの戦いは、完全無欠の敗戦といっていい。弁解の余地は微塵もなく、彼女も、完璧といっていいほど、ただの足手まといと化していた。愛しい彼の足を引っ張り、ただ、無駄に命を奪われただけに過ぎない。自分の意志とは無関係に操られ、セツナに襲いかかってしまった。セツナは困惑しただろう。混乱しただろう。かといって、攻撃などできるわけがない。
セツナは、そういう男だ。
人形遣いに支配されていたウルクにさえ、積極的な攻撃ができなかったのが、セツナなのだ。間違いなく操られていたミリュウたちを昏倒させるために攻撃することなど、セツナにできるわけがなかった。それが最善であったとしても、彼にはそれができない。それこそ、彼の唯一無二の弱点といっていいのではないか。
彼は、ミリュウたちに極端に甘かった。
故に、ミリュウたちが利用されれば、途端に無力化される。無力にならざるを得なくなってしまう。攻撃できないから、ミリュウたちの苛烈な、一切の容赦のない攻撃を捌き続けるしかなくなる。
そして、その隙を見逃すナリアではなかった。
死の記憶。
光の洪水の中で命を落とした記憶は、ミリュウの記憶の中に堆積した数多の死の記憶をあざやかに上書きした。
そして、その真新しい死の記憶こそ、もっとも拭いがたいものになったのは、皮肉でもなんでもないだろう。
その無様で愚かな死に様を拭い取るには、ナリアを討つしかない。
ナリアを討つそのとき、セツナの力にならなくてはならない。
でなければ、この記憶は、一生、彼女の脳裏で嘲笑い続けるのだ。