第二千五百十話 一筋の光明
ウルクナクト号は、速やかに海上移動城塞上空を離れた。甲板上では、統一帝国の武装召喚師たちが神鳥の群れと格闘中だったが、天蓋を閉じ、防御障壁を展開し直すことで神鳥のそれ以上の接近を阻み、戦闘を強制的に終了させている。そして、急速旋回し、海上移動城塞からの砲撃をかわしながらノアブールへ急いだ。
もちろんだが、サグマウへの連絡も忘れていない。サグマウも、海上、転進し、移動城塞から離れていっているはずだ。さすがに単騎では挑むまい。
ノアブールへの帰路、セツナたちは船内の一室に集まっていた。当然、全員武装は解除している。セツナもすべての召喚武装を送還し、身軽になっていた。が、しかし、心の奥底に渦巻く暗い炎を消すことはできず、そのどす黒い負の感情が表面に出ないことを祈るよりほかなかった。悪いのは自分なのだ。他人に当たり散らすなど、以ての外だ。
「……あれは、俺たちの失態だ」
セツナは、開口一番にそういった。先の戦い、その結末についての言及だ。マユリ神は、まるで自分が悪いかのようなことをいっていて、強く責任を感じているようだったが、実際はそうではない。強攻策を推し進めたのは、セツナたちなのだ。
セツナたちが余計なことを言い出さなければ、海上移動城塞の大陸への接近をできる限り遅らせる程度で留めていたはずだ。もちろん、海上移動城塞の規模や防御能力を考えれば、それがどの程度効果があるのかわからない。まったく無意味だったかもしれない。が、全滅するような事態にはならなかったはずだし、多少なりとも効果はあったはずだ。それがどれほど小さくとも、いまのように攻撃を仕掛けてすぐさま逃げ帰るような無様を曝すことはなかっただろう。
「うん……」
「威力偵察に留めておくべきでしたな」
ミリュウが小さくうなずき、エスクが渋い顔で告げた。普段軽口ばかり叩いているふたりですら神妙な態度になるのは、当たり前のことだ。この場にいる皆、死を経験している。戦神盤によって時が戻った際、記憶はある程度残ってしまうものらしく、時を戻す前に死んだものたちは、死の記憶を実感として覚えていることが多いようだ。実際に起こったことなのだから、実感として記憶しているのはなんらおかしなことではなく、それ故、ファリアたちが神妙な心持ちになるのも当然だった。
この中で、実際に死を経験したことがあるのはレムくらいだったのだ。それが、セツナ以外の全員が死を経験した。それがどれほど衝撃的なことなのか、セツナには想像もつかないが、その経験が彼女たちを慎重かつ神妙にさせている。
「まったくその通りね。敵の力もわからないのに打って出た結果、全滅しかけるだなんて」
「全滅しかけたんじゃない。全滅、完敗だよ」
セツナは、ファリアの嘆息に対し、静かに告げた。完全無欠の敗北といってよかった。セツナは、護るべきものひとりとして護れなかったのだ。だれひとり、だ。ひとり失うだけでも敗北に等しいというのに、全員を失った。それを完敗といわずして、なんというのか。故にセツナは、心底に怒りを燻らせ続けていたし、時が戻ったことを喜んでなどいられなかった。
つぎにまたナリアと戦ったとき、このままでは同じ結果になるのは目に見えている。ファリアたちを連れて行けば、また皆を失うこととなるだろう。だからといって、セツナひとりで挑めるものだろうか。セツナひとりで、ナリアを討ち果たせるものなのか。
いや、そもそも、あのとき、なにが起き、なにが皆を殺したのか、それさえわかっていないのだ。まずはそこから検証しなくてはどうしようもない。
「俺ひとり生き残って、なんになる。なんにもなんねえよ」
それは、本心だ。
皆があってこその自分だということは、セツナがだれよりも知っていることだ。ひとりでは生きてはいけない。
「セツナ……」
「御主人様……」
「俺は……いまの俺なら、神が相手だって十二分に戦えると想ってた。皆を守りながらでも、なんとでもなるって、どこかで楽観視していたんだろうな」
これまでが、そうだった。
神を相手に戦ってこられた。アシュトラ、ラジャム、ネア・ガンディアの神々――。
これまで交戦してきた神々もまた、いずれも強力無比だったのは間違いないのだ。常人ならば相手になるはずもなく、武装召喚師ですら、対等に戦うこともできまい。セツナが戦えたのは、黒き矛と眷属の力あってこそだ。完全武装状態ならば、神をも上回り、神を滅ぼすことさえできた。
神殺し。
ザルワーンでそれを為したとき、神とも戦っていけると想えた。
黒き矛の、魔王の杖の力さえあれば、神の如き理不尽な存在とも対等以上に戦っていけるものだと信じられた。
だというのにだ。
女神ナリアの力は、想像を絶するものだった。
「だから、今回もやってやれないことはないって想ってしまった」
「あたしが悪いのよ。あたしがあんなことを言い出さなけりゃ……さ」
「悪いもんかよ」
セツナは、椅子の上で膝を抱えるミリュウに向かって、優しくいった。ミリュウひとりが悪いわけではない。言い出したのは、確かに彼女だが、それに乗っかったのはセツナであり、皆だ。だれも止めなかった。なぜならば、それが最善だと想ったし、信じたからだ。実際、あれでナリアを討てれば、それで戦いは終わったのだから、それ以上の良策はなかった。
ただ、それに失敗しただけのことだ。
そしてその失態は、ミリュウひとりのせいではない。断じて。
「セツナ……」
「あのときは、あの選択が最良だと信じたんだ。俺も、皆もさ。ただ、敵の実力も知らずに飛び込んだのは馬鹿で愚かでどうしようもないってだけのことでな。それに、戦神盤の能力もあった。甘えもあったんだろうよ」
「そうね……それは確かにあるでしょうね」
「ま、そのおかげで、ナリアの力の一端は知れたんだ。そういう意味じゃ、悪くはなかったんじゃねえか? なにも知らないまま、本番を迎えるよりはさ」
シーラが室内の重い空気を吹き飛ばさんばかりに勢いよくいった。すると、腕輪型通信器が反応を示した。女神の幻像が出現する。
『シーラのいうとおりだ。今回のは、良い経験になった』
「マユリ様」
「なにかわかったことでも?」
『ああ。ひとつだけ確かなことがある』
マユリ神は、静かに、しかしとてつもなく驚くべきことを告げてきた。
『ナリアは、あのとき、みずからの力を何倍、何十倍にも増大させた』
「何十倍にも……?」
「なにそれ……」
「それでわたしたちは死んだ、ということですか?」
『そうだ。ただし、何十倍にも膨れあがった力に殺されたわけではない。ナリアが力を増幅させる際、海上移動城塞に異変が起きている。八つの強大な力が確認されたのだ。その力がおまえたちを殺した』
皆が息を呑む中、セツナは、八つの強大な力と聞いて、はたと閃くものがあった。
「八極大光陣……」
「え……?」
「ナリアがいっていたんだ。八極大光陣は絶対無敵の布陣……ってな」
『それだろう』
「うん?」
『あのとき、城塞の八方から強大な力が放射されるのが確認された。城塞の中心に向かってだ』
「八方……それって」
「八つの塔のことか」
「なるほど……あの思わせぶりな塔が奴の力の源だったってわけか」
『力の源というわけではあるまい。だが、八つの塔から放たれた力が、どうやらナリアの力を増幅させたのは間違いなさそうだ。八極大光陣といったか。その陣を打ち破れば、あるいは……』
マユリ神が神妙に目を細める中、シーラが身を乗り出した。
「勝ち目がある……?」
「わからねえが……いまはそこに縋るしかねえ」
『そのためにも、まずは戦力を整えねばならんが』
「……ああ」
八極大光陣が八つの塔によって構築されるものであり、八つの塔を攻略することが陣を破るということであれば、その塔の攻略のために戦力が必要なのは間違いなかった。セツナたちだけでは、すべての塔を打開することは不可能だ。ひとりがひとつの塔を受け持って攻略できるとは、とても想えなかった。八つの塔は、それぞれ強大な力を放出したというし、そもそも、八つの塔は、砲台のように機能してもいた。そこにアーリウルとは異なる使徒かそれに類するものがいたとしてもなんらおかしくはない。
いや、いるだろう。
いないわけがない。
そして、それらを打ち倒さなければ、陣を破ることはできず、ナリアを滅ぼすこともできないのだ。
光明は見えた。
しかし、その光明は果てしなく遠く、限りなく薄いもののように想えてならなかった。