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第二百五十話 超越

 森を出たセツナは、戦場へ向かうための方法を考えていた。

 クルードは死んだ。彼の鼓動は止まり、命は終わった。彼は己の死を悟り、ミリュウを助けに来たのだろう。彼はミリュウに特別な感情を抱いていたのだ、きっと。それは愛や恋という言葉で表すべきものではないのかもしれない。簡単に口にしていいものではないのだ。

 だから、セツナは、彼の死を看取ると、なにもいわずに森を抜けだしたのだ。なにかいえば、彼の死を冒涜することになるかもしれない。なぜか、敵であるはずの彼の死に様に感銘を受けている自分に気づき、セツナは呆然となった。

 クルードは倒すべき敵だった。しかも、ファリアを追い詰めた男だ。脳裏に浮かぶ彼女の姿からそれと知れる。いや、クルードの召喚武装の能力を見れば、ファリアほどの武装召喚師でも追い詰められるのはわかるのだ。光球となって飛来したクルードは、黒き矛の斬撃すら無視した。光球化することで敵の攻撃を回避するという能力は、セツナですら戦いにくい。ファリアが押されるのも必然だった。

 そんな敵に対して、不可思議な感情を抱いている。正体の判らない感情の形に違和感を覚えるものの、不愉快なものではなかった。むしろ、心地いい。自分が人間であることを思い出せるような、そんな感覚があった。

「人間……か」

 セツナは、ふと、つぶやいた。いまや彼は、人間とはまったくかけ離れた万能感の中にある。

 夜の闇などどこにもないかのような明るさが、彼の視界を開いていた。星と月の光だけで、日中と同じだけの光を認識しているのだ。本物の黒き矛と偽りの黒き矛。どちらも同等の力を秘めているというのは、ミリュウとの戦いで判明済みのことだ。そして、複製物を手にして、その認識が間違っていなかったのだということもわかった。

 ふたつの黒き矛を手にしたことで、セツナの意識は、いつも以上に肥大し、五感は冴え渡り、身体能力も増幅されていた。矛を振るえば、強烈な剣圧が巻き起こり、衝撃波となった。ひとふりでも圧倒的な力をセツナにもたらしたのだ。二本の矛は、セツナにそれ以上の力を与えている。

 聴覚が戦場の音を捉え、嗅覚が戦場の匂いを広い、触覚が戦場の空気を感じ、視覚が戦場の風景を見せる。あらゆる感覚が拾い集めた情報は、脳裏で再構築され、情景となって克明に描き出されていく。戦場へ向かうふたりの武装召喚師の姿も見えた。ファリアとルウファ。満身創痍のふたりの負担を少しでも軽くするには、セツナが戦いを終わらせることだが。

(どうやって、行く?)

 ただ突っ走っても、ファリアより早くアスタル隊の戦場に辿り着くだろう。しかし、それではルウファのほうには間に合わない。ふたりを一刻も早く休ませたいのだ。無論、西進軍の損害を抑えたいという想いもあるが、一番はファリアとルウファのことだ。痛ましいふたりの姿が脳裏に焼き付いて離れない。

 それらは、二本の黒き矛が見せる幻覚なのかもしれない。想像というよりは、妄想に近いのかもしれない。しかし、セツナには、脳裏に描き出されるふたりの姿が妄想の産物とはとても思えなかった。そもそも、セツナがファリアの傷ついた姿を想像する必然がない。傷だらけのルウファにしてもそうだ。そんな姿を脳裏に描いても、傷つくのはセツナ自身なのだ。セツナにみずからを傷つけるような趣味はないのだ。

(空間転移……か)

 セツナは、二本の黒き矛を見比べながら、胸中でつぶやいた。血を媒介とする空間転移。ログナー潜入中に発現した黒き矛の能力のひとつだ。いままで、二度しか使用していない。一度は、皇魔の群れと戦っている最中に発動し、ルウファを殺しかけたときだ。

 いまにして思えば、あの能力は、カオスブリンガーがランスオブデザイアの存在と感知したことで発現したのかもしれない。二度目は、ウェイン・ベルセイン=テウロスとの戦いの直後だ。こちらも皇魔の群れとの戦いの最中に発動し、周囲の皇魔やガンディア軍兵士ともども、戦場のど真ん中に転移した。そのせいで戦場は混沌とし、セツナはアスタル=ラナディースの場所まで飛んで行くことができたのだが。

 どちらも、皇魔の血を媒介としている。

 皇魔の血でなくてはならないのか、どうか。

 セツナは、その二度以外では試したことがなかった。空間転移を必要とする場面に遭遇したことがないからであり、媒介として血が必要だという認識があるからだ。空間転移を試すためだけに、ひとを斬ることはできない。

(だが……)

 セツナは、自分の足を見下ろした。他人ではなく、自分なら切りつけても問題はない。いや、問題なのかもしれないが、いまのセツナには関係のないことだ。いまは、一刻も早く戦場に向かう必要がある。

 媒介とする血がなんでもいいのなら、セツナ自身の血でもいいはずだ。大量の血が必要ならば、失敗に終わるだろうが、いまは黒き矛が二本あるのだ。多少の無理も効くはずだ。

(ええい、ものは試しだ!)

 セツナは、右手の黒き矛の狙いを左太腿に定めた。腿を覆っていた装甲ごと切り裂く。痛みが走り、出血があった――と認識した瞬間、彼は空間がねじ曲がるような感覚を抱いた。気が付くと、轟然たる喧騒の中に身を置いている。周囲には鉄の鎧の群れがいる。弓を上方に向けて構えていた兵士たちは、突然の乱入者に騒然となったようだった。

「て、敵が!」

「な、なにがあった!」

「突然敵が真ん中に!」

(真ん中?)

 セツナは兵士たちの叫び声に耳を塞ぎたくなりながら、転移実験の成功を知った。つまり、媒介とする血液は皇魔である必要はなく、また、黒き矛が二本あれば、わずかな血液でも転移可能だということだ。痛みが疼くが、傷口は浅い。その程度の出血で転移できるというのは、間違いなく黒き矛を二本手にしているからだ。これまで、こんなに簡単に転移できたという記憶はなかった。

 そして、自分がどこに転移したのかも瞬時に理解する。異常に強化された五感が、状況の把握を促進させているのだ。セツナの周囲に蠢くのはザルワーンの兵士たちだ。そう判断できたのは、この兵士たちを包囲する軍勢の存在だった。ドルカ隊による包囲陣の真っ只中なのだ。包囲された兵士たちに包囲されているといってもいい。しかし、突然セツナが出現したことで起きたのは混乱だ。敵兵は、予期せぬ乱入者にわけがわからないといった様子で、といって対応することもままならない。

 周りの兵士たちが一斉に動き出すよりも早く、セツナは、両手の矛を振り回していたからだ。左の矛の一閃で前方至近距離の敵兵の胴体が上下に分かれた。右の矛を振り下ろすと、同じように十数人の兵士が袈裟懸けに断ち切れた。断末魔の悲鳴が鼓膜を賑わせ、血飛沫が視界を赤く染め上げる。叫喚があった。振り向き様に矛を振り回し、背後に満ちていた敵兵たちも斬殺する。一瞬にして人間からただの肉片へと成り果てるそられを見届けながら、セツナは、空間が歪むのを認めた。

 再び、転移現象が起きる。ただし、転移するのは自分だけだ。ログナー戦争時のように周囲を巻き音での転移ではない。

 視界が広がる。今度は、戦場の中ではなかった。空中だ。一瞬の滞空時間の後、重力に引かれるようにして地面に落下する。その最中、月光を反射する鎧の群れが見えた。前言を撤回する。今回も戦場の真ん中に転移してしまったようだ。落下したのは、やはり敵陣の中であり、敵兵たちは頭上から落ちてきた黒い物体に唖然としたようだった。しかし、すぐに動き出す。

「て、敵!?」

「黒き矛か!?」

「どういうことだ!?」

 口々に疑問符を上げる兵士たちを起き上がりながら撫で斬りにして、セツナは状況を把握した。敵陣は、半壊状態だった。アスタル隊とエイン隊の挟撃によって、会戦当初の陣形を瞬く間に突き崩されたのだ。崩壊した陣形の中心に放り込まれたようなものだったが、セツナには敵軍の状態など関係のない話だ。敵は殲滅する。それだけのことなのだ。

 とはいえ、乱戦でもあった。北からはエインの騎馬隊が突っ込んでは離脱するという戦法を取っており、南からはアスタル将軍みずから先頭に立っている。剣圧による衝撃波は味方を巻き込む可能性があった。いくら敵を殲滅したからといって、味方殺しをしては意味がない。彼は戦い方を考えなくてはならなかった。

 もっとも、深く考える必要はまったくない。衝撃波を起こさないように振り回せばいいだけのことだ。軽く、力を込めずに振り下ろしても敵兵を鎧ごと切り裂いたし、軽く小突くように伸ばしても、盾を砕き、数人ほどを串刺しにしていた。力を込めなくてもそれなのだ。全力で振り抜けばどうなるものか、試したくもあったが、状況がそれを許さなかった。

 転移現象が起こる。

 またしても、ドルカ隊の戦場へ。今度は包囲陣の外周に転移した。見回さずとも、理解できる。感覚は、時間とともに研ぎ澄まされている。より鋭利に、より正確に、周囲の状況を把握していく。意識の肥大は収まった。しかし、いや、だからこそ、五感はさらに強化されていく。まるで際限がないかのように強くなっていく感覚に、セツナは自分さえも見失いかけていることにも気づいていた。だが、いま両手の矛を手放すわけにはいかない。敵軍が降伏するまで、味方の安全が確認されるまで、ファリアとルウファが安心して休めるまで、敵を殺さなくてはならない。

 それがセツナ・ゼノン=カミヤの使命。

「うおっ!? カミヤ殿!?」

 後方で大仰に驚いてみせたのは、間違いなくドルカ=フォームだったが、セツナは一瞥を投げかけただけでなにもいわなかった。包囲陣に向き直り、跳躍する。一足飛びに数メートルの距離を飛び、包囲している兵士たちの頭上を越え、敵陣の中へ飛び込む。矢と槍が出迎えてくれたが、矛の一振りの前に沈黙した。矢は砕け散り、槍も腕ごと吹き飛んだ。槍を持っていた兵士が上げる悲鳴を聞き流しながら、敵陣の隙間に着地する。敵兵が、一斉にセツナとの距離を取った。ついさっきの殺戮劇が彼らに警戒を促したに違いない。だが、包囲陣のどこにいようとも、黒き矛の射程範囲だった。

 セツナは、なにもいわず黒き矛を振り下ろし、また、もう一方の矛で薙ぎ払った。無数の命の音が消えていくのを実感として認める。矛の一閃が十数人の兵士の命を奪っている。肉体は瞬く間に肉塊へと変わり、悲鳴を上げる間もなく、口なしの死人へと成り果てる。いつものことだ。いつも経験していることだ。

(違う)

 セツナが胸中で頭を振ったとき、さらに空間転移が起きた。意識が歪み、景色もねじ曲がる。正常化したとき、転移は終わっている。またしても、アスタル隊とエイン隊に挟撃された敵陣の中だ。矛を振り回し、血飛沫を上げさせる。断末魔の叫び声など、ほとんどない。痛みを感じる間もなく死ぬからだ。それは、絶望的な苦痛を感じながら死ぬよりはましなのかもしれないが、死ぬことに違いはない。だれだって死にたくはないのだ。いまも、セツナの出現を目撃して、悲鳴を上げながら逃げ出した兵士がいた。こちらに背を向けた兵士は、セツナの後方から突っ込んできた騎馬兵の槍に貫かれ、苦悶の末に死んだ。

(いつもとは、違う)

 いつも以上に冴え渡る感覚が、戦場中の鼓動をセツナの耳朶に叩き込んでいく。心臓の音。命の音。だれもが懸命に生きようとしている。必死になって、生き延びようとしている。敵も味方も関係なく、だれもかれもが、死にたくないと叫んでいる。それは声にならない声だ。心の声とも違う。感情ではない。

 本能。

 生物としての本能が、この戦場に渦巻いている。いや、それだけではない。生と同じだけ、死への渇望も蠢いている。死の絶叫が聞こえるようだ。

 あるものは血反吐を吐きながら、それでも敵に一矢を報いて口を歪めた。そこを別の敵に襲われて命を落とす。あるものは窮地を救ってくれた味方を敵から庇って死んだ。騎馬兵の槍を盾で受け止めた男は、反撃に転じようとしたところで十数本の矢を浴びた。大量の敵を相手に大立ち回りを演じた男も、どこからともなく飛来した矢に首を射抜かれて絶命した。

 数多の生があり、無数の死があった。

 セツナは、その戦場にさらに大量の死を呼ぼうとしている。いや、既に数えきれないくらいの敵兵を殺戮していた。

 さらに、殺す。

 超人的な感覚の中で、彼は両手で黒き矛を握った。

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