第二千五百一話 神への挑戦(二)
ウルクナクト号は、どこまでも果てなく広がる蒼穹のただ中を駆け抜け、大海原をかき分けて南進し続ける海上移動城塞へと迫っていく。六対十枚の光の翼を羽ばたかせ、最高速度でもって飛翔する。その速度たるや物凄まじいものであり、甲板上の武装召喚師たちは、振り落とされるのではないかという不安に駆られなければならなかった。無論、そんなことはありえないし、心配する必要もなかったが。
やがて海上移動城塞を肉眼で捉えると、八方に迫り出した八つの塔が特徴的な巨大城塞は、そのとてつもないほどの質量を見せつけるようにして海上に在ったが、なんの反応も示さないわけではなかった。八つの塔の天辺が極彩色の光を発すると、それぞれ異なる光彩を帯びた光線となってウルクナクト号を攻撃してきたのだ。対空砲とでもいうべきそれらは、しかし、ウルクナクト号の防御障壁に直撃し、爆発の連鎖を起こしただけに過ぎない。
とはいえ、鼓膜が破れるのではないかと想うほどの爆音の連続には、だれもが閉口せざるを得なかった。
そしてその爆発によって生じた濛々たる爆煙の中を、雲海を突っ切るが如く突き進み、ウルクナクト号は、海上移動城塞を眼前に捉える。八つの塔による対空攻撃が止んだ。至近距離では、攻撃によって生じる爆発に城塞そのものを巻き込む可能性があるからに違いない――と、彼は考えた。本当のところはどうかわからないが、どうでもいいことだ。彼には彼の役割があり、それ以外のことを考えている余裕はない。
「全員準備はいいな? 天蓋の展開次第、各自、あの化け物の群れを攻撃せよ!」
武装召喚師隊の現場指揮を任された喜びからか、あるいは、絶望的な戦いに挑まなければならないという心境からか、極めて興奮した口調で指示を飛ばしたのは、ロイ・ザノス=ジグザールだ。西帝国時代、西の帝都シウェルエンドにおいて武装召喚師部隊“太陽の目”の隊長を務めた人物である彼は、このたび、東帝国の影の支配者だったラミューリン=ヴィノセアの配下に任じられたことを内心不快に想っているに違いない。言動にこそ出ていないが、きっとそうだ。
ハスライン=ユーニヴァスは、そう決めつけていたし、その断定に間違いはないと確信していた。なぜならば、ラミューリンは、ロイにとっては倒すべき敵だったのであり、信仰する神の違う異教徒といっても過言ではない相手だったのだ。
皇帝とは、帝国臣民にとっては神そのものだ。
ハスラインやラミューリンは、ミズガリスハインという神を信仰し、彼こそが地上の支配者に相応しいと考え、その理念に殉じるべく命を投じた。ロイも同じだろう。彼の場合は、ニーウェハインこそが神であり、彼こそが皇帝に相応しいと信じた。そのふたつの信仰の激突こそが東西紛争であり、西側が勝利を手にした。本来であれば、敗者たる東の神も信仰者も打ち捨てられるだろうところをニーウェハインの慈悲心によって救われ、ハスラインたちかつてミズガリスの信仰者だったものたちは、続々とニーウェハインに帰依した。無論、だれもが本心からニーウェハインに乗り換えたわけではない。そうしなければ生きてはいけないから、表面上、そうしているものも決して少なくはない。ミズガリスのほうが皇帝に相応しいといまも想っているものはいるのだ。だが、そういった想いは、抵抗軍の完膚なきまでの敗北によって一気に勢いを失っていった。やがてそれらのミズガリス信仰は熱を失い、影さえ残らなくなるだろう。
ニーウェハインの、統一帝国政府の施策は、少なくとも、かつて東帝国に属していたものたちにとって取れる最大限の譲歩というものであり、救済策といっても過言ではないものばかりであり、ハスラインを始めとする多くの東帝国人が速やかに統一帝国に参加することができたのも、そういった動きがあったからだ。そして、そういう動きや流れは、ひとびとの心を瞬く間に変えていく。
ハスラインなどは、いまやミズガリスへの忠誠心も信仰心も完全無欠に失われ、どうすればニーウェハインに認められるか、ということしか考えていなかった。
それは、ロイのような以前からのニーウェハイン信者にも愉快なものだろう。かつて、ニーウェハインを害することしか考えていなかったものたちが一転して媚びへつらい、御機嫌取りに必死になっているのだから、その上に立つ彼らの溜飲も下がるというものだ。
しかし、ラミューリンは違う。
ラミューリン=ヴィノセアは、ミズガリスの腹心であり、かつて東帝国の中枢を担った人物だったこともあってか、ミズガリスの統一帝国政府への参政と同時に重要な立ち位置と目されることとなった。ラミューリンには、政治力があるだけではない。武装召喚師としての実力、技量、見識は、群を抜いている。ハスラインが一目置くほどだ。特に彼女の召喚武装・戦神盤は、使い方次第では劣勢を覆し、勝機を見出すことも容易い脅威的なものであり、このたびの戦術も、戦神盤が要となっている。
それがロイたち西帝国出身者には気に食わないのだ。
もっとも、そんなことをいっていては始まらないのは、ロイたちもわかっている。ラミューリンに武装召喚師二百名を任せたのは、ほかならぬニーウェハイン皇帝陛下なのだ。皇帝の声とは神の声であり、皇帝の命令とは、神の命令なのだ。不満も不服も、神への信仰、忠誠心の前には風の前の塵に同じだ。
現にいま、ロイは、絶望的な戦いを目前にしながらも、ニーウェハインへの忠誠心に燃えに燃え、あらん限りの声を上げて、戦意を昂揚させんとしていたし、ハスラインもまた、その鼓舞に心を打たれている事実に苦笑せざるを得なかった。
ウルクナクト号の甲板には、ラミューリンを除く二百名の武装召喚師が待機している。統一帝国が誇る武装召喚師の中でも精鋭中の精鋭ばかりを集めたという二百名の一員に加わっているということは、ハスライン自身、歓喜に震えずにはいられなかったし、昂揚せざるを得ない出来事ではあった。彼だけではない。彼を含めただれもが、皇帝に選ばれた栄誉に打ち震え、感動と歓喜の中で魂を燃やしていた。
敵は、何百何千を越える白濁した怪鳥たち。
ハスラインたちのそれらへの攻撃が、戦闘開始の合図となる。
戦神盤には、そういう独自の制限があるのだ。
そしてその制限を満たすために、ハスラインたちは、命がけの戦いを行わなければならなかったが、不思議と、悪い気分ではなかった。
むしろ、心地良い。
長距離射程の召喚武装を携えた二百名の武装召喚師たちは、ウルクナクト号が海上移動城塞に限界ぎりぎりまで接近し、天蓋が開く瞬間を待った。そして、船体が傾き、天蓋が開いた瞬間、猛然と殺到した無数の怪鳥に向かって、嵐のような攻撃を浴びせた。
統一帝国の存亡を賭けた決戦が、にわかに始まったのだ。
戦神盤が戦場を認識すると、戦神盤の中心に嵌め込まれた宝玉から室内全体に目映い光が投射された。それら光は、無数の点となって室内の壁や天井に映し出されるのだが、多くの光点が常に動き続けていた。それぞれ大きさや強さの異なる光点は、戦神盤が定めた戦場内に存在する生命体であり、それら生命体の戦力が光の強さ、大きさとして可視化されているのだ。
密集した無数の光点は、ウルクナクト号の甲板上に布陣する二百名の武装召喚師であり、それに群がる無数の光点は、神鳥と呼ばれる怪物たちだろう。そして、その光点の集まりの下に、とてつもなく強力な光を放つ存在がふたつ、ある。ひとつは、女神マユリ。もうひとつは、セツナ=カミヤだ。セツナ=カミヤを示す光点は、かつて見たときよりも遙かに強大化しているように想えたが、記憶違いなどではあるまい。彼はまぎれもなく、あのとき以上の力を発揮している。
ラミューリン=ヴィノセアは、女神の加護によって戦神盤から得られる情報量がより膨大かつ緻密なものになっていることを確認すると、その情報量の多さに目眩を覚えかけた。洪水の如く押し寄せる情報量は、複数の召喚武装の併用を試したときとも比べものにならない。だが、その莫大なまでの情報量に酔うこともない。目眩を覚えかけたのは一瞬だけのことだ。それ以降、不調はない。むしろ、絶好調と言って良かった。
戦神盤が認識した情報が手に取るようにわかる。
いままでにないくらいの万能感が、戦場の空気さえも肌で感じ取らせた。
(これが……神の力……)
彼女は、茫然とつぶやき、すぐさま顔を上げた。
目の前にセツナたちがいて、そのときを待っていた。
決戦の場への転送。
その瞬間。