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第二十四話 一線飛躍

 バルサー平原の南方に展開したガンディア軍五千に対して、バルサー要塞を後方に布陣したログナー軍の総数は、報告によれば六千から七千といったところであった。

 ログナー軍は鳥が翼を広げたかのような陣形を取っており、数で劣るガンディア軍を包囲殲滅するつもりらしい。

 対するガンディア軍は、部隊を大きく四つに分けて布陣していた。レオンガンドが直接指揮を取るのは、近衛兵を筆頭とする精鋭部隊であり、これが先頭集団であった。

 続いて、ルシオンの第一王子ハルベルク・レウス=ルシオンを指揮官にした部隊は、精鋭部隊の右後方に位置している。ミオンの突撃将軍ギルバート=ハーディ指揮下の部隊は、先頭集団のすぐ後方につけている。最後に、セツナとファリアを含めた二百名あまりの傭兵集団が、レオンガンドの左後方にあった。

「敵軍は数で我が方を圧倒しておりますなぁ。どうなされるおつもりですかな?」

 アルガザード=バルガザールのどこか飄々とした声が、レオンガンドの耳朶には心地良く響いた。

 アルガザードは、ガンディアを代表する将のひとりであり、守戦においては右に出るものがいないと言われる名将である。その好々爺然とした風貌は、レオンガンドが幼少の頃からまったく変わっておらず、レオンガンドでさえも驚嘆を覚えるほどだった。

 見事なまでの白髪と、常に微笑を湛えた顔に刻まれたいくつもの皴、長く蓄えられた顎髭も真っ白であり、彼が《白翁》と呼ばれるのもうなずけるだろう。

 レオンガンドは、戦場においても常と変わらぬ笑みを浮かべる老将に心強さを感じながら、視線を前方に戻した。かく言うレオンガンドの表情とて、平常と変わらないものに違いない。その事実を自覚して、彼は胸中で苦笑した。

(浮ついてるんだけどね)

 それもそのはずである。

 此度の戦が、レオンガンドの初陣だった。ガンディア王家を継ぐものとして生れ落ちて二十六年余り、彼は、戦場に立つ機会を奪われ続けてきた。いや、禁じられたといったほうが正しいだろう。

 それは、彼の父にして偉大なる先王シウスクラウドの厳命であった。

『王位を継ぐまで戦ってはならない』

 今になっても理解のしがたい教えではあったが、レオンガンドは、英傑には英傑の考えがあるのだろうと結論付け、深くは考えないようにしていた。いくら悩んでも、答えは出ないのだ。考える時間がもったいなかった。

 ともかくも、戦いを禁じられた彼に代わって、妹であるリノンクレアが戦場に立つことになったのは、運命の皮肉なのかもしれない。

 十代半ばに初陣を終え、以来数え切れないほどの戦場を経験したリノンクレアは、ガンディアの戦姫として謳われ、一方で、戦場に立つことも許されなかったレオンガンドは、ガンディアのうつけと罵られた。

 もっとも、レオンガンドは、ただの罵詈雑言如きで傷つくような繊細な精神構造をしていなかった。そもそも彼は、やるべきことをやっていただけなのだ。為すべき使命を果たすために、ガンディアを駆け回っていただけなのだ。

 遊び呆けていると想われようとも構いはしなかった。しかしながら、その結果として人心が離れ、即位とともに多くの国民が絶望してしまったという事実には、さすがの彼も閉口せざるを得なかったが。

「どうするもこうするも、予定通り行こうじゃないか」

 レオンガンドは、軽く返答すると、宝剣グラスオリオンを頭上に掲げた。実戦では使い物にはならないくらいに装飾された長剣の刀身が、陽光を反射して眩い輝きを発する。

 馬上で掲げられた彼の剣の輝きは、ガンディア軍先頭集団のだれもが目にすることができただろう。

「進め!」

 レオンガンドは、号令とともに、剣の切っ先を敵軍に突きつけるかのように振り下ろした。





「行くぜ、てめえら!」

 シグルドの咆哮が傭兵集団の中に轟いたのは、レオンガンド率いる先頭集団が、敵陣目掛けて進軍を開始した直後だった。

 傭兵たちの間に走ったのは、どよめきなどではない。戦功を上げ、少しでも褒賞金を頂こうとする猛者たちの、本能的な雄叫びであった。

(す、凄い……!)

 セツナは、地を揺るがすかのような雄叫びに包まれて、驚きと感動を覚えていた。魂が震えるとは、このことかもしれない。生まれも育ちも違うはずのものたちが、たったいま、ひとつの目標に向かってひとつになっていた。

「セツナ、気を抜かないようにね」

 ファリアの言葉に、セツナは、はっと我に返った。感動している場合ではなかった。傭兵部隊は、既に動き出している。なぜか部隊の先頭に紛れ込んでいたセツナも、前進しなければならない。

 もっとも、体はとっくに反応して、無意識のうちに動き出してはいた。しかし、意識をしなければ、傭兵たちの進軍速度についていけず、取り残されてしまいかねなかった。

 先頭の男が、全速力ではないにしても、物凄い速度を出していたのだ。全軍、それに引っ張られるしかない。陣形を崩すわけには行かないし、戦功を独り占めにされるわけにもいかない。もちろん、先頭を走るのものが、褒章に目が眩んだただの愚か者ならば、それに追従する必要はなかったのだろう。

 しかし、傭兵部隊の先陣を駆けるのは、《蒼き風》の突撃隊長ルクス=ヴェインそのひとであり、彼のいくつかの逸話を聞かされたセツナは、傭兵たちがルクスに追いつこうとするのもわからなくはなかった。

(けど、俺は……)

 焦る必要はない。初めての実戦であり、強烈な緊張と鮮烈な昂揚が渦巻く中では、焦るなどもってのほかに違いない。冷静に、周りの空気に呑まれて我を見失ってはいけない。

 戦果は、期待されているのだろう。そのために、王直々にスカウトされたのだ。戦果を上げるために。召喚武装を振るい、敵を打ち倒して。

 セツナは、もはや遥か前方のルクスのことを目で追うのは諦めて、周囲を見回した。右後方にはファリアの姿がある。異形の弓を携えたまま走っているにも拘らず、息ひとつ切らさない。セツナなんて、集団の速度についていくのがやっとだというのに。

 左前方に、シグルド=フォリアーとジン=クレールの姿があり、彼らの部下である《蒼き風》の面々が続く。《蒼き風》以外の傭兵たちも、彼らに負けじと走っていた。

 前方に視線を戻すと、長大な壁のように並び立つ重装歩兵の群れの中に、ルクス=ヴェインが飛び込んだところだった。長剣が閃き、血煙があがるのが見えた。悲鳴が聞こえた。怒声がそれを掻き消した。敵兵がルクスに殺到した。

 いくつもの剣閃が、ログナーの重装歩兵をその厚い鎧ごと両断した。鮮血が大量に噴き出し、戦場に紅い花を狂い咲かせた。

 数多の命が瞬く間に散ったのを認めて、セツナは、驚きを禁じえなかった。

(あれが剣鬼ルクス=ヴェイン……!)

 驚嘆とともに、セツナは、右手を前方に突き出した。叫ぶ。

「武装召喚!」

 セツナの肉体の表面に、複雑で幾何学的な光の紋様が浮かび上がった。その紋様の中から光の奔流が、爆発的な勢いで溢れ出す。

 圧倒的な開放感の中で、セツナは、体の紋様が発散した光が、右の掌の中に収斂していく様を見ていた。棒状に収束していく光は、やがて、その歪で禍々しい正体を明らかにしていく。

 光が消え失せ、セツナの視界に出現したのは、化け物染みた漆黒の矛であった。かつて、あの森で皇魔を撃退した武器であり、ランカインを打ちのめした矛であり、セツナだけの召喚武装であった。

(行くぜ……俺の矛!)

 その柄を握り締めた瞬間、セツナは、電流でも浴びたかのような衝撃を受けた。衝撃は、一瞬にしてセツナの意識に到達し、彼のすべてをあざやかに染め上げた。視野が広がり、感覚が冴え渡る。力が湧き、肉体は躍動した。

「――!?」

 背後から、誰かの悲鳴ともなんとも言いようのない声が聞こえた気がする。しかし、セツナは、もはやそんなことを気に留めている場合ではないと理解していた。

 前方ではルクスの独り舞台が続いており、敵陣中央では、レオンガンド率いる精鋭部隊とログナー軍の戦闘が始まっていた。その後方から、ミオンの部隊が続こうとしているのが見え、ルシオンの白聖騎士隊が、大きく迂回するのがわかった。敵陣の左翼が突出しているところから見るに、その横腹を突くのかもしれない。

 セツナは、目まぐるしく動き出した戦場を把握している自分の頭に驚きつつも、それも当然だと冷静に判断していた。矛を手にしたのだ。そうなるのは当たり前といえる。

 そして、セツナは、速度を上げた。先頭のシグルドを追い抜くと、それだけで敵陣は眼前に迫った。矛を召喚する頃には、既にかなりの距離を詰めていたのだろう。

 十数の兵士の亡骸に囲まれたルクスが、なにやら攻めあぐねているのが見えた。敵兵が、ルクスを危険とみなしたのか、距離を置いて包囲陣を形成したのだろう。重装備に身を固めた上に、大盾を構えた兵士たちに攻めかかるには、どうやらルクスといえど一筋縄ではいかないらしい。

 最初のあれは強襲だったから成功したのだろう。危険性を認知された以上、うかつには動けないのかもしれない。

 もっとも、いまのセツナには、関係のないことだった。矛が、暴れたがっていた。ならば、その力を振るわなければならないだろう。逡巡はなかった。大地を蹴って、前方の敵陣へと飛躍する。

 無数の敵兵とルクスの視線が、一斉にセツナに注がれた。一種の快感が、セツナの意識を突き抜けた。

「セツナか!?」

 着地と同時に聞こえたルクスの声は、驚愕に上擦っていた。しかしセツナは、振り返ることもしなかった。

 そう、セツナは、ルクスの前方に着地したのだ。眼前には、無数の敵兵。甲冑の奥の無数の目が、愕然としているのがなんとなくわかった。それはそうだろう。敵陣に単身飛び込んでくる馬鹿が、ふたりもいたのだから。

 セツナは、口の端に笑みを浮かべた。それがどれほど凶悪なものなのかは、自分ではわからない。そして、本能の命ずるままに、矛を振るう。不意に――。

『ひとを殺したことは?』

 セツナの脳裏に閃いたのは、ファリアの質問だった。なぜ、このときになってそんな質問を思い出してしまったのだろう。

(どうして?)

 その意味を理解したのは、直後だった。

 突如、矛の切っ先から、紅蓮の猛火が噴き出したのだ。


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