第二千四百九十八話 変更
ノアブールは、ほぼ無人の地と化している。
まるで廃墟のようだ、とは、エスクの言葉だが、実際、そのような空気が漂っていた。一般市民、非戦闘員の避難は済んでいたし、その後、ノアブールに入ってきた統一帝国軍のほとんど全員がディヴノアに移動していた。九月二十日現在、ノアブールにいるのは、セツナ一行とラミューリン=ヴィノセア率いる二百名の武装召喚師、そしてサグマウだけだ。
二百十数名では、西帝国が誇る北部最大の港町を占拠することなどできるわけもないということだ。
そして、その二百十数名がウルクナクト号に乗り込めば、ノアブールからひとが消えていなくなるが、どうでもいいことではある。
ノアブールは、放棄されたのだ。
大帝国の海上移動城塞は、おそらく、そのまま南大陸に上陸するためのものであり、陸上でも移動できる可能性が高かった。つまり、その進路上の都市は巨大な城塞によって踏み潰される運命にあるということであり、ノアブールがそうなる可能性は高かった。なぜならば、海上移動城塞は、ノアブールのまっすぐ北を南下中だったからだ。そして、統一帝国の魔動船や多くの船が撃沈されたのも、ノアブール北部の海上での出来事であり、セツナたちを乗せたウルクナクト号は、その海上に向かって移動している最中だった。
セツナたちと二百名の武装召喚師、サグマウ、タズマウという現有戦力での海上移動城塞への攻撃によって、上陸までの時間稼ぎを試みるのだ。これで少しでも時間が稼げれば最良だったし、もし、時間稼ぎにすらならなくとも、海上移動城塞の情報をわずかでも入手できるのであればそれに越したことはない。
いま現在、海上移動城塞に関する情報といえば、大都市をも飲み込むほどの巨大さであり、神の力によって海中、海上を自在に移動することができるということと、船を攻撃することができるということくらいだ。それ以外の情報はほとんどなく、そんな状況で上陸をただ待ち受けるのは愚策以外のなにものでもないだろう。
城塞が外部からの攻撃で損傷するのか。また、損傷したとして、修復にどれだけの時間がかかるのか。乗り込んでいる戦力はどの程度のなのか。城塞の攻撃手段はどういったものなのか。防御手段はあるのか。あったとして、どのようなものなのか。
このたびの攻撃で得られる情報といえば、これくらいのものだろうが、ないよりは増しなはずだ。情報は多ければ多いほど良い。妄想や想像で補うよりはよほど。
海上移動城塞が姿を現したときにこそ確認しておくべきことばかりだが、あのときは、セツナたちはほとんど力を使い果たしていたし、なにより、マユリ神がウルクナクト号を全速力で戦域から離脱させたこともあり、確認しようがなかったのだ。
「なんだったら、今回の攻撃で斃してしまえばいいんじゃないの?」
「簡単にいってくれるよ」
セツナは、まるで買い物でもしてくるかのような気楽さでいってきたミリュウを横目に見て、なんともいえない顔になった。ウルクナクト号の船首展望室に、彼らはいる。セツナ、ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、エリナ、ダルクス、ウルク、エスク、ミレーヌ、ネミア、ゲインの十二名。ラミューリンら統一帝国の武装召喚師たちは、ウルクナクト号の船内各所に散らばっている。きっと、物珍しいのだ。方舟は、ただの船が空を飛んでいるというわけではないのだ。船内の構造からして、普通の船とは違う。見て回れる場所はいくらでもあった。
セツナたちにしてみればどこもかしこも見慣れたものだが、初めて船に乗る人間には、なにもかもが新鮮で驚きに満ちたものに見えるはずだ。
それはともかく。
セツナは、ミリュウがいったことを考えていた。このたびの海上からの攻撃でもって、戦いを終わらせるという案について、だ。
「が、案外、合理的かもな」
「でしょ?」
ミリュウが嬉しそうに笑えば、ファリアが半眼を寄越してくる。
「合理的? どこが」
「海上だからさ」
セツナは、全員の注目が集まるのを意識するでもなく、告げた。
「俺たちが、統一帝国軍の総力結集を待つ必要性を感じているのは、そうしなけりゃ、大帝国軍との決戦において、甚大な被害がでるからだ。なんたって相手は百万の軍勢だからだ。しかも、それがすべてとは想えない」
「そうだな。神鳥だけであの数だ。神獣、神人が大量にいたとしてもおかしくはねえ」
「それらが戦場に放たれれば、俺たちが大帝国の神を討つまでに多大な被害がでる可能性が高い。だから、統一帝国の全戦力が集まるまで待つ必要があると考えた」
「うん」
「が、海上ならその心配はない。俺たちだけで特攻して、神様を討てばいい。その後、混乱したとしても知ったことか。離脱すりゃあいいのさ」
「うんうん!」
ミリュウが力強く頷く。
わざわざ統一帝国軍の総力結集を待たずとも、大帝国の神との戦いを終わらせることができるのであれば、それに越したことはない。だれもが想うことだ。もちろん、簡単なことではないし、そもそも、セツナが現状、持ちうる力で大帝国の神を滅ぼせるのかどうかというと、確信はない。それでも、やるしかないことだったし、そうである以上、試みるのも悪くはあるまい。
『それができれば、の、話だがな』
と、腕輪型通信器上の女神が憮然と告げてきた。
「……まあ、な」
『このたびの戦闘は、わたしとラミューリンとの同調を試みる戦闘でもある。それが成功するかどうかもわからぬ以上、無茶は禁物だ。特にセツナ。おまえにいっている』
「わかっているつもりだ」
『つもりでは困るよ』
「……わかったよ。注意する」
セツナは、幻像の女神を見つめながら深くうなずいた。マユリ神のいうことは、もっともだ。セツナはいつだって無理や無茶をしがちだ。そうしなければ勝てない戦いばかりだから仕方がないとはいえ、そのせいで周りに心配ばかりをさせているという事実もある。それは、セツナも望んではいない。
「無茶でもさ、今回倒せたほうが良くない? マユリん」
『それはそうだが……』
渋い顔をする女神に対し、シーラが口を開く。
「ミリュウのいうことももっともだと想うな。損害を最小限に抑えるって意味でもさ」
「ま、そうね。総力戦となれば、どうしようもなく損害が出るわ。数え切れないくらいのひとが死ぬ。それなら、いま、この機会に神殺しを試みるのも悪くはないかもしれないわ。無茶は百も承知。そしてそれは、総力戦を展開したとしても同じこと。そうでしょ?」
ファリアがミリュウの意見に肯定的な反応を示すと、ミリュウが彼女に抱きついた。セツナも、ミリュウたちの意見には賛同せざるを得なかった。結局、同じ事だ。戦闘が始まれば、セツナたちは、戦神盤の能力によって敵軍の中でもっとも強大な力を持つもの――つまり、大帝国の神の居場所まで転送してもらうことになる。神との決戦がすべてであり、それ以外の戦力はほとんど関係がないのだ。使徒は、神の消滅によって滅び去る。つまり、速やかに神を滅ぼすことができれば、セツナ側の損害を限りなく抑えることができると言うことだ。
『ふむ……確かにな。試してみる価値は、あるか』
「さっすがマユリん、話がわかる!」
ミリュウが腕輪上の女神の幻像に口づけするような仕草でもって喜びを示すと、女神は困ったように肩を竦めてみせた。
『……だが、試してみて、無理だとわかったらすぐに取り止めるぞ。おまえたちを失うようなことは、したくないからな』
「わかってるって。マユリんは心配性なんだから」
『心配もする。相手が相手だ』
それから、女神はセツナを見つめてきた。まっすぐに。
『敵は、わたし以上の力を持つ神だ。容易い相手ではないのだぞ』
「ああ。わかっているよ」
セツナもマユリ神の幻像をまっすぐに見つめ返して、うなずいた。
「でも、それはさ。先もいったように総力戦だって変わらないんだ」
どれだけ統一帝国の戦力を集めたところで、神と戦うのは、セツナたちだ。神を滅ぼすことができるのは、いまのところ、セツナと黒き矛だけだ。魔王の杖だけが、神殺しの業を成し遂げられる。統一帝国の戦力は、統一帝国の損害を減らすための盾であり、防波堤に過ぎない。セツナたちの戦いにはなんの恩恵もないのだ。
少なくとも、今回のような敵総大将のみを狙う策ならば、だが。
そして、それがもっとも自軍の損害を少なくする方策である以上、そうする以外の選択肢はなかった。