第二千四百九十六話 待機
統一帝国軍がノアブールから後退を始めたのは、十九日中のことだ。
状況が状況ということもあり、いつでも動けるようにと準備されていたのだろう。極めて迅速な行動には、賞賛の声さえ上げたくなる。
ノアブールに集ったおよそ五万の将兵とともに統一帝国首脳陣がつぎつぎとノアブールを去って行く中、ノアブールに残るものたちもいないではなかった。ラミューリン=ヴィノセアを筆頭とする統一帝国軍召喚師団の精鋭たちだ。彼女たち召喚師団がノアブールに残留したのは、セツナたちと協力し、海上移動城塞の南大陸上陸をわずかでも遅らせ、時間稼ぎをするためにほかならない。
統一帝国に属する武装召喚師は、総勢四千名ほどだ。そのうち、二百名がノアブールに残り、ラミューリンの指揮下に入っている。かつて帝都でセツナの前に立ちはだかった武装召喚師たちの姿もある。ハスライン=ユーニヴァスもおり、彼はラミューリンの部下に甘んじなければならないことに不服そうだったが、だからといって反乱を起こすようなことはあるまい。
「セツナ様の指揮下に入るよう、皇帝陛下より拝命されました。なにとぞ、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願い致しますわ」
ラミューリンが配下の武装召喚師たちを引き連れて、ノアブール基地を預かったセツナの前に現れたのは、統一帝国軍のディヴノアへの大移動中のことだ。相変わらず、肌が透けて見える際どい衣装を身につけた美女は、艶然たる笑みでもってセツナに頭を下げてきた。
「あ、ああ……こちらこそ、よろしく頼む」
セツナが思わずたじろぐと、その場に居合わせたファリアたちが冷ややかな反応を示した。
「ふうん……」
「へえ……」
「ほう……」
「あら……」
「なるほど」
五人が五人、それぞれに異なる表情、反応を示したのを認めて、セツナは思わず彼女たちを振り返った。
「なんだよ、皆して!」
すると、
「いやだって、セツナって、ああいうのが好みだったのね……って、想って」
ファリアが少しばかり落胆したような態度を見せれば、ミリュウが憤然と言い放ってくる。
「本当よねえ。鼻の下伸ばしちゃってさあ」
「まったくだぜ、ああいうのがいいってんなら……」
「いいってんなら、なによ?」
「な、なんでもねえよ! なんもいってねえ!」
シーラが顔を真っ赤にして否定すると、ミリュウがにやにやと面白がった。
「セツナが望むなら、あんな格好だってするって?」
「だから! いってねえ!」
シーラが否定すればするほどミリュウが面白がるのだが、そんなミリュウを止めようともしないのがファリアだったりする。もちろん、シーラが激昂すれば話は別だろうが。
「御主人様のお好みでしたら、これからはラミューリン様の格好を参考に致しますが」
「やめろ」
「わたしも、レムと同じ格好を」
「だからやめてくれ」
レムとウルクの連続攻撃にセツナは頭を抱えたくなった。ラミューリンと同じ薄衣を纏ったレムとウルクを脳裏に描き、即座に打ち消す。似合わないという次元ではない。
「っていうか、レムとウルクじゃ色気もへったくれもないわよ」
「なっ……!?」
「そうですか?」
「そうよ、特にウルクはね」
ミリュウは、レムの憤慨ぶりを聞き流すようにして、ウルクの体に触れた。確かにウルクの場合は、レム以上に色気がないのも致し方がないだろう。彼女は、人体を模してはいるし、女性的な形をしてはいるものの、やはり人形なのだ。そこに色気など発生しようがない。
「つぎに新しい躯体を作ってもらうときは、色気のあるような躯体にしてもらいなさいな」
「色気のあるような躯体……ですか」
「じゃないと、セツナが相手にしてくれないわよ」
「そうなんですか? セツナ」
ウルクがまっすぐに見つめてきて、憮然とする。
「んなわけねえだろ、真に受けんなよ!」
「はい、セツナ」
あっさりとした調子で、ウルクがうなずいてくる。そんなウルクの様子を見て、ミリュウがそこはかとなく嬉しそうにいった。
「ウルクってば本当、素直よねえ」
「素直だからってからかわないの」
「えー、でもお」
(おまえらだって素直すぎるだろうが)
セツナは内心悪態をつきながら、女性陣の話し合いから耳を背けた。彼女たちは、隙があればなにごとかを議論したり、討論している。その議題は、セツナのことであることも決して少なくはなく、あまり耳を傾けない方がいい気がしてならなかったし、実際、そうだろう。彼女たちの討論に首を突っ込んでろくな目に遭わなかったためしがない。
「うふふ……愉快な方々ですね」
「ああ……まったく、いつも愉快で退屈しないよ」
それは本心以外のなにものではなく、セツナは、ラミューリンに笑顔を返した。すると、ラミューリンは意外そうな表情をしたものだから、彼女がなにを想ってそのようなことをいってきたのかがわからなくなった。からかってきたのか、それとも、セツナの反応が想定外のものだったのか。いずれにせよ、セツナは、ラミューリンという女性がどういった性格の人物なのか、まったく把握していないことを思い出した。
ラミューリンが、戦術の要となるのだ。
彼女のことを少しくらいは知っておく必要があるだろう。
そのことでファリアたちの怒りを買うことはあるまい。あるまいが、細心の注意を払うべきなのは間違いない。ラミューリンのことでファリアたちの不興を買うようなことがあれば、つぎの戦いそのものに問題が生じることになりかねない。
ファリアたちを信頼していないわけではない。
が、彼女たちもまた、人間なのだ。そして人間は感情の生き物だ。そうである以上、感情や精神状態に言動が左右されることは往々にしてあることは否定できない。ファリアやミリュウのような戦闘の玄人であっても、それは同じだ。
戦闘に私情、感情を持ち込むなどあるべきことではない。
それは、だれもが理解しているだろう。
しかし、セツナとてそうだが、必ずしもそういうわけにはいかなかった。
むしろ、感情が、心が、体を突き動かし、戦いを燃え上がらせることも少なくない。怒りが力の源となることも少なくなかった。
感情の制御、精神の制御、心の制御。
自身の制御。
武装召喚師たちは、それを学ぶ。
武装召喚術習得の課程でだ。
でなければ、召喚武装を使いこなすなど困難であり、武装召喚術の使い手とはなり得ない。
ファリアとミリュウは、極めて優秀な武装召喚師であり、その精神制御は、ほかと比べるべくもない。しかし、その一方で、彼女たちほど感情豊かな人物もそうはいないだろう。ファリアは普段冷静を装っているが、実際には感情的なほうだし、ミリュウはいわずもがなだ。そんな彼女たちの精神状態を悪化させるようなことだけはするべきではないし、したくもない。
ラミューリンとの交流がそのようなことになるのであれば、いっそ、一切関わりを持たなくてもいい、と想うほどだ。
セツナにとっては、ファリアたちのほうが余程大事だった。
ノアブールから統一帝国軍が撤退すると、港に変化が起きた。
サグマウがタズマウとともに港に姿を見せたのだ。ノアブールの船も魔動船も撃沈されたいま、ノアブール港には、小舟の類しかなく、タズマウの巨体は、異様なほど目立った。目立つのは、サグマウの姿もだが。
武装召喚師からの報せでサグマウの寄港を知ったセツナは、すぐさま港に向かい、サグマウとの再会を喜んだ。彼が港に姿を見せたのは、もちろん、ニーウェハインたちがノアブールを退去したからだ。
「ノアブールは放棄せざるを得ませんか」
白き海獣の甲冑を纏ったかのような男は、ノアブールを包み込む重苦しい静寂の中で目を細めた。
「あれの上陸を食い止めることができるのなら、ここを本陣としても良かったんですが」
「セツナ殿でも難しい、と」
「さすがに大帝国軍の全戦力を相手にするのは、無謀が過ぎるというものですよ」
マユリ神以上の力を持つと目されている神を相手に戦うことすら、無謀かもしれないというのにだ。神を含めた全戦力を相手にする可能性を考慮するとなれば、さすがのセツナも、打って出ることはできない。勝算がわずかでもあるといのであれば、それにかけるのもやぶさかではないかもしれないが、敗色濃厚な賭けにはでられない。そのために死ぬのがセツナだけならばまだしも、ファリアたちを失うなど、言語道断も甚だしい。
「では、どうするおつもりなのです? なにか、策がおありのようですが」
サグマウの金色に輝く目を見つめながら、セツナは、決してとっておきとはいえない対抗策を打ち明けた。