第二千四百九十二話 鍵を握るもの(一)
状況は、逼迫している。
統一帝国にとっては存亡の危機といってもよく、南ザイオン大陸史上最大の窮地といってもよかった。
「たった三年にも満たない歴史だけどさ」
「しかし、これ以上の窮地もそうあるものでもないだろう」
ランスロット=ガーランドが肩を竦めたのは、ミーティア・アルマァル=ラナシエラの軽口があまりにも他人行儀だったからだろう。この窮地は、彼ら三武卿にとっても抜き差しならないものであるはずだった。だれにとっても、そうだ。
北より、百万の軍勢が迫りつつある。
マユリ神の見立てによれば、後数日もすればノアブールから肉眼で捉えられる距離にまで接近するとのことだ。海上移動城塞の推進速度が確認したとき以上早くならないという前提ではあるが、おそらくは、あれが限界だろう、と女神は推察している。大帝国の神が作り出したのだろう海上移動城塞は、まず間違いなく、方舟のように神の力を動力としているはずであり、だからこそ、海中だろうと海上だろうとなんの問題もなく移動することができているのだ。しかし、神とはいえ、巨大な質量のものを動かすには、相応の力が必要であり、あれほど巨大な城塞を動かすとなれば、ある程度の速度を出すだけでもとてつもない力を用いなければならず、方舟のような高速移動は不可能だと断じていた。
セツナたちは、マユリ神の考えを支持し、この度の軍議においても進言している。
軍議。
ノアブールに集った統一帝国首脳陣とセツナたちを交えた軍議は、統一帝国が直面した存亡の危機をどう乗り越えるべきかについて、激論を交わす場とは、ならなかった。そも、議論の余地もない。敵軍との交渉の余地がないからこそ先制攻撃を仕掛けたのだ。いまさら、交渉のための使者を送り込んだところで意味はなく、それをするのであれば最初からそうするべきだった。だが、交渉の使者を送り込んだところでどうにもならないことは、セツナたちが先制攻撃を仕掛ける前からわかりきったことだったし、攻撃を仕掛け、大帝国の実情が白日の下に曝されたことで、なおさら、徹底抗戦以外の道がないことも確定的なものとなった。
南ザイオン大帝国は、神に支配されている。
それは、大船団から放たれた神鳥の群れや、海上移動城塞を見れば、火を見るよりも明らかだ。神によって支配された、神の国。それが南ザイオン帝国であり、皇帝たるマリシアハインは、ただのお飾りとして、帝国の象徴として利用されるために推戴されているのか、あるいは旧帝国の先帝のように神の依り代となっているかのいずれかだ。
大帝国が南大陸掌握に乗り出したのは、マリシアハインの望みなどではなく、神の思惑だろう。神は、旧帝国領を欲している。それがなにを意味するのかを考えたとき、脳裏を過ぎるのは、最悪の可能性だ。
二大神の一柱、ナリアが、大帝国の支配者として君臨しているという可能性。
それこそ、もっとも恐るべき事態なのだが、その可能性は決して低くはなかった。なぜならば、ヴァシュタラより分化した多くの神々よりも大きく上回る力を持ったマユリ神以上の力を持った神が、大帝国を支配していることが判明しているからだ。ウルクを支配していた神属由来の力がその証明だ。
それほどの力を持った神など、そういるものではない、と、マユリ神はいう。
少なくとも、至高神ヴァシュタラへと合一しなければならなかった有象無象の神々では、マユリ神の力を越えることは困難だというのだ。
『可能性がないとはいわない。ヴァシュタラから分化した神々が再びなんらかの理由で合一したのであれば、わたしたちを上回ることも不可能ではないのだからな』
そして、そういった神がネア・ガンディアより離れている可能性も、必ずしも皆無とはいえない、ということだ。
とはいえ、一番大きな可能性は、大神ナリアだという。
旧ザイオン帝国の建国に力添えし、五百年来、帝国の秩序を影ながら支えてきたのがナリア神ならば、“大破壊”によってばらばらになった帝国領土の再統一に拘るように動いたとしてもおかしくはないというのもまた、ナリアである可能性を後押ししていた。
そして、その可能性こそ、窮地に拍車をかけている。
だからといって、結論に変わりはない。徹底抗戦以外の道はないのだ。
たとえば、大帝国が統一帝国の主権を認めてくれるというのであれば、戦わずして降るという選択肢も出てくる。それによって帝国臣民の安全な生活と秩序が冒されないという確証があるのであれば、確約してくれるのであれば、それもいいかもしれない。ニーウェハインが皇帝として立ったのは、ミズガリスが頂点に立つことによる自分やその周囲のひとびとの安全が脅かされる可能性を危惧してのことだ。安全が保証されるのであれば、大帝国に併呑されることも視野に入れるだろう。
特に大帝国の皇帝はマリシアハインだ。慈悲深く、だれに対しても優しさを忘れないマリシアが頂点に立ち、帝国を支配するというのであれば、ニーウェハインやニーナが迫害されることもない。
もっともそれは、マリシアハインが、かつてのマリシア=ザイオンのままであり、彼女が皇帝としての権力を存分に発揮できるのであれば、の話だ。
つまり、そういった考えは、大帝国が神の国であり、神によってほぼ完全に掌握されているということが判明したいま、無意味となった。
マリシアハインは確かに大帝国の皇帝ではあるのだろうが、彼女の意思は、きっと、大帝国の方針になんら影響していない。多少なりとも影響しているのであれば、南大陸への侵攻など企てないだろうし、そもそも、北大陸において北ザイオン帝国と協調関係を結ぶことに尽力しただろう。それができなかったから、北帝国を攻撃し、滅ぼしたわけではないことは、ウルクに記録された情報からわかっている。
南帝国は、ウルクを主力として引き起こした大戦争の末、北帝国の降伏宣言を引き出したが、聞き入れず、徹底的に攻撃を加え、その首都を灰燼と帰したという。
そこに往年の慈悲深き皇女の意思は見受けられない。
大帝国の意思を決定しているのはやはり、大帝国を影から支配する神以外のなにものでもあるまい。
「だからこそ、どうするべきか考えているのだろう」
シャルロット=モルガーナが同僚たちの様子に対し、呆れたようにいった。
ノアブール基地の作戦会議室には、統一帝国の首脳陣が顔を揃えている。皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンを筆頭に、三武卿、大総督ニーナ・アルグ=ザイオン、各方面大戦団総督、統一帝国陸海軍の将たち。いずれも立ち上げたばかりの統一帝国が直面した最悪の事態に難しい表情をしていた。ミズガリス=ザイオンの姿もあったし、ラミューリン=ヴィノセアの姿もあった。
旧帝国時代においては天智公として名を馳せ、東帝国時代には国政の一切を取り仕切ったミズガリスはともかくとして、一介の武装召喚師に過ぎないラミューリン=ヴィノセアの存在は、場違いに想われがちだが、彼女の同席はミズガリスのたっての希望であり、ニーウェハインに許可されてここにいる。その際、ミズガリスはラミューリンの召喚武装・戦神盤の有用性を説いたのだが、それについてはセツナも後押しした。戦神盤は、使い方次第では、戦況を覆しうる強力な召喚武装だ。その召喚者たるラミューリンには、軍議に参加し、戦術を理解してもらっておくに越したことはない。
ラミューリンを軍議に参加させるというミズガリスの提案は、白眉といってもいいものだった。
なぜならば、大帝国を迎え撃つための戦いにおける戦術は、ラミューリンと戦神盤を中心に組み上げられていったからだ。