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第二千四百九十話 海の王子(一)

「なんでですか」

 セツナは、リグフォードの面影もほとんど残っていない異形の貌を見つめながら、血反吐を吐くような想いで問うた。

「どうして、そんな風に笑っていられるんですか」

 死んでしまったというのに、なぜ、そんな風にいられるのか。命を落としてしまったというのに、どうして、笑顔でいられる。なにもかもを失ったというのに、むしろそのことを嬉しそうに、誇らしげに語れるのはどういう理由なのか。

「死んでしまったんですよ」

「あなたは……」

 リグフォードは、わずかに目を伏せた。困ったように。あるいは、駄々を捏ねる子供をあやすような柔らかさで。

「セツナ殿、あなたは余程お優しい方のようだ」

「優しい? 俺が?」

 そんなわけがあるか、と、彼は叫びたかった。優しかったなら、自分がほんの少しでも彼らを慮ることができていたならば、彼らが、メリッサ・ノア号の船員たちが命を落とすことはなかったのではないか。少なくとも、ネア・ガンディア軍の方舟と遭遇したとしても、船員の命を守ることはできたはずだ。船員だけならば、ウルクナクト号に乗り移らせることができた。そして、はたと気づく。なぜ、最初からそうしなかったのか、と。

 メリッサ・ノア号の乗船員の数など、たかが知れている。マユリ神の力を用いれば、最大一万余名を乗船させることも不可能ではないウルクナクト号だ。メリッサ・ノア号の全乗船員を運ぶことくらい、余裕だったのだ。いや、わかっている。海軍大将たるリグフォードがメリッサ・ノア号を手放すような選択などするはずもなければ、あの場に放置するという選択肢もなかったのだ。リグフォードを始めとする帝国海軍将兵が帝国の重要機密ともいうべき魔動船を手放すはずもない。

 そんなことはわかっている。

「あなたは、わたしたちが死んだことに責任を感じているのでしょう。まったくもってあなたのせいではないし、あなたが間違ったわけでも、過ちを犯したわけでもないというのに」

「でも」

「でも? でも、なんです? あのとき、帝国本土での再会を約束したあのとき、あなたがわたしたちにできたことなどなにもなかった。わたしたちは、メリッサ・ノア号とともに陛下の元へ帰還しなければならなかった。西ザイオン帝国海軍将兵の誇りに懸けて。陛下より預かった船を放っておくことなどできるわけもない。ですから、あのとき、あなたはわたしたちにできる最大限のことをしたといっていい」

 リグフォードは、柔らかなまなざしをこちらに向けていた。セツナの心を宥めるように、慈しむように。

「あなたは、その船に乗り、帝国本土へ向かってくださったのでしょう?」

「……ええ。リグフォード将軍。あなたと、大総督閣下と結んだ約束は果たしました」

「ほう……!」

 彼は、そればかりは予想だにしなかったようだ。

「それはつまり、東の打倒に成功した、と考えてよろしいのですね?」

「ええ」

 セツナは、務めて笑顔を作って、肯定した。リグフォードにとって、これほど喜ばしい報告はあるまい。その詳細を知らせるのに暗い顔ではよくないだろうという配慮くらいは、セツナにもできた。内心、想うところは色々とあるが、彼との約束を果たしたという事実だけは、胸を張って伝えるべきだろう。

 セツナたちの活躍もあり、東帝国は敗れ、西帝国が勝利したのだ。僭称帝ミズガリスの野望は潰え去り、南ザイオン大陸は、皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンの名の下に統一され、統一帝国が樹立されたということを伝えると、リグフォードは相好を崩した。白き異形の貌の中に歓喜が満ち、彼がどれほどその報告を待ち望んでいたのかがわかるというものだろう。東帝国の打倒と、ニーウェハインによる大陸統一は、彼にとっての念願であり、悲願だったのだ。

 それがようやく叶った。

「つまり、わたしたちの死は無駄ではなかった、というわけです」

「どうしてそうなるんですか」

「それはそうでしょう。わたしたちがセツナ殿や皆様方の足を引っ張るようなことをしなかったからこそ、速やかな東帝国打倒がなった。そのための犠牲と考えれば、代価と考えれば、安いものだ」

 リグフォードは、誇らしげに目を細めたが、セツナには、納得できるはずもなかった。いいたいことはわかる。なにごとにも犠牲はつきものだし、なんの犠牲も払わず勝利するなどという都合のいい話もあるまい。なにかしら、代価は必要だ。

 どのようなことにだって、だ。

 人間がただ生きていくことにさえ、様々な犠牲が必要なのだ。戦いに勝利するということとは、ただ生きていく以上のことであり、そのために払うべき犠牲は大きくならざるを得ない。

 セツナ一行が参戦して以降の東西紛争における犠牲というのは、極めて少ない。それこそ、通常では考えられないほどの戦死者の数だろう。史上類を見ないほどの犠牲者の少なさは、後の世で疑問を持たれるかもしれない。それほどまでの大勝利を重ね、帝都ザイアスは、結果的に無血開城となった。そちらは無論、結果論に過ぎないが、いずれにせよ、犠牲者が少なかったのは事実として記録されている。

 そういうことを踏まえたとしても、リグフォードたちの死を納得できるかといえば、首を横に振らざるを得ない。

「セツナ殿だけではなく、皆様方もですが、なにも気に病むことはありません。我々の死は、西帝国勝利のための必要な犠牲だった、と、そうお考えください」

「リグフォード様……」

「そんな風に割り切れたら楽だけど」

「割り切りましょう。もう、済んだことです。そして、わたしたちは新たな力を得た。この力でもって、陛下に助勢する許しも得られました。なにもいうことはありません。そうでしょう?」

 リグフォードは高らかに笑ったが、セツナは、彼のいうように割り切れなかった。それは、リグフォードがセツナの意思とは無関係のところで命を落としたという事実があるからだ。

 たとえば、だ。みずからの意思で命を奪ったのであれば、話は違ってくるだろう。セツナはこれまで、数え切れないほどの命を奪ってきている。何千、何万もの命を理不尽なまでの圧倒的な力でねじ伏せ、勝利を積み上げてきた。そのことに対しては、割り切って考えられる。それは命じられた上で、自分の意思によってやってきたことだからだ。納得できる。だが、自分の意思とは関係のないところで命を落としたものがいて、もしかしたら救えたかもしれない、と想うと、途端に心が重くなる。

 リグフォードの言いたいこともわかるし、割り切るべきだということも理解している。

 それでも、と、彼は考えてしまうのだ。

「そういえば、まだ名乗っていませんでしたな」

 彼は、大きな手をみずからの胸に当てた。白い甲冑のような外殻に覆われた肉体は、人間の頃のリグフォードとは似ても似つかない。その変わり果てた姿には、やはり、新たに与えられた名前があるようだった。ネア・ガンディアの獅徒たちが生前とは別の名前を名乗っているように、だ。

 おそらく、獅徒たちもみずからを転生させたものによって名を与えられたに違いない。

「わたしの名は、サグマウ。マウアウ様より与えられた名前ですが、海の王子という意味があるそうで、おかしいでしょう」

「はい?」

「王子などと、この老人につける名前ではありますまい」

「はあ……」

 レムが返答に困ったように気の抜けた言葉を発した。彼の陽気さについていけないといった様子だったが、リグフォードことサグマウは、気にもしていないようだ。

「そしてこれはタズマウ。海の揺り籠という意味だそうです。まあ、見てもわからないでしょうが、メリッサ・ノア号の残骸を元に再構築した乗り物ですな」

 タズマウと命名されたらしい白い巨大物体は、彼の言葉に応じるようにその異形の巨躯を海上に浮かび上がらせた。

 白鯨を想起させる流線型の巨体は、まるで生きているかのようだった


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