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第二千四百八十九話 マウアウの使徒

 ウルクナクト号のノアブールへの帰還は、極めて迅速なものであり、途中で邪魔が入ることはなかった。そしてその道中、海上を警戒中の魔動船などにも帰港を促している。魔動船程度でどうにかできる相手ではないことは明らかだったし、たとえ魔動船であの城に乗り込んだところで返り討ちに遭うのがわかりきっている。海上からの攻撃も、通用しまい。

 あの海に浮かぶ城は、ただの城ではなかった。

 マユリ神によれば、神の力によって建造されたものであり、生半可な攻撃では城壁を破壊することすらできないだろうとのことだった。大船団を織り成す船の大半を撃沈したセツナたちの猛攻すら耐え凌ぐ可能性があるという。マユリ神があの海域から離脱することに専念したのも、わかるというものだ。セツナたちが消耗しきったあの状況では、手の打ちようがなかったのだ。

 それはマウアウの使徒も同じだった。彼は海上に出現した城へ攻撃することもなく、ウルクナクト号を追走し、ノアブール近海へと至った。

 セツナとレムは、マウアウ神のことはある程度知っている。マウアウ神とは対話により相互理解を深めることに成功したと信じているし、あの女神がセツナの敵に回るようなことはないと想っているのだが、だからといって、その使徒がセツナの味方になのかどうかはいまだ不明だった。大船団への攻撃に協力してくれたのかどうかすら、判然としていない。

 まずは、彼が本当はなにものなのか、知る必要があった。

 そのため、セツナはマユリ神にいって船を海上に降ろし、マウアウの使徒との接触を試みた。このままではノアブールまでついてくるだろうと想ったからだ。ノアブールには、ニーウェハインたちがいる。マウアウ神とは無縁の彼らに対し、マウアウ神の使徒がなにをするかわかったものではない。故に、先に接触し、害意の有無を確かめておく必要があった。

「話、聞いてくれるかしら?」

「どうかな」

「確信もないのに接触を試みるのはどうなの」

 ミリュウが呆れたようにいってくるので、セツナは笑い返した。

「彼が本当にマウアウ様の使徒なら、対話に応じてくれるさ」

 そうでなければ、一戦交える可能性もあるが、そうならないと信じていた。使徒からは、マウアウ神の気配を多分に感じるのだ。無関係では、あるまい。

「どうかしら」

「ミリュウ様、心配無用にございます。マウアウ様は、お優しいお方でございました」

「レムがそういうんなら……まあ」

「どういうこったよ」

「セツナって美人に弱いし、マウアウって神様、綺麗だっていうし」

「はあ」

 セツナがミリュウの余計な心配に嘆息していると、マウアウ神の使徒がウルクナクト号の至近距離にまで近づいてきて、動きを止めた。そのときになって、セツナはようやく、使徒が人間とは比べものにならないくらいの巨躯であることを把握した。使徒の身長は、セツナの身の丈の二倍ほどはあるだろう。その巨躯は全身が白化しており、鱗で編まれた甲冑のようなものを纏っているかのようだった。長い髪がその上から全身に絡みついていた。全体としては、人間に似ている。五体を持ち、二本の足で立っている。顔の作りも人間にそっくりだ。目がふたつに、鼻があり、口がある。どこか見覚えがあるような気がしたが、気のせいだろう。使徒に知り合いはいない。

 手には、巨大な銛のような武器が握られている。その彼が移動用に利用しているのは、同じく白化した物体だ。物体というよりは、生き物なのだろう。全体としては流線型を描く巨大なそれは、どこか鯨を想像させるものがあった。もしかすると、神化した魚なのかもしれない。だとすれば、神魚というべきなのだろうか。

 と、使徒が銛を手放すと、銛が神魚に取り込まれるようにして同化していった。神魚は、使徒の一部なのかもしれないし、その逆かもしれない。いずれにせよ、どちらもこの世の生物とは想えない存在であることは確かだ。

「敵と見間違われずに済んで良かった」

 使徒は、開口一番、そんなことをいって笑った。

「は……?」

「え……?」

 セツナは、その声が妙に聞き知ったものであることを瞬時に理解して、レムと顔を見合わせた。そして、凄まじい衝撃が怒濤の如く押し寄せてくる。そんなこと、あるはずがない。あっていいはずがない。しかし、それ以外には考えられない。彼以外には。なぜならば、それは彼の声だったからだ。いまや懐かしい、彼の声。

「いやはや、我が神の加護のおかげですな」

「リグフォード将軍……?」

「わたしの声を、覚えていてくださるとは、光栄の至りですな。セツナ殿」

 彼は、やはり聞き知った声で、朗らかにいった。そこにはなんの害意もなければ悪意もない。むしろ、善意だけだ。セツナたちへの善意だけが、そこにある。その事実が眩しいくらいだった。眩しいくらいに、鮮烈に衝撃をもたらす。

「そんな……」

「そんなこと……」

 セツナとレムは、異口同音につぶやき、使徒の異形を凝視した。またしても、言葉を失った。リグフォード・ゼル=ヴァンダライズ。旧西帝国海軍大将であり、統一帝国においても海軍大将の地位は変わっていない。当然だろう。彼がメリッサ・ノア号によってセツナたちをリョハンに送り届けるという活躍がなければ、西帝国はどうなっていたか。彼の功績は計り知れないものとして、ニーウェハインら統一帝国首脳陣に高く評価され、帰国次第、表彰されるだろうという話だった。

 だというのに、だ。

 セツナは、いまや人間ですらなくなってしまったリグフォードの姿をまじまじと見つめながら、ただただ呆然としていた。

 衝撃を受けたのは、セツナたちではない。ファリアもミリュウもエリナ、ダルクスさえ、愕然としたはずだ。

「リグフォード将軍って……」

「嘘でしょ……?」

 無論、ファリアたちにとって、リグフォード将軍という人物は、セツナとレムをヴァシュタリア大陸まで送り届けてくれた人物という認識しかあるまいが。だとしても、自分たちにも関わりのある人物が、神の使徒と成り果てたとなれば、衝撃を受けるのは当然のことだ。

 彼は、使徒となった。

 神人と違いがあるとすれば、そこに自我があるかどうかであり、それが最大にして唯一の違いといっていいのだろう。神人、神獣、神鳥――白化症に全身を冒され、怪物へと変容したものは、絶大な生命力と力を得るが、代わりに自我を失う。神や使徒にでも使役されない限り、ただ破壊と殺戮を行うだけの暴力装置と成り果てる。

 その点、使徒は、違った。自我を持ち、神人や神獣を使役する力を神から与えられているのだ。

 つまり、リグフォードは、神に選ばれたということなのか。

 海神マウアウに。

「どうして……そんな……」

 セツナがわけもわからず言葉を浮かべれば、彼は、ただ朗らかに告げてくるのだ。

「なにも悲しむことはありません。わたしは一度死に、マウアウ様によって救われた。それだけでも喜ぶべきでしょう」

「死んだ……?」

「どういうことでございます?」

 セツナは、リグフォードの変わり果てた顔を見つめながら、老将としての彼の名残を探した。目元に、わずかに人間時代の彼の表情が残っている、というのは、思い過ごしだろうか。

「セツナ殿、レム殿と別れた後のことです。我々はメリッサ・ノア号に乗り、本国への帰途につきました。途中までは順調そのものだった」

 だが、順風満帆と想われた船の旅は、突如として巻き起こった災禍に飲まれた、という。

「空飛ぶ船が現れ、メリッサ・ノア号を攻撃してきたのです。我々には、抵抗のしようがなかった。無論、武装召喚師たちに船を護るよう指示しましたが、間に合わなかった。船は轟沈し、我々は海に投げ出された。そして、命を落としたのです」

「ネア・ガンディア……か」

 セツナは、歯噛みした。あのとき、もし、リグフォードたちを乗せたメリッサ・ノア号と行動をともにしていれば、と、愚にも付かないことを考える。その場合はその場合で、ザルワーン島やログナー島が惨事に見舞われていただろうし、南大陸も東帝国優勢のまま、さらに悪化していただろう。そしてそれは、リグフォードの望むことではない。

「リグフォード様……」

「わたしも、あの船に乗っていた皆も、ひとり残らず命を落としました。しかし、後悔はなかった。セツナ殿。あなたがいたからだ」

「俺が……?」

「そう。あなたがニーウェハイン陛下を助けてくださると約束し、その旅立ちを見届けられた。あなたならば、必ずやニーウェハイン陛下を窮状より救ってくれるに違いない。そう信じていた。だから、なにも後悔はなかった」

 そして、彼は照れくさそうに笑った。

「――とはいえ、マウアウ様が差し伸べてくださった手を取らずにはいられなかったのも事実。要するに質が悪いのでしょうな。結局は、ニーウェハイン陛下のお力になりたいという想いが勝った」

 だから彼は、マウアウ神の使徒として生まれ変わった。

 メリッサ・ノア号の船員たちとともに。


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