表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
249/3726

第二百四十八話 矛、ふたつ

「セツナ様、よくぞご無事で」

 ひとの気配を頼って森の外に出ると、エイン親衛隊のうちのひとりが百名ほどの兵士とともに待機してくれていた。騎馬は部隊長の彼女だけで、ほかは歩兵だった。返り血を浴びているものもいる。森を抜け出してきたザルワーン兵を殺したのだろう。負傷したものがいないところを見る限り、戦闘というものすら起こらなかったのかもしれない。ミリュウの命令で抜け出すことになった兵士たちは、血相を変えて駆け出していた。冷静な思考など失われていたに違いない。それに、ログナー軍人は精強という話もある。取り乱した敵兵を打ち取ることくらい、簡単だったのだ。

「なんとか生き延びたよ」

 月光の中に出ると、妙に眩しく感じた。夜だというのに、光が目に痛い。刺さるようだ。いつも以上に冴え渡る感覚は、セツナにも制御しにくいものだった。背に抱えているものの重量はほとんど感じないのは、手にした二本の矛のおかげに違いない。意識が肥大し、五感が必要以上に研ぎ澄まされている。視覚が、わずかな光を莫大なものとして知覚し、聴覚は、兵士たちの鼓動さえも聞き取っている。嗅覚が血の臭いを嗅ぎ取り、味覚さえも刺激する。痛覚は麻痺してしまっているのか、痛みは一切感じなかった。

 セツナはいま、黒き矛を二本、右手の指に挟んでいる。左手は、背に負ったミリュウを支えるために使わなくてはならなかった。ミリュウが生み出した複製の黒き矛は、彼女が気を失っても消えなかった。おそらく、召喚武装の力が働いているからだろう。森の中に鏡を発見したが、両手が塞がれていて、持ち運ぶこともできなかった。意識を取り戻したミリュウが送還すればいいだけのことだ。悪用されようがない。

 黒き矛の複製だけは、その場に放置しておくことはできなかった。なにも知らぬ人間がこの焼けた森に入り込んで拾ってしまわないとも限らない。ミリュウが意識を失っている間に拾われれば、どうなるものかわかったものではない。鏡は使い方がわかるまで苦労するだろうが、矛の使い方など、ひとつくらいしかないのだ。

 セツナが恐れたのは、拾われ、使われることだけではない。圧倒的な力に酔い痴れ、理不尽な殺戮を行うかもしれないということだ。ミリュウでさえ、黒き矛の力に酔っている節があった。彼女のような武装召喚師でも、だ。普通の人間が拾えば、どうなるか。

(俺より上手く使えたりしてな)

 胸中で浮かべた自虐に苦笑を浮かべると、部隊長の視線に気づいた。彼女は、セツナが背負った女を見ている。

「そちらは?」

「ザルワーンの武装召喚師だよ。ミリュウ=リバイエンといったかな」

「……捕虜にするということですね」

「そうなるかな」

 セツナは曖昧に頷くと、近づいてきた兵士に彼女の身柄を預けた。

 セツナが彼女を生かしたのは、偶然にすぎなかった。彼は、男であれ、女であれ、敵ならば殺す覚悟で戦ってきている。実際、女性兵と戦ったことはなかったが、剣を交えるのなら容赦なく殺すだろう。それが自分の役割だということを痛いほど知っている。少年兵であれ、老人であれ、若い女であれ、敵は殺す。

 しかし、気を失った相手を殺す必要性は感じられなかった。しかも、こちらは生きていて、彼女を制圧したのも同じ状態だ。彼女が意識を取り戻し、戦いを挑んできたのなら問答無用で殺したのだが、ミリュウは眠ったままだ。

「ミリュウ=リバイエンのことは任せた。手足はしっかりと縛っておくんだ。口も使えないようにしておいたほうがいい。ミリュウは武装召喚師だ」

「はい。お任せください。セツナ様はどうなされるおつもりなんですか?」

 エイン親衛隊の丁寧な言葉遣いにそこはかとない違和感を覚えながら、セツナは、西に向いた。黒き矛の複製物を左手で握ると、指の間に挟んでいた本物もしっかりと握る。限界を知らないかのように肥大する意識に辟易するものの、そのおかげで彼はこちらに向かってくる意志を感じ取っていた。強烈な敵意だ。

「敵が来る」

「え?」

「敵の相手は俺がする。あなたたちは本隊との合流を急いでくれ。街道を南に大きく迂回するんだ。早く!」

「は、はい!」

 セツナの大声が恐ろしかったのか、エイン親衛隊の部隊長は、顔面を蒼白にして馬主を巡らせた。ミリュウは、彼女の馬の後ろに括りつけられている。手足はしっかりと縛られ、猿轡もされていた。それでも目覚めないところを見る限り、彼女が覚醒するのは当分先のことだろう。戦闘が終わっても目覚めないかもしれない。

 部隊長は兵士たちに急かされるように馬を走らせた。兵士たちも大急ぎで続く。セツナのいった通り、街道から南へと逸れていく。

 彼女たちの慌ただしい移動に、セツナは憮然とした。

「そんなに怖かったか?」

 自問するが、自分の表情などわかるはずもない。黒き矛の二刀流でも、自分の顔を見ることはできなかった。目は外に向いているのだ。鏡でもない限り、自分を見つめなおすことなどできない。

 などと考えている場合でもない。

 セツナは、遥か前方に光を見ていた。西から迫り来るのは、光球だ。拳大ほどの光の塊であり、すさまじい速度でこちらに向かってきている。敵の武装召喚師のうち、槍を持っていた方だ。セツナが敵陣を強襲したとき、光球から人体へと変化したのが槍を手にした男だった。召喚武装の能力に違いない。光球化することで、高速移動も可能なのだろう。

 黒き矛の本物と偽物を構える。普通、二刀流というのは実用的ではないという。鉄の武器を片手で扱うには並外れた膂力が必要であり、それを両手で自在に操るなど夢のまた夢というものらしい。しかし、セツナが手にしているのは召喚武装だ。使用者の身体能力を強化するという副作用を持つ、魔法の武器だ。ひとつの黒き矛を両手で握るよりも、二本の黒き矛をそれぞれの手で握ったほうが軽くなるという不思議な感覚を、セツナは体験していた。

 高速で飛来する光球が矛の間合いに入るよりも早く、彼は矛を振るった。左の矛で薙ぎ払い、右の矛を振り下ろす。猛烈な剣圧が発生した。視界を歪めるほどの衝撃波が光球へと殺到する。ミリュウの剣圧よりも遥かに凶悪な威力だった。

 街道の地面を掘削するかのように突き進み、砂埃がセツナの視界を塗り潰す。だが、光球は衝撃波をすり抜け、セツナの眼前まで迫ってくる。セツナは、二本の矛を振り回したが、すべて空を切り、衝撃波となって飛んでいっただけだ。

 光球は、セツナの肉体をも通過したのだ。

(俺が目当てじゃない?)

 セツナは、光球が森の中へ入っていくのを感覚だけで把握すると、反転した。地を蹴り、森の中へ飛び込む。森の闇は、もはや障害にすらならない。わずかな星明かりすら、陽光のように感じ取れる。なにもかもがはっきりと見えていた。だからこそ、鏡の在処も把握できたのだ。

「ミリュウ! どこだ!」

叫び声に、男の目的を知る。

 彼は、ミリュウ=リバイエンに加勢するためにここまで飛んできたのだ。彼の戦いは終わったのだろうか。ザルワーン軍が勝ったのか。

(いや、それはない)

 セツナは、黒き矛二刀流による超感覚によって、戦闘がまだ続いていることも察知していた。遙か遠方の戦場の情景すら、脳裏に描き出せる。克明に想像できるくらい、さまざまな情報が脳内に飛び込んでくるのだ。軍靴の音、刀槍のぶつかり合う音、咲き乱れる火花、掛け声、悲鳴、怒号が轟き、矢が降り注ぐ。戦場はふたつあり、ひとつはガンディアが優勢、もうひとつは拮抗しているようだった。アスタルの声が聞こえる。ドルカの囁きすら、耳朶に届く。エインが敵軍の後背を衝こうとしているのがわかった。息も絶え絶えといった様子のルウファが天から降りてきた。すぐにでも助けに行ってあげたいが、それもできない。もっとも、彼の戦闘自体は勝利で終わったようだ。降り立ったルウファの近くに無残な死体がある。ルウファは、その死体を痛ましそうに見下ろしている。余程凄惨な戦いがあったのだろう。

(ファリアは?)

 意識を研ぎ澄ませると、アスタル隊と合流するために歩いているファリアの姿が脳裏に浮かんだ。苛烈な戦いがあったのだろう。満身創痍といった有り様で、髪も肌も焼け焦げていた。痛々しい姿だったし、彼女の足取りも重そうだ。オーロラストーム自体、破壊されている。特徴的な結晶体の大部分がなくなっていた。負けた、というわけでもなさそうなのだが。

 セツナは、彼女の様子に胸を痛めた。ファリアだって武装召喚師だ。少なくとも、セツナよりも鍛え上げられた戦士であり、そんな彼女が傷だらけになっているからといって同情するのは、彼女に対して失礼に当たるのだろう。しかし、溢れ出る感情は、理性では抑えきれないものだ。セツナの目にはいつの間にか涙さえ浮かんでいる。それくらい痛々しい。なんとかしてあげたいと思うのだが、セツナにできることはない。涙を拭い、無事を祈ることしかできないのだ。

 そんなファリアと戦ったのが、いま、森の中でミリュウを捜索している男だろう。もうひとりは、ルウファとの戦いの末に死んだようなのだ。確認できた敵武装召喚師のうち、生き残っているのは、ミリュウとその男だけだ。

 ファリアが生きている以上、男が勝ったということもなさそうだ。男がファリアを生かしておく道理はない。敵なのだ。ファリアは確かに満身創痍だが、戦える状態ではあった。セツナがミリュウを殺さなかったのとはわけが違う。

 ふたりの間でなにがあったのかはわからないが、なんにせよ、セツナは槍の男を見逃すわけにもいかなかった。彼もまた、生きている。戦える状態にある。召喚武装が使えるということは、そういうことだ。

 戦意のある敵を生かしておく必要はない。

 セツナが森の奥に進むと、男が立ち尽くしていた。光球化を解いたのだろう。そして、ミリュウが見つからず、途方に暮れている。足音に、こちらを向く。

 彼は、一瞬でなにかを悟ったようだった。

「黒き矛が二本……そういうことか」

 男は白髪のせいで年老いて見えるのだが、声や肉体は若かった。しかし、顔は青ざめ、苦痛に歪んでいる。よく見ると、彼もまた満身創痍だということがわかる。全身、ファリアと同じように焼け焦げている。その上、腹部に傷口があるようだ。致命傷なのかはわからないが、軽傷などではあるまい。

「どういうことだよ」

「ミリュウと交戦し、君が勝った。そういうことだろう。その二本の矛が証拠だ。ひとつは幻竜卿げんりゅうきょうが生み出した複製物だな?」

「幻竜鏡だかなんだか知らないが、そうだ」

 セツナは、肯定しながら、脳裏にみずからの尾を喰らう蛇に縁取られた鏡を思い浮かべた。幻像を生み出し、さらに召喚武装の複製を作り出す召喚武装。使い方次第では強力極まりない武器だというのは、セツナは身を以て思い知った。ミリュウに殺されかけたのだ。彼女が突然気を失ったりしなければ、セツナは間違いなく殺されていただろう。そして、彼女は本物の黒き矛を手に入れ、いまのセツナ以上の力を以って西進軍を殲滅したかもしれない。

 考えるだけでぞっとしない。

「ミリュウは死んだか」

 男が、苦しそうにうめいた。彼は、彼女を探してここまできたのだ。仲間という以上に大切に思っているのかもしれない。死んだと思い込むのもわからなくはない。武装召喚師が死んでも、召喚武装はこの世に残るからだ。幻竜鏡の力によって生み出された複製物があるからといって、召喚者たるミリュウが生きている保証にはならないのだ。

 彼の絶望的な表情は、セツナの心を締め付けた。彼の気持ちが少しはわかるからだ。痛々しいファリの姿が脳裏に描かれただけで、胸に迫るものがあった。もし、彼女が死んだら、どうなるものか。彼と同じような表情になるのかもしれない。

 だから、セツナはいったのだろう。

「生きてるよ」

「どういうことだ?」

 男が怪訝な顔をする。こちらを疑っているというより、意味がわからないといった表情だ。

「気を失ったんだ。でなけりゃ、俺が殺されてた」

 セツナが正直に話すと、彼はきょとんとした後、声を上げて笑い出した。

「ふ……ははは、そうか。そうだったのか。やはりミリュウは黒き矛を封殺できていたのだな。ははははは……くっ」

 そして、腹の傷口を抑え、顔をさらに歪める。笑いすぎて傷口が開いたのかもしれない。セツナは彼の馬鹿笑いに無表情になった。彼に教えてあげたのが馬鹿馬鹿しくなる。

「なにも笑うことはないだろ」

「いや、済まない。だが、俺の目論見通りになっていたわけだ。ミリュウなら、幻竜卿なら黒き矛を封じられるというのは、証明されたわけだ。これを笑わずにいられるものか」

 男はひとしきり笑ったあと、目を細めた。

「……違うな。笑うべきは、俺の不甲斐なさのほうか」

 彼の様子に近寄り難いものを感じながらも、セツナは問いかけずにはいられなかった。

「あんたはファリアと戦ったのか?」

「……なぜわかる? 確かに、俺はファリア=ベルファリアと戦ったよ。そして、負けた」

 セツナは、彼が素直に負けを認めてきたことに驚きを隠せなかったが、表情には出さないようにした。胸中ではファリアの勝利を喜びながら、彼の問への答えを口にする。脳裏に浮かんだ情景が、その答えだ。

「ルウファの側には死体があって、ファリアの側にはなにもなかったからだよ」

「君は……いったいなにをいっている?」

「全部、見えるんだ。多分、二本の黒き矛の力だろ」

 告げると、彼は慄然としたようだった。黒き矛の二刀流がいかに恐ろしいものなのか、彼にもわかったのだろう。セツナも実感として理解している。この森から、周囲四方の情景まで把握できるのだ。無論、そこになにもなければ認識できるはずもない。情景を描くためには、情報が必要だ。しかし、些細な音さえ拾ってしまう現状、把握できないものはないといってもいい。

 まるですべてが支配下にあるような錯覚さえ、抱く。

「そういうことか……。いまの君には敵わないというわけだ。なにものも、君に平伏すしかないと」

 彼は皮肉そうに笑った。なにがおかしいのかはわからない。この状況のすべてがおかしいのかもしれない。確かに、なにもかも正常ではないといえる。狂っているのだ。戦場には、常に狂気と熱気が渦巻いている。

「あんたは、どうするつもりだ」

「ミリュウが生きているのなら、それ以上なにも望まないさ。君は、ミリュウを殺しはしないだろう?」

 男の言葉は、懇願に近かったが。

「ガンディアは、捕虜を殺すような真似はしない。傷つけることも」

 セツナが口にしたのは、個人的な意見ではない。ガンディアの思想とでもいうべきものだった。レオンガンドの意志といってもいい。彼は、軍に潔癖を求めている。侵攻先での略奪を許さず、苛烈なまでの規範を掲げているのもそれだ。ガンディアの評判を上げることで、制圧した国々の人心を少しでも早く掴めるようにしたいという戦略でもあるのだ、とはエインの話だが。

 ともかく、ガンディア軍のやり方として、捕虜を拷問にかけるようなことはしないはずだ。もっとも、ランカインのような犯罪者は別だが。

「安心したよ。君のような男が黒き矛でよかった」

 男の表情が、少しだけ和らいでいた。だが、言葉の意味がわからない。セツナはガンディアの軍規についていっただけだ。なんの保証もしていない。捕縛した彼女がどうなろうと、知ったことではないのだ。セツナに彼女の境遇について口を挟む権利はない。

「それはどういう……?」

「ミリュウのことを、よろしく頼む」

 そういうと、男が、不意に崩れ落ちた。限界が来たのだろう。いや、既に限界だったのかもしれない。彼の傷は致命傷で、死に貧していたのだ。血の気のない顔は、実際に血を流し尽くしていたからだ。

「ミリュウを? 勝手な……」

 セツナは、男に歩み寄ろうとしたが、彼に手で制される。

「わかっているさ。そんなことは。だが、君に頼むしかない」

 彼の虚ろな目は、セツナを見てはいなかった。ずっと遠くを見ている。なにを見ているのか気になったが、聞きたいのはそういうことではない。頼まれても、どうしようもないという想いがある。

 すると、槍が光に包まれ、異世界に消えていった。彼が送還したのだ。死んだ後のことを考えたに違いない。召喚武装を遺して死ぬのは、武装召喚師の恥だという考え方もあるという。召喚武装と結んだ契約を蔑ろにすることになるからだが、それだけではない。召喚武装という魔法的な力を秘めた武器をこの世界に撒き散らすのは、騒乱の火種を撒き散らすのと同じなのだ。

「さらばだ、黒き矛の……」

 彼は、そういって目を閉じた。

 鼓動が遠ざかる。命が消えようとしている。

 セツナは、声をかけようとして、やめた。なにをいっても、もはや届かない。

 彼の命は、消えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ