第二千四百八十七話 海の使い(二)
「なんでもいいわよ」
ミリュウがセツナとマユリ神の会話に割り込むようにいってきた。彼女の周囲に浮かぶ無数の刃片が無限に形を変え続けている。それが擬似魔法の術式構築――詠唱だということは、彼女から聞いて知っている。刃片を複雑に組み合わせることで古代文字を擬似的に再現する。それによって呪文の詠唱を再現し、魔法そのものを再現するのが擬似魔法だ。その制御には、途方もない精神力と緻密性が要求されるに違いない。セツナには不可能な領域のことだ。
「あれがなんであれ、あたしたちにとってまたとない好機よ。あれのおかげもあって、船の半分ほどは沈んだんだから」
「まったくその通りね」
ファリアが肯定しながら、オーロラストームを構え直す。彼女の背後では、無数のクリスタルビットが回転し続けている。まるで、回転することで発電力を高めているかのようであり、実際にそうであることはオーロラストームによる雷撃の発生時間の長さ、発生量の多さからもわかることだ。クリスタルビットは、オーロラストームの攻撃手段であるところの雷撃の発生源だ。その真価を発揮させる使い方が、それなのかもしれない。まるで光輪のようにファリアの背後を回転するそれは、莫大な量の雷光を発生させ、美しかった。
「あれの正体なんて、いまはどうでもいいこと。そうでしょ」
いま、重要なのは大帝国大船団だ。
「ああ。そうだな」
「その通りっすな」
「そうでございますね。あれがマウアウ様の使徒であれ、協力してくださるというのであれば」
敵ではないのなら、放っておけばいい。
至って単純な結論に異論は出なかった。
実際、マウアウ神の使徒は、セツナたちにとって強力な助けとなった。海を爆走する巨大構造物が大船団を蹂躙してくれたおかげで、無数の船が沈んだからだ。それこそ、百隻どころではない、二百以上の船が、巨大構造物によって沈められており、セツナたちも負けてはいられないと三度目の強襲を行った。黒き矛による“破壊光線”、オーロラストームの雷撃、ミリュウの擬似魔法、エスクの虚空砲がつぎつぎと船を沈めていく中、海神の使徒も多数の船を撃沈していく。
そうして、最大千五百隻を誇った大船団は、見るも無惨というほかないくらいに成り果てた。
『残り四百二十。十二分といえる戦果だな』
「ああ……これ以上は無理なくらいにな」
セツナは、疲労困憊になりながら、答えた。完全武装状態による最大出力の“破壊光線”の乱射が効いている。精神的な消耗が凄まじい。精神力をごっそりと削り取られたような感覚があった。そしてそれは間違いではない。召喚武装の能力を行使するということは、精神力を差し出すということだ。召喚武装をただ振り回すだけならば維持費としての精神力を支払うだけでいい。しかし、なんらかの能力を使う場合は、それ相応の精神力が要求される。そして、その精神力の量というのは、能力が強力であれば強力であるほど、多い。たとえば同じ召喚武装の同じ能力であったとしても、威力や精度、効果範囲を向上させようとすれば、それだけ多くの精神力を代価として捧げなければならない。
セツナは、完全武装によって多大な精神力を消耗しただけでなく、最大威力の“破壊光線”を何度となく使用したこともあって、へとへとになっていた。立ってもいられないほどの消耗であり、その場にへたり込みながら召喚武装をつぎつぎと送還した。せざるを得ない。これ以上の戦闘は、不可能だ。
セツナ以外の皆も、同様だった。ファリアもミリュウも疲労の色を隠せず、ファリアも甲板上に座り込み、ミリュウはそんなファリアに寄りかかっている。エスクだけが元気そのものなのが解せない。
一方、船上防衛組はというと、シーラを筆頭に多少疲労している様子だったが、セツナたちのように全精神力を注ぎ込まなければならないような状況でもなかったからか、エスク以上に力が有り余っているようだった。とはいえ、遠距離攻撃手段を持たない彼女たちを当てにして、戦闘を継続することはできない。そうするのであれば、船を船団にもっと近づけなければならず、危険性は急激に上昇する。ウルクナクト号が船団の遙か上空を通過しているだけだったからこそ、敵の攻撃は、神鳥を差し向けてくる程度に留まっていたのだ。これが敵船団の真っ只中を突き進むとなれば、海神の使徒同様、物凄まじい攻撃を受けざるを得まい。
『引き上げるが……いいな?』
「そうしてくれると助かるよ、マユリ様」
もはや、これ以上は戦えまい。
セツナの疲労は極致に達していたし、それはファリアたちも同様だ。
「できれば殲滅したかったけどね」
「三分の二以上も撃沈したのよ。十分じゃない」
「そうでございます。これ以上の無茶は不要にございます」
レムが怒るようにいうと、さすがのファリアも苦笑した。
「千五百隻あったのが四百二十だぜ? レムのいうとおり、十分だろ」
『まったくだ。なにもおまえたちだけが戦う必要はないのだ。これは大帝国と統一帝国の戦いなのだろう?』
「そうはいってもな」
相手に神がいて、その神がセツナと黒き矛を目的のひとつとしている以上は、無関係とはいえまい。もしかすると、セツナが南大陸にいなければ、南大陸への侵攻は端から計画されていなかった可能性も、皆無とはいえないのではないか。
(それは……ないか)
胸中頭を振って、彼は甲板の手摺りから眼下を見下ろした。既にウルクナクト号は、完全防御態勢に入っている。甲板を覆う天蓋と全体を覆う防御障壁は、神鳥さえ取り付けないほど強固なものとなっている。こうなれば、甲板上といえど完全無欠に安全といっていいだろう。そして防御障壁から覗く彼方に残り五百隻以下となった船団と、その船団から離れる海神の使徒が見えた。とても小さく、だ。完全武装状態どころか黒き矛さえ送還したセツナの目には、これまで見えていたものがほとんど映らなくなっている。致し方のないことだ。常人の目に戻っている。
だが、その常人の目でも、海神の使徒が船団への攻撃を諦めたらしいことがわかった。まるでセツナたちの動きに呼応しているかのような動きだった。
「どういうことだろうな?」
「なんのこと?」
ミリュウが尋ねてきて、セツナは、自分が疑問を声に出していたことに気づいた。胸中でつぶやいたつもりが、口に出してしまっていたのだ。疲労のせいだろう。疲労が、自身を制御できなくしている。
「……マウアウ様の、使徒のことだよ」
「んー?」
ミリュウがよくわからない、とでもいうような声を上げた。見れば、彼女は座り込んだファリアの腰に抱きつくような格好で寝そべっている。最大威力の擬似魔法の連発は、さすがの彼女にもきつかったようだ。恥も外聞もない。
「俺たちの後を追ってきているみたいだ」
「本当ですな、ありゃ」
エスクが後方を見遣りながら、いった。シーラが訝しむ。
「ってことはなんだ? 俺たちに協力してくれてたってことか?」
「そうかもしれません。マウアウ様が、御主人様に協力するべく、使徒を派遣してくださったのかも」
「なんでまた?」
「それは……わかりかねますが」
「マウアウ様はいい神様だが……そんなことはねえんじゃねえかなあ」
セツナは、ぼんやりと、ウルクナクト号を追走するように海上を疾駆し、後方から迫り来る神鳥の群れに向かって攻撃している海神の使徒を眺めていた。海神の使徒の攻撃手段というのは、彼が乗り、操縦しているらしい巨大な構造物がしている。構造物から伸びる触手の如き突起物が、神鳥を一体一体攻撃し、貫き、爆散させているのだ。爆散ということは“核”を貫いているということだろうが、“核”を露出させることなく見抜く方法でも知っているかのような百発百中ぶりであり、見事というほかなかった。
そんなときだった。
大帝国船団周辺の海域に異変が起きた。