第二千四百八十五話 異変
「いまので百隻以上は撃沈できたかしら」
ミリュウが額の汗を拭いながら、いった。広範囲、高威力の擬似魔法の発動には、負担が伴うものなのだ。汗くらい流れよう。
セツナ自身、想った以上の消耗に辟易していた。第二次リョハン防衛戦のときは感じなかった負担と消耗を全身に感じている。あのとき、なにも感じなかったのは、怒りに身を焦がしていたからに違いないし、ファリアたちのことを強く想っていたからだ。それ以外には考えられない。
「百どころじゃないぜ。二百は硬い」
セツナは、傾きの戻った甲板上で、大船団を振り返って告げた。大帝国の船団は、いまやその編隊を大きく変えなければならない状況に陥っていた。セツナたちの攻撃によって無数の船が火を噴き、あるいは大穴を穿たれ、または原型すら残さずに壊滅状態となり、海に沈んでいく。当然、大船団は、反応を示した。つまり、セツナたちに反撃をするべくようやく動いたのだ。ようやくだ。それまで――偽装工作を打破したときすら反応を示さなかった船団が、ウルクナクト号の離脱直前になって動き出したのだから、遅すぎるにもほどがあるだろう。
とはいえ、大帝国軍は多数の航空戦力を配備していたらしく、無数の神鳥が大船団より解き放たれ、空を舞った。ウルクナクト号を攻撃するためだ。つまり、現在、ウルクナクト号は、多数の神鳥に追われているということになる。
「うはは、さすがは大将。これなら楽勝ですな」
「そうね。これですべての船を落とすことができれば……ううん、そうでなくとも、大帝国が引き上げてくれれば、統一帝国軍の出番はないわね」
「俺の出番もなくなるのはなんだが、まあ、この調子で戦いが終わるってんなら悪くもねえさ」
シーラが少しだけ不満げにいったが、彼女とて、南大陸が戦場になるようなことを望んでいるわけでもない。戦場こそ生き甲斐とする彼女にしてみれば、戦闘に参加することができない事態に不満を持つのは当然のことだったし、彼女の気持ちもわからないではない。エリナやダルクスのように攻撃以外で支援できているわけでもないのだ。
一方、まったく戦闘に参加していないレムはといえば、けろっとした顔をしているが、そこはやはり、性格の違いというものだろう。
そんなとき、ふと、ウルクが顔をしかめているように見えて、セツナは気になった。当たり前のことだが、ウルクの表情に変化はない。幻視に過ぎない。
「どうした? ウルク」
「いま、波光大砲を発射してわかったのですが、あまり多用はできないようです」
「ああ……首か」
「はい。波光砲は、精霊合金の性質に頼った兵装です。場合によっては、首の接合部に使用された金属が融解する恐れがあります」
ウルクの発言にセツナは彼女首筋を見た。ウルクが神の支配を脱却するべく撃ち抜き、破壊した首を修復したのはマユリ神だ。その際、当然のことながら精霊合金など用意できないため、別の金属で代用している。外殻だけではなく、首回りの破損した部位全般を修復しなければならなかったこともあり、影響が大きくでることはわかりきっていた。
波光砲は、右腕か左腕に心核から供給される波光を収束し、弾丸、あるいは光の波として撃ち出す兵装だ。故に首周りにはあまり影響がないかもしれないと想っていたのだが、どうやら、そう上手くはいかないらしい。波光は、人間でいう血液のように躯体全身を巡っているという。そのため、波光砲の使用時になんらかの影響が出るのだろう。
「なら、つぎの攻撃には参加しないほうがいいんじゃない?」
「そうだな。無理はしないほうがいい」
「しかし……」
「ウルク。これは命令だ。つぎの攻撃には参加しない。いいな」
「はい、セツナ」
「なに、波光砲を用いないような戦闘で大活躍してもらうさ」
「はい」
ウルクの声音がわずかに弾んで聞こえて、セツナはほっとした。ウルクは、ついさきほど、セツナとともに戦えることを喜んでいたばかりなのだ。それがすぐさま不可能となれば、彼女が落胆するのは目に見えていた。その落胆を少しでも取り戻したいという思いがセツナにはあった。
「で、あれはどうするの?」
と、ミリュウが指し示したのは、ウルクナクト号を追いかけてくる神鳥の群れに対して、だろう。神鳥とは、その言葉の通り、神の鳥――つまり、白化症を発症し、神化した鳥類の総称であり、意味としては神人、神獣、神魔となんら変わらない。神に使役される怪物と化した鳥類は、当然のことだが、“核”を破壊するまで再生と復元を繰り返し、無限に近く攻撃してくるに違いない。振り払うには、ただ打ち落とせばいいわけではないということだ。
「どうするもこうするも、取り付いてきたのを片っ端から撃破するしかねえだろ」
「そのお役目、わたくしと参号、そしてシーラ様、ダルクス様にお任せを」
「おうよ、やってやるぜ」
「はい、レム」
レムの発言にシーラ、ウルクがうなずけば、ダルクスも首肯する。
レムたちは、セツナたちには、大船団への攻撃に集中するべきだというのだろうし、それはセツナも考えていたことだ。数百を越える神鳥の群れは脅威以外のなにものでもないが、だからといって、編隊を組み直し、南下を続けている大船団を放っておく訳にはいかない。むしろ、大船団さえ壊滅させることができれば、神鳥などどうということはなくなるのだ。
ウルクナクト号が転回し、大船団を進行方向に捉えると、大小無数の神鳥の群れもまた、方舟の進路を塞いだ。もっとも、防御障壁を前面に展開したままの方舟は、神鳥の群れなど意に介することもなく猛進し、神鳥たちをつぎつぎと跳ね飛ばしながら大船団へと接近しようとした。そのときだ。突如、船が動きを止めた。その理由については、セツナは瞬時に理解している。
『なんだあれは?』
「あれはいったい……」
マユリ神も、セツナ同様、訝しむほかなかったようだった。
それは、突如、大船団より遙か西の海上に出現し、大船団に向かって突き進んでいた。巨大な気配。物凄まじい圧力。意思。見れば、巨大な白波が海をかき分けるようにして、突き進んできていた。陽光を跳ね返す白波の向こう側に巨大な質量が存在することは、明らかだ。
「なに? どうしたの?」
「そうよ、ふたりだけで理解していないで、教えなさいよ」
「理解しているわけじゃない。むしろ、疑問なんだ。あれは……」
『なにかが近づいてきている……あれは……神威』
マユリ神にいわれるまでもなかった。
「神威? 神様ってこと?」
『そうだが……様子がおかしい』
「あれは……マウアウ様か?」
「マウアウ様でございますか?」
レムが訝しむの無理のない話だったし、セツナが疑問を持つのもまた、必然だった。マウアウ神といえば、美貌の海神だが、彼女の守護する海域は、ベノア島の遙か北方だったはずであり、マウアウ神がその領域を広げていない限り、こんなところまで出張してくるとは考えにくかった。そして、マウアウ神は、その信条から、無意味に守護海域を広げるようなことはないはずだった。
だが、しかし、海上を疾走するその白く巨大な物体からは、確かにマウアウ神の気配を感じずにはいられないのだ。話のわかる神であったマウアウ神のことは、よく覚えている。その後、すぐさま対峙したのが分からず屋の闘神ラジャムだったことも、マウアウ神の印象をよくしていた。
その美しくも異形の女神たるマウアウ神の気配を発する巨大な物体が、大海原を疾走しているのだ。
理由はわからない。
ただひとついえることは、マウアウ神の進路上に大帝国の大船団があるということであり、どうやらマウアウ神は、大船団を強襲するつもりであるということだ。
「マウアウ様って、確かセツナとレムを助けてくれた神様よね?」
「ああ。話のわかる女神様だった。でも、ここら一帯はマウアウ様の領海なんかじゃあない」
ではなぜ、マウアウ神と思しき巨大な物体が波をかき分けながら、海を爆走しているのか。それも、縁もゆかりもないはずの大帝国大船団めがけて、突き進んでいるというのか。
「そんなこといってる場合かよ!」
シーラの叱咤にセツナは我に返った。
見れば、神鳥の群れがウルクナクト号の甲板を包囲していた。