第二千四百八十一話 先制攻撃(一)
ノアブールを始めとする南大陸北部沿岸地域の都市から民間人、非戦闘員が避難を開始したのは、九月十日のことだ。
ウルクとの遭遇、説得が九月九日のことであることから、その迅速さが窺い知れるだろう。ノアブールの基地司令である統一帝国軍陸軍大佐ケビン=アルザーがそれだけセツナの話に耳を傾けてくれたということであり、彼が北からの侵攻の脅威を肌で感じていたことの証拠だ。彼は、セツナの話を聞くなり、すぐさまノアブール市民に避難指示を出すとともに、近隣の都市の基地司令にも民間人、非戦闘員の避難を行うよう、通達している。召喚車を用いた迅速な情報伝達が都市間の連携を確実なものとし、各都市の市民の避難が想像よりも遙かに速く行われるという結果になった。
無論、一日でどうにかなるものではないし、避難する市民を誘導するためには、軍も動かなければならず、ノアブールや各都市の守りは極めて手薄にならざるを得なかった。
つまり、避難誘導中に大帝国軍が上陸するようなことがあれば、極めて少ない戦力でそれに当たらなければならないということだ。
「そもそもだ」
セツナは、ノアブール基地の一室で告げた。
「統一帝国軍の全戦力を結集しなければ、まともな戦いにもなりようがない」
北の、南ザイオン大帝国は、総力を挙げて南ザイオン大陸を制圧しようとしている。総力。全戦力を、この南大陸に派遣する方針であり、そのための大船団が構築されていたとウルクが記録している。旗艦は、皇帝戦艦マリシアハインであるといい、その規模、質量は、ウルクナクト号の比ではないという。それほどまでに巨大な艦船をどのように建造したのかなどについての詳細は不明だが、大帝国の人材を大量に投入することで素早く作り上げたのだろうということくらいは、想像がつく。
ウルクの話によれば、大帝国の臣民というのは、皇帝を神の如く崇め奉り、皇帝のためならば喜んで死ぬようなものばかりなのだといい、皇帝が一言命じれば、私財をなげうってでも船の建造に取りかかるに違いないという。それは、帝国臣民によく見られる傾向だ。帝国において、皇帝は神そのものに等しい。帝国領土という天地を支える柱にして絶対者こそが皇帝であり、皇帝に逆らうものなど、歴史上、ほとんどいなかった。
反逆者が出たとしても、皇帝に対する反逆ではなく、帝国政府の一部の人間への反逆だったりした。それはつまり、反逆を起こすようなものにとっても、皇帝という存在は絶対的な神のようなものであり、皇帝に翻意を抱くことなどあり得ないということなのだろう。
南大陸の統一前後、皇帝ニーウェハインに抵抗したものたちがいたのは、彼を皇帝として認めなかったからだ。皇帝のみが絶対者である以上、皇帝として認識していないものに対しては、反逆も許される、ということらしい。それら抵抗者たちも、いまや皇帝ニーウェハインに忠誠を誓っている以上、再び反乱が起こることはないだろう。
それらかつての抵抗者たちを含めた統一帝国の全戦力を大陸北部に結集させなければ、話にならない。そのため、ウルクナクト号は帝都に飛んでいる。ウルクナクト号には、レムとマユリ神のみが乗船しており、レムがニーウェハインら統一帝国首脳陣に状況を説明することになっている。レムの話を聞けば、ニーウェハインは愕然とするだろうし、絶望的な現実に天を仰ぐかもしれない。が、それが現実である以上、彼には相応の対処をしてもらうほかないだろう。全戦力の早急な北への結集。
それだけが現状、北の脅威に対抗する唯一の方法だ。
しかし、当然だが、その結集にはかなりの時間を要することになる。
一日二日で大陸中に散らばった戦力に呼びかけ、結集させることは不可能だ。
(十日……いや、もっとか)
短くて一ヶ月ほどは必要ではないか。
たとえ召喚車を最大限に生かしたとしても、膨大な数の戦力を動かすのは、簡単なことではないだろう。
「兵力差以上に戦力差がいかんともしがたいわね」
ファリアが嘆息するのも無理のない話だ。
ある程度の兵力差ならば、セツナたちで埋め合わせ、凌駕することだって不可能ではない。実際、そうやって東西紛争を終わらせたのだ。大帝国との戦いも、その理論で勝利を掴み取ることが可能だと当初は考えていた。しかしどうやらそれも困難なのではないか、というのが、ウルクのもたらした詳細な情報によって判明している。
大帝国の総兵力は百万超。統一帝国の総兵力を軽く上回っているのだが、問題はそれだけではない。大帝国には、神がついている。神が、それら百万の兵を加護しているとすれば、その戦力たるや数倍から十数倍の兵力に匹敵すると考えていい。神の加護によって強化された兵士たちは、通常戦力では太刀打ちできない。
ならば、こちらも神の加護を期待するほかないのだが、マユリ神の力は、大帝国の神に及ばないという事実がある。もし、マユリ神の力のほうが大帝国の神よりも上であれば、マユリ神の力だけでウルクの支配を解くことができたのだ。それができなかった以上、女神の力は、大帝国の神よりも下であることが明確化しており、そのことは女神自身が認めるところだった。
だからこそ、戦力の結集が必要だということもある。
『わたしの力のほうがうえならば、この船だけで蹴散らすことも不可能ではなかったやもしれぬ』
マユリ神の力次第では、ウルクナクト号とセツナたちのみで百万の軍勢を撃退できた、と、女神はいった。実際、女神の力が強大である以上、その力が相手の神を上回っているのであれば、それも不可能ではなかったのだろう。無論、セツナたちが死力を尽くすという前提であり、その上で死闘を繰り広げる必要があるのは疑うまでもないことだが。
「戦力差……戦力差ねえ」
「戦力差……か」
ミリュウが腕組みをして、シーラが頭の後ろで手を組んだ。ノアブール基地の広々とした一室には、レムを除くセツナ一行の全員が集まっている。セツナ、ファリア、ミリュウ、シーラ、エリナ、ウルク、エスク、ダルクス。非戦闘員のゲイン、ミレーヌ、ネミアの三人もだ。ちなみに、ウルクは、素顔のままではノアブールのひとびとを刺激しかねないため、頭巾を目深に被らせ、できるだけ顔を見せないようにさせている。
皆、絶望的な戦いを前に沈痛な面持ちをしていた。
この戦い、これまでの戦いとは違い、勝てる見込みがあるわけではなかった。兵力差は無論のこと、戦力差も敵側に分がある以上、楽観的にはなれないのだ。圧倒的な兵力差を戦力差において覆してきたのがセツナたちだが、今回ばかりは、いつものようには行きそうもなかった。
なにせ、相手は、絶大な力を持った神に率いられた軍勢なのだ。当然、神の加護が全軍に行き渡っていると考えるべきだったし、神人が大量に投入されていたとして、なんら不思議ではない。
「いつもの力業でどうにかできませんかねえ、大将?」
「そうだな……いつもの力業でどうにかするか」
「どうするのです? セツナ」
「敵を上陸前に叩けるだけ叩く」
ウルクの疑問にセツナはあっさりと答えた。
「敵は、どうしたところで海を渡ってこなけりゃならないんだ。大量の船を建造していたというのがその証拠だ。いくらマユリ様以上の力を持った神とて、転送の力で大陸間を移動させることは難しいんだろうよ」
「でしょうね。できるなら、既にこの地は地獄の戦場と化しているわ」
「考えただけでぞっとしねえな」
「そうね……」
「そうである以上、海を渡らなきゃならない。故に大帝国は大船団を編成し、北大陸を出航した。現在、大陸間のどこらへんを航海しているのかしらねえが、確認次第先制攻撃をしかけるしかねえ」
セツナは声も荒く告げると、卓上に広げられたノアブール周辺の地図を見遣った。海軍によって近海の様子も克明に記されているのだが、海は所詮海だ。北大陸については微塵も触れられておらず、この地図がいかに不完全であるかがわかるという程度の代物に過ぎない。
大帝国の大船団が現在、南大陸にどの程度迫っているのかについては、ウルクナクト号からでもわからなかった。もしかすると、まだまだ遙か彼方なのかもしれず、あるいは、数日後には上陸するくらいには接近しているのかもしれない。その場合、こちらが認識できないようにするための、なんらかの手段を用いていることになるが、その可能性は決して低くはない。
「それで、どれくらいの船が落とせるか、よね」
「ああ。それで少しでも敵戦力を削ることができればいいし、時間稼ぎもしたい」
戦力の結集には、どうしたところで時間がかかる。
その時間を稼ぐ必要も、セツナたちにはあった。
船を攻撃し、いくらかでも落とすことができれば、大帝国軍は、南大陸への接近を警戒し、上陸にも慎重になるだろう。
それが多少なりとも戦力結集のための時間稼ぎとなればいいのだ。
(少しでも)
セツナは、内心の焦りを隠すように拳を握った。