第二千四百七十九話 戦力差(一)
ウルクとの合流によって、南ザイオン大帝国の南大陸侵攻計画が明らかになったことは、極めて大きな収穫といってよかった。
元より、ノアブールを始めとする北部沿岸地域が大帝国の脅威に曝されたことで、侵攻の可能性は論じられていた。そのため、ニーウェハインら統一帝国首脳陣は、大陸北部に戦力の一部を結集させるべく動いており、セツナたちをその先触れとして派遣した。セツナたちが大帝国の脅威たる尖兵を排除することを期待してのものだが、セツナたちは期待以上の働きを見せたことになるだろう。
大帝国の尖兵を確保するだけでなく、情報を引き出したのだ。その上、地上最強の味方を得ることができた。もっとも、ウルクがその最強の戦力としての実力を発揮することはできまいが、だとしても、強力無比な味方を得たことは疑いようがなかった。
そして、ウルクから得た情報は、大帝国からの侵攻計画が極めて本格的なものであり、対処するためには、統一帝国のほぼすべての戦力を投入しなければならないのではないか、と、考えられた。少なくとも、統一帝国首脳陣が手配した戦力とセツナ一行だけでは対処しきれないのは間違いない。大帝国の軍隊が人間ばかりで編成されているのであればまだしも、そうではないに違いないという確信があるからだ。
南ザイオン大帝国皇帝マリシアハイン・レイグナス=ザイオン、あるいはその側近たる人形遣いアーリウルとやらには、神がついている。その神の力は絶大であり、神の加護を得た大帝国軍は、通常戦力などと呼べる代物ではなくなっているはずだ。
さらにいえば、北ザイオン帝国を降し、北ザイオン大陸を統一した南ザイオン大帝国は、総兵力百二十万を越える軍事大国になった、という。約八十万超の大軍勢。ただそれだけで統一帝国の総兵力を軽々と上回り、そのほとんどすべてが南大陸侵攻に投入されるという事実が明らかになったいま、統一帝国の全戦力を結集しても対応しきれるものかどうか。
そう、大帝国は、南大陸を制圧するために、全戦力の投入を決定し、その運搬のための超巨大船を続々と建造、ウルクが北大陸を出発するまでに大船団が完成していたとのことだ。およそ百二十万の将兵を詰め込めるだけ詰め込み、大海原を渡り、南大陸に上陸、その過剰なまでに圧倒的といえる大兵力でもって南大陸をあっという間に攻め落とそうというのが、大帝国の計画なのだ。
対して、統一帝国の総兵力は九十万にも届かない程度だ。兵数だけで大きく負けていて、将兵ひとりひとりの質を考えると、その差はさらに開くものと想われた。大帝国には、神の加護がある。それも、マユリ神以上の力を持つものと考えられる強大な神の加護がだ。その加護を受けた将兵は、統一帝国の将兵をたやすく蹴散らしかねない。健闘が期待できるとすれば数千の武装召喚師だが、大帝国にも五千名ほどの武装召喚師が存在しており、それらが神の加護を受けているとすれば、敵うわけもない。
ならばこちらも同様に神の加護を全軍に付与すればどうか。
マユリ神の加護を統一帝国軍将兵の全員に付与すれば、あるいは。
それは、マユリ神も考えていたことのようであり、そうすれば、おそらくは、ある程度抗しうるだろうと、女神は結論づけていた。ある程度、というのは、神としての力量差、物量差を加味した上での結論だ。神としての力量差も、軍隊の物量さも、いかんともしがたい。
(その物量差をなんとかするのが、俺たちの役割というわけだ)
セツナは、ノアブール基地内で腕組みしていた。彼がその夜、ノアブールの基地を訪れたのは、南ザイオン大帝国の尖兵を撃破したという報告のためだ。ウルクの攻撃によって破壊された基地施設は、マユリ神によって粗方修復されており、マユリ神はまたしても信仰を集め、得意げな顔をしていた。建物の復元など女神にとっては児戯のようなものなのだろうが、人間からすれば、奇跡そのものであり、そのようなことを呼吸をするかの如き容易さでやってしまうマユリ神を見れば、言葉も失うほかない。そして、女神の敬虔な信者が続々と誕生していくのだが、それは悪いことではあるまい。少なくともマユリ神は、希望を与える女神なのだ。悪神でも邪神でもない。
ウルクについては、大帝国の尖兵として、正体不明のまま処理した、と、報告している。大帝国の尖兵の正体がウルクであり、戦後、セツナ一行に加わったということを明らかにするには、彼女が南大陸上陸後にしでかしたことはあまりにも強烈だったからだ。幸いにも死者は出ていないものの、負傷者は数え切れないほどに出ていて、それら負傷者や関係者は、大帝国の尖兵に対し、拭いきれない恨みや怒りを抱いているに違いなかった。そんなひとたちにウルクが無事であり、味方に加わった、などとはいえるわけもなかった。死者が出ていなければいいというものでもあるまい。
ノアブール基地への報告の際、事実を隠し通すのは少々辛いことではあったが、それにより彼らの溜飲が少しでも下がるのであれば、決して悪いことではあるまい。実際、ノアブールの基地司令官らは、大帝国の尖兵がセツナたちに撃破されたという報告を聞き、歓喜の声を上げていた。彼らとしては、部下たちに多数の重軽傷者を出していることの恨みを晴らしてくれたセツナたちには、感謝のしようがない、とのことだった。セツナがバツの悪い気持ちになったのはいうまでもない。
それはそれとして、セツナがノアブール基地を訪れたのは、もうひとつ、重要な目的があった。
「市民の避難……ですか?」
「はい。ノアブールの一般市民をここより遙か南方に避難させたほうがいいでしょう。いえ、ノアブールだけではない。北部沿岸地域のすべての都市から、非戦闘員を遠ざけることが望ましい」
「それはどういうことですかな?」
ケビン=アルザーとサルガン=デモルドンが怪訝な顔をしたのは、当然のことだろう。セツナは、詳細な説明をせず、まず、市民の避難を訴えたからだ。
「単純な理屈です。北部沿岸地域一帯が激戦地になる可能性が極めて高い」
「と、いいますと……」
「北の尖兵……あのものから、情報を引き出すことに成功した、というわけですな?」
「はい」
セツナが肯定すると、基地司令と海軍少将は感嘆の声を上げた。
「ではやはり、あのものは、北の尖兵――たったひとりの先遣部隊だったわけですか?」
「南ザイオン大帝国が南大陸を侵攻するための先触れだった、と」
「そういうことです」
セツナはうなずくと、ウルクのことについてはぼかしながらも、南ザイオン大帝国の計画については事細かに伝えた。南ザイオン大帝国が、北ザイオン大陸統一の直後から、南大陸掌握に向けて軍備を整え、海を当たるための手段も抜かりなく用意しているということも伝えると、ケビン=アルザーは顔を青ざめさせ、サルガン=デモルドンは、苦渋に満ちた表情になった。大帝国の総兵力を聞けば、そうもなろう。そのすべてを南大陸掌握のために動かすつもりだという、大帝国の暴挙に等しい計画は、たとえ歴戦の猛者であっても耳を疑うだろう。
全戦力の投入ということはつまり、北大陸の秩序もなにも手放すと同義だ。もちろん、そんなつもりはなく、全戦力が北大陸を離れたところで秩序が乱れることもないという確信があればこそ、なのだろうが。
それにしたって、信じられることではない。
「そして、既に大船団が南大陸に向かって出航している可能性が極めて高く、早急に非戦闘員を避難させるべきだと想いますが、いかがでしょう?」
無論、上陸前に大船団を撃滅し、海の藻屑とすることができるのであればそれに越したことはないのだが、現有戦力でそれができるかといえば、不可能に近い。
多少なりとも削れるかどうか、といったところだろう。
大帝国軍本隊の南大陸上陸を避けることはできない。
となれば、一番の激戦地となるだろう北分沿岸地域の非戦闘員、一般市民は避難させるべきだった。
それは、セツナたちが戦いやすくするためにも必須のことだ。
一般市民がいなくなれば、セツナも、全力を解き放つことができる。
セツナがノアブールの基地司令に話をしにきたのは、そのためだった。