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第二千四百七十八話 希望(二)

 残夏。

 九月上旬だ。

 まだ夏の残り香が漂い、熱気を帯びた風が空を渦巻いていた。

 西の空が真っ赤に染まり、水平の果てが燃え上がっている。その赤々たるまぶしさは、空を埋める雲の海をあざやかに染め上げていて、彼は、無意識に目を細めていた。

 ウルクナクト号の甲板、その外周を囲う手摺りに肘を突くようにして、彼は、夕焼け空を眺めている。ウルクナクト号は、雲海の上を浮かんでおり、地上も海も遙か眼下に横たわっている。南大陸北部沿岸地帯の都市群さえ、豆粒のような小ささでしかないが、それも時折、雲間に見えるくらいだ。現状、雲海が眼下を覆い尽くしていて、地上の様子を見ようにも見れなかった。

 南ザイオン大陸上空。

 西の彼方、大海原の向こうにはなにがあるのか。 

 大陸がひとつであったころならば、小国家群が広がっていたに違いない。が、それもいまや夢のようだ。夢のような昔の話。すべては、夢物語だったのか。小国家群に抱いた統一の夢物語。いまや考えることすら億劫になるほど、遠い遠い昔のことのように思える。

 それもこれも、いまは目の前のことに集中しなければならないからだし、眼前の、集中するべき事柄があまりに重要だからだ。たぶん、きっと、そうだろう。

「あのときは、済まなかった」

「なにを……」

 いうのか、と、セツナは背後を振り返った。不意に聞こえた声は、女神のそれであり、振り返れば、マユリ神の姿だけがあった。マユラ神の姿はなく、どうやらまたしても船の制御をマユラ神に任せ、マユリ神単独で動いているようだった。普段仕方なく眠り続けているマユラ神を叩き起こしているのだから、マユラ神を多少、哀れに想わないではない。

「ウルクのことだ」

「だったら、なんで謝るんです」

「わたしは、ウルクの破壊を推奨しただろう。おまえたちの気持ちも考えず」

「考えた末のことでしょう。あなたは、俺たちがどれくらいウルクのことを想っているか、知っていたはずだ」

 女神は、直接ウルクのことを知っていたわけではない。ただ、マユリ神はセツナの記憶を覗き見ており、そのとき、セツナたちとウルクの交流について知っただろう。ミリュウやエリナたちから、ウルクについての話も散々に聞かされたに違いない。その中でエリナがいかにウルクに懐いていたかも知っただろうし、ウルクが、ある意味ではセツナたちの中で一番注目を集める存在だったことも知ったはずだ。ウルクは、その素直な言動故、皆に好かれていた。

 マユリ神は、すべてを知っていたのだ。

 それでも、ウルクを止めるには、破壊する以外に方法はない、と、女神は判断した。そしてそれは、間違いではなかった。それがあのときのすべてだ。それ以上でも、それ以下でもない。女神は、なにひとつ間違った判断を下してはいない。

「だが、わたしは間違っていた。おまえが正しかった。ウルクはみずからの意思で神の支配を脱却することができたのだ。わたしが見誤っていた」

「いえ……」

 セツナは、頭を振った。

「あなたはなにひとつ間違っていませんよ、マユリ様」

 それは、セツナの本心だ。

「今回は、たまたま上手く行っただけです。たまたま、ウルクがマユリ様の想像を超える力を発揮しただけに過ぎない。それは、俺もよくわかっているつもりです」

 偶然に過ぎない。ウルクの性格を考えても、必然とは、いえない。たまたま偶然、彼女の力で打ち破れるだけの支配だったに過ぎないのだ。もっと強力な支配であれば、ウルクは、自分で自分を破壊することもできなかっただろう。その場合、セツナの我が儘は無意味に終わり、マユリ神のいうとおり、彼の手で破壊しなければならなかったはずだ。そして、女神の力によって、破壊部分を接合し、ウルクの再起動を願ったに違いない。それはそれで上手く行っただろうが、今回とは別の後味の悪さがセツナの中に残り続けたことだろう。

「今回は、俺の我が儘が上手く行っただけのこと。正しかった、などとはいえませんよ。マユリ様のほうが圧倒的に正しかったのは、考えるまでもない」

「しかし……」

「あのまま、ウルクが自分で自分をどうにかできなければ、俺が手を下さなきゃならなかった。最後まで足掻いて、それでも無理なら、あなたのいった通りのことをしたでしょう。それが最善だった。そして、これからも毎回、俺の選択が正解するとは限らない」

 むしろ、間違う可能性のほうが高いのではないか。

 セツナのそれは、感情論に過ぎない。

 ウルクに手をかけたくないから。

 ウルクを傷つけたくないから。

 そんな個人的な感情だけで、セツナは、みずから手を下そうとしなかった。ウルクに呼びかけ続け、そこに一縷の希望を見出してからは、それだけに縋り続けたのも、結局は、自分の手を汚したくなかっただけではないのか。そんな想いがセツナの中に渦巻いていた。

「マユリ様。これから先もこんなことがあるでしょう。俺の我が儘と、あなたの考えに食い違いが生じることが必ずあるはずです。そのときには、あなたはあなたが正しいと想ったことをしてください。その結果、俺が怒り狂ったのだとしても、きっと、あなたのほうが正しい」

「セツナ……」

「俺は、自分の感情に従って生きている。それがどれほど愚かなことなのかも知っているつもりです。けれど、それを止められない。自分の感情を偽れない。俺は、俺なんです」

「それは……わかっているつもりだ」

「だから、俺は、俺の想うままに生きるしかない」

 それが最悪の事態を招く可能性があることも、理解している。

 それこそ、今回のウルクのことに関したって、そうだろう。

 今回、たまたま上手く行ったからだれも文句ひとついわないだけで、失敗していたら、どうなっていたか。ウルクだけでなく、もっと多くを失っていた可能性だって、あるのだ。マユリ神の助力がなければ、セツナ自身、ぼろぼろになっていた。無傷で生き延びることができたのだって、女神の加護のおかげ以外のなにものでもない。セツナ個人の力で切り抜けられたわけではないのだ。

 必然と偶然が積み重なって、今回は良い結果に終わった。

 だが、つぎからも同じように上手くいくとは限らない。

 いや、むしろ、上手く行くと考える方がおかしいのだ。

「わかった。わたしもわたしの想うままに行こう。その結果、おまえに嫌われるとしてもな」

 マユリ神は、深く頷くと、改めてセツナを見つめてきた。金色に輝く双眸は、いつ見ても神々しい。

「わたしは、おまえを失うわけにはいかないのだ」

「マユリ様」

「わたしは希望を司る。希い望まれて、ここに在る。ひとびとの希望を聞き、希望を叶えるためにこそ、存在する」

 それは、マユリ神の口上とでもいうべき言葉だ。希望女神。それが彼女であり、彼女のすべてだ。絶望を司るマユラ神とは根本からして異なる彼女だからこそ、セツナたちの力になり得るのだろうし、協力してくれるのだろう。全身全霊で、助力してくれるのだろう。そんな彼女だからこそ、セツナたちもまた、心を許せるのだ。

 女神は、いった。

「おまえは希望なのだ。この世のな」

「希望? 俺が……?」

「そうだよ、セツナ」

 彼女の微笑は、いつにもまして美しく、幻想的だった。

「おまえこそが、この世界の現状をどうにかできる。黒き矛の、魔王の杖の護持者たるおまえだけが、神々の思惑に翻弄される世界に希望をもたらすことができるのだ」

 神々の思惑に翻弄された世界。

 やはり、そんな世界には、魔王の力が必要なのだろうか。

 魔王の杖の破壊的な、いや、破滅的とさえいっていい力が。

「だから、生きよ」

 マユリ神の一言に、セツナは、はっとなった。

『能く生きよ』

 かつて奈落の底で聞いた言葉が脳裏に蘇って、空を仰いだ。

 赤く焼け始めた空には、夜の闇が忍び寄り始めている。

 

 


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