第二千四百七十五話 大帝国の事情(二)
サンディオンにおいて皇魔を撃滅したウルクは、その皇魔が普通とは異なることを聞かされた。彼女の話から、白化症に冒され、神魔と化した皇魔だったようだ。サンディオンに配備された武装召喚師たちが手こずるのも当然の話であるとともに、ウルクが圧倒するのも当然といえば当然のことだろう。ウルクに搭載された兵装ならば、たとえ相手が神魔だろうと苦もなく撃破できるはずだ。
ウルクはただの魔晶人形ではない。
当時の魔晶技術の粋を結集して作り上げられた魔晶人形の弐號躯体――それこそ、彼女なのだ。
並の武装召喚師は言うに及ばず、神人、神魔であろうと、弐號躯体のウルクと対等以上に渡り合えるとは、考えにくかった。
ともかく、ウルクは、神魔化した皇魔キュレティを圧倒的な力によって撃滅したことで、南ザイオン帝国サンディオン駐屯軍基地司令官に声をかけられることとなったらしい。
ウルクは、一刻も早くセツナの元に向かいたいと考えていたが、その前に現状の把握が必要であると考えた。そのため、サンディオンの基地指令との会見に応じた彼女は、軍に協力する代わりに必要な情報を提供してもらうこととした。それにより、ウルクは、当時の現状を思い知ることとなった。
最終戦争が終結し、それとともに巻き起こった大崩壊によってワーグラーン大陸がばらばらとなったことを知り、彼女はますますセツナの元に馳せ参じなければならないと想った、という。彼女には、セツナの元にいなければならないという使命感があったのだ。セツナの元にあって、セツナの指示の元、セツナとともに戦うことが己の存在意義である、と、彼女は定義していた。
しかし、大陸がばらばらに引き裂かれ、大海原がすべてを分か断った現状、ウルク個人の力ではなにもできないというのが現実だった。
まず、セツナの居場所もわからないのだ。少なくとも、サンディオンにはいなかったし、近郊にもいないということがわかった。まずはセツナの居場所を特定することが先決だ。そのつぎに、その居場所へ向かうための手段を確保しなければならない。そのためには、どうすればいいか。彼女は考えに考えた末、南ザイオン帝国からの協力要請を受諾した。
自分の主はセツナただひとりだが、そのセツナの居場所がわからない以上、情報収集の必要性を強く感じた彼女は、北大陸においてもっとも情報収集能力を持っているであろう南ザイオン帝国に協力することとしたのだ。かつて最終戦争において帝国と敵対した聖王国の魔晶人形が、帝国の分派ともいうべき南ザイオン帝国に協力するというのは皮肉というべきかどうか。
そも、聖王国とも敵対したウルクだ。セツナとの再会という大目的のためならば、帝国に協力することもやぶさかではなかった。すべては、セツナのため。それ以外、彼女の頭の中にはなかった。
そして、結果的に考えてみれば、それが最良の選択肢だったのだろう。
ウルクが南ザイオン帝国に協力することを決めたのは、彼女が目覚めた都市サンディオンが南ザイオン帝国の支配下にあり、南ザイオン帝国の統治が上手く行っていたからにほかならない。南帝国皇帝マリシアハイン・レイグナス=ザイオンの評判も上々であり、臣民はだれひとりとして不満の声を持っていなかった。
女帝マリシアハインは、慈悲深く、国民への愛情に満ちた統治を行っており、そういった数多の情報がウルクを後押しした。
当時、ウルクは既に北ザイオン大陸がふたつの勢力によって二分されているという情報を得ていた。ひとつは、サンディオンを統治下に置く、南ザイオン帝国。皇帝マリシアハイン・レイグナス=ザイオンは、先もいったように慈愛に満ちた女帝として知られ、臣民から将兵に至るまで、だれもが彼女のことを尊崇し、一種の信仰のようになっていた。
もうひとつは、北ザイオン帝国。こちらも女帝が治めていた。マリアンハイン・レイグナス=ザイオンと名乗る女帝の統治もまた、必ずしも評判が悪いわけではなかった。少なくとも南帝国で喧伝されているような恐怖政治の実情はないらしいという話をウルクは掴んでいた。マリアンハインは、かつてはマリアン・フォロス=ザイオンとして知られた人物だ。旧帝国時代、地理公として名を馳せた彼女は、帝国臣民にとってはマリシアハインことマリシア=ザイオンよりも余程有名であり、手腕を知られた人物でもあった。マリアンとマリシアならば、皇帝に相応しいのはマリアンのほうだろうという北帝国の主張は、だれもが認めることだという。
しかし、南帝国臣民は、そういった北の主張を認めながらも、自分たちの主はマリシアハインであるといって聞かなかったし、北帝国は、南帝国に降るべきであると言い返した。マリシアハインの治世こそ、北大陸に希望に満ちた未来をもたらすものであると、だれもが信じて疑っていなかったのだ。それは、北も同じだろう。北帝国臣民もまた、マリアンハインこそが北大陸の覇者に相応しいと信じていた。
ともかくも、南北帝国の対立は、南大陸における東西帝国の対立と規模としては同程度のもののようだった。
南帝国も、北帝国も、総勢数十万の兵力を保有し、数千単位の武装召喚師を主戦力としていた。
戦力は拮抗し、長らく決着のつかない小競り合いを続けていたという点でも、南大陸の実情とよく似ていた。その終わることのない小競り合いが兵も民も疲弊させつつあったという事実も、だ。
しかし、北大陸の状況は、その後、大きく変わることとなる。
ウルクは、情報収集のため、その後の移動手段確保のため、南帝国に協力することを決めたのだが、そのことが北大陸の停滞した状況に大きく影響を与えることとなるとは、当時、彼女は想像したこともなかっただろう。
ウルクは、南帝国に協力するにあたり、南帝国皇帝マリシアハイン・レイグナス=ザイオンに拝謁した、という。仮初めの帝都エンシエルにおいて女帝に拝謁したウルクは、どうやらそのとき、マリシアハインそのひとではなく、側近と思しき人物によって支配されたようだ。
そして、ウルクは、女帝マリシアハイン直属の魔晶人形となった。セツナたちを始めとする、南帝国以外の記憶のほとんどすべてを封印され、マリシアハインの意のままに操られる人形と化したのだ。
それが南帝国の快進撃の始まりとなった。
ウルクは、そのときからすぐさま最前線に投入されることとなり、多大な戦果を上げた。ウルクの圧倒的な戦闘力に対し、北帝国が誇る精鋭部隊も容易く蹴散らされる以外にはなく、ウルクだけを標的とした戦術も意味をなさなかった。物量戦も、弐號躯体の前では、ただ無為に命を散らすだけのことだ。ウルクは、ただただ戦った。皇帝の命令従い、戦野を駆け抜けた。それこそ、魔晶人形たる彼女に肉体的、精神的披露はない。人間のように、武装召喚師のように、休む必要がなかった。
もちろん、黒色魔晶石に蓄積された波光が尽きれば、動力源が失われれば、その限りではないが、北帝国との戦いにおいて、彼女が波光を無駄に消耗するようなことはなかった。
白兵戦主体でも、なんの問題もなかったからだ。
わざわざ波光砲を使うまでもない。
北帝国との戦いにおける勝利条件は、殺戮などではないのだ。敵を征すること。それには、敵指揮官を叩き潰すことだ。
自分がそう思考し、そのように行動したのは、きっと、セツナの教えによるものだろう、と、ウルクはいった。記憶を封じられても、自分を見失っても、根ざしているのは、セツナたちから教わったことであり、セツナたちとの戦いの記憶が、彼女の戦いの基本となっていたというのだ。
それこそ、彼女が無為に人殺しをしなかった理由であるらしい。
それはつまり、ウルクが完全に支配されていなかったことの証明でもあるだろう。
ウルクがみずからの意思で支配を脱却する素地は、最初から在ったのだ。
セツナは、それを後押ししたに過ぎない。
そのことがわかって、セツナは、なんともいえない喜びを覚えた。
ウルクはずっと戦っていたのだ。自分を支配する凶悪な力と、戦い続けていたのだ。その戦いに勝利したからこそ、彼女は、自分を取り戻すことができた。
それを喜ばずして、なにを喜ぶべきか。