第二千四百六十六話 再会は激突とともに(ニ)
「目を覚ませ?」
ウルクがセツナの体を軽々と投げ飛ばすなり、左腕を掲げながら問うてくる。セツナは空中で態勢を整えると、警戒しつつ周囲の地形に視線を走らせた。ノアブール南方の丘陵地帯。“大破壊”の影響が強く残っているのか、大地に刻まれた亀裂や穴が散見され、そこら中から白い結晶体のような塊が噴き出すようにして点在している。結晶化した岩塊やらなにやらだろうか。いずれにせよ、周囲には戦闘の邪魔となるような人工物は見当たらない。召喚車の路線からも大きく外れている。
ここならば、ウルクがある程度暴れ回ったとしても、問題にはならないだろう。
もちろん、いつまでも暴れさせるつもりなどはないし、早急に元の彼女に戻ってもらうつもりではいるが、それは簡単なことではなさそうだった。
「理解不能です。わたしは正常です。思考回路も戦闘機能も躯体そのものも、すべて。あなたがた人間でいう健康状態そのもの。異常はありません」
「ようやく、話に応じてくれたな、ウルク」
セツナは、ウルクが無機的な口調で告げてきたことよりも、彼女がやっと返答してくれたことに喜びを覚えた。ウルクがなにものかに操られているのは間違いない。が、彼女が自分の意思で考え、言葉を発していることがわかったのだ。言葉の内容といえば、なにものかによる支配の影響を多分に受けたものではあるし、本来の彼女がそこにいないのは確かだが、必ずしも完全に支配されきっているわけではなさそうだった。希望が見える。
「先程からウルク、ウルクと、馴れ馴れしいのはなぜですか」
こちらを見据えるウルクのまなざしには、感情のかけらも見当たらない。昔の、最初にあったときの彼女からわずかばかりの感情さえも奪い去ったかのような様子は、やはり、彼女がなにものかに支配されていることの現れだろう。それがなにものなのか、ウルクの発言から想像がつく。
神。
ウルクは、セツナを見て、最優先目標といった。それは即ち、黒き矛の使い手としてのセツナこそ、もっとも優先しなければならないという任務が与えられたということではないか。セツナこそ南大陸における最高戦力であるが故の最優先目標指定とも考えられるが、南大陸の現状を知る由もないものたちが、セツナを指定して最優先目標とするだろうか。やはり、黒き矛の、魔王の杖の護持者としてのセツナを認識しているものがいて、それがウルクに命令を出したとしか考えられない。
そしてそれは、神以外のなにものでもあるまい。
つまり、南ザイオン大帝国とやらは、神の支配下にあるということだ。
「あなたはセツナ=カミヤ。違いますか?」
「そうだよ、おまえのよく知るセツナ=カミヤさ。おまえの御主人様だろ」
「御主人様?」
ウルクが目を細める。合金製の瞼がわずかに降り、両目が発する光を弱めた。
「またしても理解できないことを仰るのですね、あなたは。わたしの主は、南ザイオン大帝国皇帝マリシアハイン・レイグナス=ザイオン陛下ただお一方のみ」
「マリシアハイン……か」
セツナは、ウルクが発した名を反芻し、眉根を寄せた。
(マリシアハイン……)
マリシア=ザイオンのことだろう。ニーウェハインと父を同じとする、先帝シウェルハイン・レイグナス=ザイオンの子供であり、第八皇女として知られる。第八皇女というのは、女子の中で八番目という意味であり、二十人兄弟の八番目という意味ではない。ニーウェハインとは二歳違いの異母姉に当たるが、彼やニーナに辛く当たったほかの兄弟とは異なり、彼女はイリシア同様、ニーウェハインにもニーナにも優しかった。マリシアは、争いごとを嫌う優しい心根の持ち主であり、だれに対しても慈しみの心をもって接することを忘れない人物だったのだ。
それ故、ニーウェハインは、イリシア同様、マリシアのこともなんとしても保護したいと考えていたようであり、マリシアが南大陸にいないことがわかると、北大陸でも、どこでもいいから、無事でいて欲しいと願っていた。親兄弟に対して愛情を持たないニーウェハインだったが、ニーナは無論のこと、イリシアとマリシアだけは特別だったらしい。
そのマリシアが、北ザイオン大陸において挙兵し、皇帝として南ザイオン帝国を治めているという情報は、既に伝え聞いている。もっとも、ニーウェハインたちの間では、後継者争いにすら距離を置いていたマリシアが皇帝を名乗ることなど信じがたいことであり、誤情報ではないかと考えられていた。だが、誤情報ではなかった、ということが明らかになったのだ。
「マリシアハイン皇帝陛下です、セツナ」
ウルクはセツナが呼び捨てたことを咎めてきたのだろうが、セツナは、無論、そんなことを気にしなかった。疑問が膨れあがっている。
マリシアは、争いごとの中でも特に権力闘争を忌み嫌っていた。だからこそ、後継者争いとは無縁のニーナやニーウェハイン、イリシアとの交流を深めようとしていたのだし、そのため、ニーウェハインにとっても彼女の印象は極めて良好だったのだ。“大破壊”後、彼女の無事を願うくらいには。
そんな彼女が、北ザイオン大陸において、皇帝を名乗っている。皇帝を名乗るということはつまり、みずから権力闘争に身を乗り出すということにほかならない。話に聞くマリシアの性格からは、どうしても理解できないことなのだ。ニーウェハインやニーナたちが誤情報だと想いたがったことが、その想いを後押しする。
「本当なのか?」
「質問の意図が理解できません」
「本当にマリシア=ザイオンが大帝国の皇帝だというのか?」
「わたしがあなたに嘘をつく意味がないことくらい、理解できないのですか」
「……まったく、その通りだな」
セツナは、ウルクの無機的な視線を受け止めながら苦笑した。確かに彼女のいうとおりだ。彼女がここで自分の主について虚偽の証言をする意味はない。とはいえ。
「だが、おまえの主がマリシアハインだというのは、大きな嘘だぜ」
「まだ、言い張るのですか」
ウルクが無感情ながらもどこか呆れたように告げてきた。そこに感情が生まれ始めているような気がしたが、気のせいかもしれない。そんなときだ。
「そうです! 参号!」
突如、レムの叫び声が響き渡ったかと想うと、つぎつぎと気配が出現した。
「そうよウルク!」
「ウルクお姉ちゃん!」
「ウルク!」
マユリ神によって転送されたのであろうミリュウ、エリナ、シーラたちが口々に叫ぶ中、ウルクが周囲を一瞥する。ファリアたちは、セツナの後方、丘の上に立ち並んでいる。いずれも召喚武装を構えており、警戒態勢に入ってはいる。マユリ神はというと、直上に出現した方舟の中にいるのだろう。見守ってくれている。
「だれですか。あなたたちは。どうしてわたしの名を」
「皆、おまえの仲間だろ。忘れたのか」
「また、わけのわからないことを。忘れる? 仲間? わたしがいったいなにを忘れるというのです。仲間とはなんですか。わたしは南ザイオン大帝国皇帝直属の魔晶人形ウルク。それ以上でもそれ以下でも――」
「違う!」
セツナは喉を酷使するほどに叫び、ウルクに飛びかかった。反射的にウルクの左手が光を発する。連装式波光砲の光弾がセツナの眼前を左に横切る。セツナがウルクに接近しながらかわしたからだ。その結果、波光の塊が後方の丘に突き刺さり、大爆発を引き起こした。ファリアたちが丘から飛び離れるのを感覚だけで把握しながら、ウルクに肉薄する。彼女が両腕をこちらに掲げてきた。その両腕の隙間に矛を差し込み、回転させる。ウルクの両腕があらぬ方向に曲がった瞬間、彼はさらに叫んだ。
「おまえは俺の!」
「なんです? なんだというのですか」
ウルクがおもむろに蹴り上げてくるのを急上昇して回避し、立て続けに放出された極大の波光砲を右に飛んで避ける。分厚い光の奔流が直上に浮かぶ方舟へ至る途中でなにかに衝突し、閃光と轟音を撒き散らした。方舟の防御障壁に激突したようだ。ウルクの攻撃はそれだけでは止まらない。連装式波光砲が唸りを上げ、波光の弾丸が乱射され、セツナに襲いかかってくる。
「下僕参号だっつったよな!」
「なんですか、それは」
ウルクが訝しげな声を上げると、連装式波光砲の射線上に闇の衣が舞った。連続的な爆発が世界を彩る。レムが操る“死神”たちが身を挺してセツナを庇ってくれたのだろう。
「下僕壱号はわたくし、レムでございます!」
「下僕弐号はラグナちゃん!」
「そして下僕参号があなただったでしょう!」
「なにを……」
ウルクがレムたちに視線を向けた隙を逃すことなく、セツナは、さらに呪文を唱えたエッジオブサーストを召喚し、手にするなりメイルオブドーターと融合させる。飛行速度および翅の防御能力を引き上げ、ウルクとの高速戦闘に対応したのだ。
「先程からなにをいっているのか、まったくわかりません。いったはずです。わたしは皇帝直属の魔晶人形。与えられた使命は、セツナ=カミヤ、あなたを拘束すること」
「だったら殺す気でかかってくんじゃねえっての!」
「なにをいうのですか、セツナ」
ウルクは、悪びれることもなく告げてくる。
「こうでもしなければ、あなたを拘束することなどできない。違いますか?」
こちらを見たウルクのまなざしには、一切の疑問がなかった。