第二千四百六十三話 北の尖兵(四)
ノアブールへは、ウルクナクト号の高度を限界まで下げたところから女神の御業による転送を行い、降り立った。
九月九日、正午過ぎのことであり、市内に突如として出現したセツナたちの姿を目の当たりにしたノアブール市民は、白昼夢でも見たかのように混乱し、大騒ぎとなった。北からの侵攻によって制圧され、緊張と不安に満ちた生活を送っていたところ、上空を巨大な船が覆い、地上にはなんの前触れもなく見知らぬものたちが現れたのだ。そうもなろう。
しかし、その騒ぎは、セツナたちが帝都ザイアスからの救援であることを説明したことで少しずつ収まっていった。それにはノアブールが旧西帝国領土だったことも幸いした。なぜならば、西帝国領土には、西帝国皇帝の同盟者としてのセツナたちが知れ渡っていて、セツナたちが空飛ぶ船に乗って飛び回っていることもまた知られていたからだ。そしてなにより、ニーウェハインの同盟者として、西帝国にいくつもの勝利をもたらし、かつ、東西紛争終結および統一帝国誕生の立役者として、セツナたちの名を知らぬものはいなかったからだ。
もっとも、セツナたちの出現による恐怖や不安に満ちた混乱は収まったものの、西帝国に勝利をもたらした英雄であることが明らかになった衝撃は、凄まじい反響を呼び、ノアブールは興奮の坩堝と化してしまったのには、セツナたちも苦笑せざるを得なかった。
興奮と熱狂に包まれたノアブール市内は、それだけで北の尖兵による支配から解き放たれたといっても過言ではないだろう。少なくとも、セツナたちの到着は、市内を包み込んでいた不安や緊張を吹き飛ばしたのは間違いなく、ノアブールのひとびとは、西帝国に勝利をもたらしたセツナたちならば、必ずや敵性存在を撃退してくれるものと信じてくれているようだった。
東西紛争におけるセツナたちの活躍は、もはや伝説化しているといってもいいらしく、セツナたちを目の当たりにして感激の涙を流すものさえいた。
そして、市民の話により、駐留軍の将兵が基地に幽閉されていることが判明し、すぐさま解放に向かった。
ノアブール駐留軍は、統一帝国軍西方北部大戦団に属している。およそ五千の陸軍兵と一千の海軍兵からなる陸海混合の部隊であり、司令官は、統一帝国陸軍中佐ケビン=アルザーが務めているが、海軍の指揮は海軍少将サルガン=デモルドンが取っているという話だった。陸軍と海軍の仲は、それほどよくないらしいのだが、両軍ともに同じ基地内に閉じ込められていた。
監視もないのに閉じ込められたままなのは、市民たちが勝手に解放すれば、もし敵性存在がノアブールに戻ってきた場合、どんな仕打ちを受けるかわからないからだ。現状、敵性存在との戦闘によって死者は出ていない。が、それは敵性存在の機嫌が良かったからであり、気分を害せば、その限りではないかもしれないという推測から、閉じ込められた軍人たちによって、市民に対し、援軍が来るまで不用意なことはしないよう、厳重に警告が出されていた。
市民は、軍の言いつけを守りながら、救援が来ることを信じ、不安な日々を堪え忍んでいたというわけだ。
そういった事実からわかることは、帝国臣民に教育が行き届いているらしいというや、軍と市民の間に強固な信頼関係が築かれているということだろう。市民は、軍人たちが敗れ去ってもなお、彼らを信じ、国が援軍を送ってくれることを信じ切ったのだ。だからこそ、敵性存在の影に怯えながらも、軍人の言いつけを守り抜いてこられたに違いない。
そんな話を聞いたセツナたちがノアブール西部の軍事基地に施された乱雑な封鎖を解き、基地に足を踏み入れると、基地内の各所で市民から提供されたものらしい昼食にありついている兵士たちが一斉に声を上げた。市民がついに封鎖を解いてしまったのか、と想ったのだろう。すぐさまセツナたちを取り囲んだ兵士たちだったが、セツナたちの様子に違和感を覚えた彼らは、即座に指揮官を呼びに行った。
その後、基地の奥から慌ただしく駆けつけてきた二名、ケビン=アルザーとサルガン=デモルドンに事情を説明したことで、ノアブール基地の騒動は一先ず終息した。
ケビン=アルザーの階級は、統一帝国陸軍の中佐だということは触れた。その彼が任されているのが、統一帝国軍西方北部大戦団ノアブール基地司令官という肩書きだが、西方北部大戦団というややこしい名称には、統一帝国が成立したばかりであり、大きな混乱を避けるためという名目があってのことだった。
南ザイオン大陸は広大だ。
その広大な大陸を統治するに辺り、統一帝国政府は、南大陸においては北部に位置する帝都ザイアスを中心とし、各地方を管轄とする大軍団を置くという古来から帝国に受け継がれてきた統治運営方法を用いている。それそのものは西帝国、東帝国が取っていた方針から大きな変更点はないものの、東西併合による組織の統一は、陸海軍全将兵にも大きな影響を与えるため、政府は現場に多大な混乱をもたらさないよう、慎重に事を運んでいた。そのため、旧西帝国の北部大戦団と旧東帝国の北部大戦団を西方北部大戦団と東方北部大戦団としてそのまま残している。それは、ほかの大戦団においても同じ措置が取られており、西方南部大戦団や東方南部大戦団が同時に存在している。
いずれは北部大戦団として統合されるか、別の名前で区別されることになるという話だ。
ケビン=アルザーは、突き出た頬骨が特徴的な中年男性であり、痩せぎすで、いかにも不健康そうな青白い顔をしていた。中佐まで上り詰めている以上、無能ではないのだろうし、ある程度は優秀なのだろうが、見た目にはひ弱な印象を受けざるを得ない。
隣の離れた席に腰を下ろした海軍少将サルガン=デモルドンが、倍ほどの体積を誇る巨漢だということが余計にそのことを印象づけるのだろう。サルガンは、右目を覆う眼帯が特徴的な、こちらも中年男性だ。隆々たる筋肉は、並大抵の鍛錬では身につかないだろう。彼は、当初こそ胡乱げな目をしていたもののリグフォードの名と、彼から預かったままの記章を見せた途端、目の色を変え、優しくなった。リグフォードは、旧西帝国において海軍大将だったのだ。少将であるサルガンにとっては直属の上官に当たることもあったが、彼がリグフォードを心より尊敬していることは言動の端々から伝わってきたものだ。
「救援要請が届いたのはなによりですが、それにしても、想像以上の早さですな」
「それだけ、皇帝陛下がこの緊急事態を重く見ているということでしょう」
セツナは、ケビン=アルザーの揺れる眼を見つめながら、告げた。場所は、基地内の一室。そこでセツナ一行とケビン=アルザー、サルガン=デモルドンの二名による会見が行われているのだ。セツナたちはふたりから情報を聞き出す必要があった。
ケビン=アルザーもサルガン=デモルドンもセツナたちの迅速な救援に非常に感動したらしく、会見の最初から極めて協力的な態度であり、話は順調に進んだ。
「敵は、南ザイオン大帝国と名乗っている、とか」
「え、ええ。まったく信じがたい話でしょうが、おそらくは北ザイオン大陸から海を渡ってきたのではないかと」
「しかしながら、敵の目的がいまいち不明瞭なのです」
ケビン=アルザーの台詞を奪うようにして口を挟んできたのは、サルガンだ。彼は、セツナに対してとてつもなく友好的かつ協力的であり、その態度は、基地司令官のケビン以上だった。
「敵の目的が不明?」
「はい。敵は、ノアブールを制圧しながらも、優先指令だの最優先指令だのと譫言のようにつぶやいており、心ここにあらずといったようすでした」
「心ここにあらず……?」
サルガンの説明は、要領を得ないものであり、セツナは怪訝な顔になった。それでは、ますます状況が飲み込めない。敵は、なにを目的として、攻め込んできたというのか。優先指令と最優先指令の違いはなんなのか。それさえ、わからない。
「そもそも、敵性存在とはいったいどのような相手なのでございます? 武装召喚師ではないでしょうか?」
「配下の武装召喚師たちが確認したところ、武装召喚師ではない、とのことですな」
「しかし、武装召喚師による攻撃もまったく効果が見られず、通常兵器による攻撃でも掠り傷ひとつ与えられなかったのは、いったいどういうことなのでしょうか。我々はこれまで、そのような相手と戦ったことがありません」
「いくら皇魔でも、召喚武装による攻撃を受けて、無傷というわけにはいかないでしょうし」
ケビンとサルガンの疑問はもっともだったが、セツナたちにも明確な回答のできない問題だった。まず、相手がなにものなのかわかっていないのだ。
「召喚武装の攻撃を受けて無傷……か」
「やっぱり、神の加護を受けているとしか考えられないような……」
ミリュウのつぶやきももっともではあったが、その可能性は、マユリ神によって否定されている。無論、マユリ神の警戒網を擦り抜けているという可能性も皆無ではないかもしれないのだが、ここはマユリ神を信じたいところだ。
「……ほかになにか情報はありませんか? 些細なことでいい。たとえば、外見とか」
「外見……ですか。直接目撃しましたが、敵は、女でした」
「女?」
「はい。それも極めて美しい女性で……戦闘中だというのに見惚れるものが現れるほどで」
「戦闘中に見惚れるほどの美女……」
それも、召喚武装による強力な攻撃を受けても掠り傷ひとつつかないような肉体を持つという。
(まさかな……)
セツナが脳裏を過ぎった顔を打ち消そうと頭を振ったその直後だった。
激震が、ノアブール基地を襲った。