第二千四百六十二話 北の尖兵(三)
「まあ、なにがなんだかよくわかりませんが、大将。ここにいる皆は、だれひとりとして大将の考えに反対するつもりはないようですぜ。俺も含めてね。姫さんも、そうだろ?」
「当たり前だろ」
エスクが口も軽く言い放てば、シーラが力強く肯定する。セツナに忠誠を誓ってくれるふたりは、いまも心の支えとなってくれている。無論、ふたりだけではない。この場にいるだれもが、セツナの心を支えてくれているのだ。
もし、皆を失うようなことがあれば、それこそ絶望だろう。
そこには光はなく、無明の闇が横たわるだけだ。
だから、戦うのだ。
戦い続けるのだ。
でなければ、皆を護れない。
セツナがそんな風に考えていると、シーラが冷ややかに続けた。
「家臣は主君の意向に従うものだ。主君が道を踏み外さない限りはな」
「道を踏み外せば?」
「そのときは、そりゃ……まあ、いろいろだよ」
「歯切れわりぃ-」
「うっせーな!」
「結局大将一筋なんだから、かっこつける必要なんてないんすよ」
「だから!」
顔を真っ赤にして噛みつくシーラをへらへらとした態度で見遣るエスクという、そんなふたりの様子を見る限り、彼らの関係も大きく変わったように想えてならなかった。かつては犬猿の仲としか言い様のなかったふたりだが、幾多の戦いを経て、仲間意識を持つようになったのは紛れもない事実だろう。ふたりに質問すれば、即座かつ徹底的に否定されるだろうが。
「……いいんだな、皆」
セツナは立ち上がると、改めて一同を見回した。船首展望室に集まっているのは、戦闘員だけだ。セツナ、ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、エリナ、ダルクス、エスク。
非戦闘員には、どんな些細なことであれ、戦闘に関わらせたくないというのがセツナたちの一貫した想いなのだ。戦闘経験も少なくないネミアはまだしも、ゲインとミレーユは一般人も同然だ。本来ならば船に乗せて連れて回る事自体避けたいところだが、この世の中でウルクナクト号の中が一番安全かもしれないという事実を踏まえれば、ゲインたちを船に乗せておくのも悪くはないといえる。戦闘に巻き込む可能性も高くなるが、女神の庇護下にある限り、そう危険な目に遭うこともない。
「乗りかかった船だもの。ここで見放すのは、あまり気分のいいことじゃないわ」
ファリアが微笑みを浮かべれば、ミリュウも強くうなずく。
「そうそう。帝国のことなんてどうだっていいけどさ。それがセツナの考えってんなら、一緒にやるだけよ」
「御主人様の想うままに」
「エリナも頑張るよ!」
レムがいつもの笑顔で応えてくれると、エリナがいつも以上の元気で拳を高く掲げる。ダルクスはなにもいわない。ただうなずくのみだ。
そして、シーラが静かに告げてきた。
「主命に従うのみ」
「右に同じ」
「かっこつけんなっていっといてそれかよ」
「ははん、先に格好つけたのはどこのどなたかな?」
「てめえ」
「痴話喧嘩は船の外でやんなよ」
「だれがだれと痴話喧嘩してるって!?」
「あー……それはねえっす、それだけは……」
ミリュウに凄むシーラの隣でエスクが猛烈に否定する様子がおかしかった。気を許しているのか、相容れないのか、まったくわからない感じがいかにもふたりらしい。
「仲良いのか悪いのかわからないわね……」
「ま、まあ、よろしいではありませんか」
「そうよ。いつものことじゃない」
「それはそうだけど」
レムが仲裁し、ミリュウがそれに乗っかり、ファリアが困ったような顔をする――それは、ありふれたいつもの光景そのものといっていい。なにげない日常の中に見る風景であり、こんな状況でもそんなやり取りが交わされることがセツナにはどうしようもなく嬉しかった。どこにあっても、皆がいてさえくれれば、それだけで生きていける。
そんな気がした。
だから、だろう。
「……ありがとう」
セツナは、不意に自分の口から漏れ出た言葉に自分自身驚きを隠せなかった。しかし、それが自分の本心であることはわかりきっていたから、皆の驚きの反応に対し、笑顔を浮かべることができたのだ。
「俺の我が儘ばかり聞いてもらって、さ」
ずっと、そうだ。
最初からずっと、自分の我が儘を聞いてもらっている気がする。
ファリアにも、ミリュウにも、レム、シーラ、エリナたちにも、それぞれ想うところはあるはずだ。それぞれの希望があり、願いがあるはずなのだ。それを押し殺して、セツナの望みを優先してくれているということも、わかりきっている。
「なーにいってんのよ」
ミリュウが、からかい半分に笑いかけてくる。
「ん?」
「これは貸しよ。後であたしたちの我が儘を聞いてもらうんだから。ね?」
「ええ、そうね。それがいいわ」
「そうでございますね。そう致しましょう」
「うんうん!」
「そりゃあいい」
「俺も乗せてもらいましょう」
「てめえは駄目に決まってんだろ」
「なんで!?」
「なんでも!」
シーラに猛烈に拒絶されて悄気返るエスクの姿に笑いを噛み殺しながら、セツナは、ファリアたちの導き出した結論を受け入れた。
「……まあ、そういうことなら、それでいいさ。そのぶん、たっぷり俺の我が儘、聞いてもらうからな」
「ええ、聞かせてちょうだい。君の我が儘」
ファリアが、まっすぐにセツナを見つめていた。
「君のやりたいこと、やりたいようにやってよ。わたしたちは、君と一緒ならどんな困難だって乗り越えられるもの」
ファリアのその言葉を聞いたとき、セツナは、目が覚めるような想いがした。まるで心に翼が生えたように軽くなった。そんな感覚。もちろん、なにをしてもいい、などと想ったわけではない。しかし、皆がいて、力になってくれるということを再確認したいま、越えられない困難などはないと想えたのだ。
それは、セツナを突き動かす大いなる力となった。
「ああ!」
セツナは、ファリアの言葉に力強くうなずくと、まず目先の問題の解決に注力することを宣言した。
敵性存在から引き出した情報次第では、なんの憂いもなく南大陸を離れることができるかもしれないのだ。
まずは、大帝国とやらの目的を探ることが先決だった。
セツナたちは、ノアブールに敵性存在の不在を確認したことで、ノアブールに降り立ち、市民や駐留軍を解放するべきだと結論づけるに至った。
女神によれば、ノアブールにおいて一般市民は普通に生活しているという話だが、制圧されているということに変わりはなく、市内には緊張感が漂っているように見えるというのだ。まずはノアブールを解放しないことには、市民の心を安んじることはできない。
「解放するっていったって、相手はひとり、なんでしょ? どうするの?」
「どうもしないさ。俺たちが降りて、ノアブールのひとたちに救援が来たことを報せればいい。統一帝国政府が北に大戦力を結集中だという情報とともにな」
そうすれば、ノアブール市民は安心するだろうし、それだけで解放はなるといっていい。
なにせ、北大陸から送り込まれた尖兵はたったひとりだというのだ。たとえどれほど強力無比な戦力であったとしても、たったひとりで複数の都市を制圧し、その状態を維持し続けることは困難極まりない。なぜならば、そのひとりが別の都市の制圧に動いている間、制圧済みの都市は放置されているも同然であり、いくらでも救援が可能だからだ。
故に、大帝国の目的がよくわからない、ということもある。たったひとりでは、南大陸侵攻の足がかりを築くことも難しいのではないか。
もしかすると、南大陸の戦力を探ることだけが目的であり、それによって得られた情報次第では、南大陸への侵攻を諦めるのではないか、という可能性も大いにあった。
「それだけでいいんだ?」
「敵がひとりである以上はな」
「情報ではそうでも、本当はほかにもいるかもしれないわよ。後続の部隊が上陸した可能性だって、十分考えられるわ」
「それでも、俺たちが全員で降りれば、問題はないだろう?」
「まあ、そうね」
ファリアが認めたことで、まずは、ノアブールに降り立つことが決まった。