第二千四百五十九話 急報(三)
「剣武卿にしてはめずらしい剣幕だ」
セツナがつぶやいたころには、ニーウェハインは卓の上に置いていた仮面を手に取るなり、速やかに被っていた。包帯を巻いていることもあって、仮面を被っていようといまいと構わないはずなのだが、皇帝としての威厳を重視したのだろう。彼は、扉の外に向かって、厳かに告げた。
「入れ」
「失礼致します、陛下」
素早く執務室に入ってきたシャルロットは、いつも以上にきびきびとした挙措動作でもってニーウェハインに敬礼すると、セツナに対しても深く敬礼した。セツナは、帝国においてはいまもなお皇帝の同盟者であり、故にだれもが彼を丁重に扱わざるをえない。
「何事だ?」
「たったいま、ノアブールより驚くべき報せが届いたのです。この報告書に目を通していただけると、詳細がわかるかと」
シャルロットが書簡をニーウェハインに手渡す様子を眺めながら、聞き慣れない地名を反芻する。
「ノアブール?」
「旧西帝国領における最北の都市だ。いや、統一帝国領として見た場合でも、最北に当たるか……なんだと」
「どうしたんだ? なにがあった?」
書簡を読み進めていたのだろうニーウェハインが突如として驚愕の声を発したことで、セツナは、この国に非常事態が起きているらしいことを悟った。大抵のことでは驚くどころか冷静に対処する彼が愕然としたのだ。余程の出来事だろうことは想像に難くない。そも、シャルロットがニーウェハインの執務室に飛び込んできたこと自体、異常といっていい。
ニーウェハインは、書簡を読み終えると、まっすぐにセツナを見つめてきた。仮面の向こう側から注ぐ視線の強さは、いつも以上だ。
「セツナ。突然のことで済まないが、いますぐ船を飛ばしてくれるか?」
「ノアブールにか?」
「ああ」
「……わかった」
セツナが理由も問わずに請け負うと、彼は感に堪えないといった様子でセツナの手を取った。急を要する事態だということは、ふたりの様子からも一目瞭然だ。であらば、事情を問うまでもない。どんな事情であれ、ニーウェハインがセツナを頼ったということは、セツナたちならばどうにかできるだろうという考えが彼の中にあるのだ。そしてその期待には応えられるだろうという確信が、セツナの中にある。
ただ、気になることがあるとすれば、彼がそこまでしなければならないと想うほどの事態がどれほどのものなのか、だ。ノアブールは、旧西帝国領だという。抵抗勢力による武装蜂起が起きるような地域ではなさそうなのだ。無論、地に伏していた抵抗勢力がノアブールに流れ、そこで蜂起したという可能性もあるが、どうやらそうではなさそうだ。抵抗勢力の武装蜂起程度では、ニーウェハインもそこまで大仰な反応は見せまい。
「済まない。君に頼ってばかりだな……」
「皇帝陛下。謝る事なんかじゃあありませんぜ」
「セツナ……」
「これは貸しなんです。陛下が俺に頼み事をすればするほど、貸しが膨れあがっていくんですよ、ぐへへ」
「君は……どこまで本気なんだ」
ニーウェハインは、握っていたセツナの手を離すと、呆れ果てたように頭を振った。彼のそんな反応を目の当たりにして、シャルロットが目を細める。
「どこまでだって本気さ」
「……まったく、君はときどきよくわからないな」
「よくわからない連中に振り回されてるからな」
「ふっ……よくいう」
「どういうこったよ」
「君が一番よくわからないということだ」
「うるせえ」
悪態をついて、セツナは彼を睨んだ。ニーウェハインは、仮面の奥で笑っていた。セツナとのやり取りで自分を取り戻したような、そんな気配があった。
セツナは、もちろん、そんなつもりで彼をからかったわけではないが。
その後、ふたりから事の詳細を聞いたセツナは、すぐさま腕輪型通信器から女神マユリに連絡し、全船員に大光宮白理の間に集まるように通達した。大光宮は至天殿北部の一廓を総称し、セツナたちが逗留するために解放されている一廓のことだ。白理の間は、大光宮最大の広間であり、皆を呼び集めるには打って付けの場所だった。
そして、全員が揃ったところでマユリ神に方舟への転送をお願いしたセツナは、さっそく船の針路を北西へ切らせ、大陸北西の都市ノアブールを目的地と定めた。
ファリアたちは、なにが起こっているのかもわからない間に方舟に転送された上、事情も説明されないままつぎの目的地だけを知らされたこともあり、セツナが説明するまで、無言の圧力を加えてきたものだが、致し方のないことだと彼は想うほかなかった。
事情が事情だ。
説明している時間が惜しかったし、どうせノアブールに向かうことは決まり切っているのだから、船での移動中に説明すればいい、と、考えていたのだ。その結果、ミリュウやレムだけでなく、ファリアの不興まで買ってしまったのは、セツナとしては失敗もいいところだが、仕方がない。
とにかく、時間が惜しい。
一分一秒でも速くノアブールに辿り着きたかったし、辿り着かなければならなかった。
でなければ、取り返しのつかないことになる。
「先もいったが、つぎの目的地はノアブールだ」
セツナが目的について説明するべく口を開いたのは、機関室でのことだ。なぜ機関室かといえば、映写光幕を利用することができるからにほかならない。映写光幕には現在、南ザイオン大陸の地図が表示されていて、北西部沿岸部の都市ノアブールの座標が光点として示されている。
ノアブールは、大陸最北端の都市といっていいだろう。“大破壊”によって大陸が引き裂かれ、帝国領土もまた南北に切り裂かれたのだが、ノアブールの位置がわずかでも北に在ったならば“大破壊”に巻き込まれ、都市そのものが真っ二つになっていたかもしれないというほどだ。そのため、海辺の都市となり、近年では港町への改造が行われつつあるという。
「また、任務ってわけ? 今度はなに? 抵抗勢力の討伐? 皇魔の殲滅? それとも……」
「まあそう怒るなよ」
ミリュウの拗ねた顔を見るのは久々だったが、いまは彼女をあやしている場合ではない。彼女は頬を膨らませて、食い下がる。
「怒るわよ。せっかくセツナのために――」
「ミリュウ」
ミリュウに冷ややかな一言で警告を発したのは、ファリアだ。セツナはそれをファリアによる助け船だと認識したのだが、
「あ……いまのなし、忘れて」
「ん?」
「だから、ノアブールに向かう理由はなんなのよ」
「ああ……?」
どうやら、ファリアによるミリュウへの警告は、ミリュウの話の内容が問題だったらしく、セツナにその内容を聞かせまいとするものだったようだ。内容が気がかりだったものの、ミリュウを冷ややかに見つめるファリアと、そんなファリアの反応に戦々恐々とするミリュウの様子から、あまり深入りしない方が良さそうだと判断する。なにやらセツナのため、などといっていた気がするが、だとすれば余計気にすることではないだろう。
「つい先程、帝都にノアブールから救援要請が届いたんだ」
「へえ。ってことは、やっぱり抵抗軍ですかい?」
「いや、違う」
「じゃあ、皇魔?」
「それとも、ネア・ガンディアでございましょうか?」
「ネア・ガンディアなら、方舟を見逃すマユリ様じゃあねえだろ」
「それはそうでございますね。では、いったい……?」
口々にいう面々を見回し、セツナは、口を開く。
「ノアブールを強襲し、ノアブールの駐屯部隊を無力化、ノアブールを制圧せしめたのは、たったひとりの敵性存在だそうだ」
「たったひとり……?」
「なにそれ、どういうこと?」
「その敵性存在は、ノアブール駐屯部隊に所属する武装召喚師たちが束になっても敵わず、また、全戦力も瞬く間に撃破され、無力化されたそうだ。そうしてノアブールはあっという間に制圧され、敵性存在は、ノアブールから北西部沿岸地域の各都市への攻撃を開始した」
それは、やはりセツナでも驚くべき話だったし、シャルロットやニーウェハインが驚愕するのも当然の内容だった。
「その敵性存在とやら、武装召喚師でもなさそうだな……」
「ゼネルファーのような神の加護を得た人間ってこと?」
「その可能性も考えたがな」
シーラが否定したように、武装召喚師とは考えにくい。なぜならば、ただの武装召喚師が複数名の武装召喚師を相手に圧倒的な力を発揮できるのは、簡単なことではないのだ。もちろん、ファリアやミリュウのように極めて優れた武装召喚師ならば話は別だが、そのような武装召喚師は、そういるものではない。可能性としては皆無ではないが、やはり、考えにくい。
また、神の加護を得た人間というのも、どうか。ありうることではあるが、だとすれば、マユリ神がなんらかの反応を示すのではないか。マユリ神は現在、ゼネルファーのように神の加護を得た人間が南大陸のどこかに潜んでいないものか、必死なって探っている最中なのだ。その捜索網に引っかかっていない時点で、神の加護を得たものではないということになるのではないか。
「敵性存在は、ザイオン帝国軍の軍装に身を包んでいた。だが、西でも東でもなければ、当然、統一帝国の記章が掲げられているわけでもなかった」
セツナは、ニーウェハインやシャルロットが見せた苦渋に満ちた反応を思い浮かべながら、告げた。
「南ザイオン大帝国、と、記章には示されていたそうだ」
つまり、ノアブールを始めとする北西部沿岸地域は、現在、南ザイオン大陸からの侵攻に曝されているということだ。